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身体の存在がわからない

下を見ないで!左足で支えて下さい!

病院で働いているとき、平行棒の中で立位保持や、歩行訓練のなかで、このようや声掛けをよく聞いていました。

やりたい事は分かりますが、本質的な問題解決には至らない場合があります。
 
本質的な問題とはなにか??
そのヒントは「患者の声に耳を傾ける」に隠されています。

はじめに

オリバーサックス著書の『左足をとりもどすまで』では、医師が患者となり、左足の身体意識の変容についての体験が記述されています。
 
その中に、本日のテーマである「患者の声に耳を傾ける」の重要性が書かれています。

サックス氏の体験

サックス氏の声には、神経科医として卓越した洞察が多く含まれています。

彼は、登山中の怪我によって左足の「大腿四頭筋腱」を切断してしまう。
整形外科手術(腱縫合)と理学療法士によるリハビリテーション治療を受ける。
そして、彼は何か大変なことが起きていると訴え始めるも、医師や理学療法士は彼(患者)の不安に満ちた言葉に耳を傾けない

ここから、この物語は始まっていきます。

彼が自身の左足についてのどう感じたのか、それに対して、理学療法士がどう対応したのか、興味深いことが記述されています。

サックス氏の声

① 存在しているが、そこにはない。

目を閉じると最初は左足が存在するという感覚は全くなかった。
そこ」ではなく「ここ」にあるという感覚、どこかに「存在」するという感じがまるでしなかった。
「そこにない」ものに対して、なにを感じ、なにを断言できるというのか

② 足のイメージと概念を失う。

手術をした筋肉は萎縮し、弛緩し、マヒも生じている。筋肉を動かす「ノウハウ」と筋肉についての「概念」、その両方がだめになった。
それで、筋肉をどう使って、どうやって動作をするかを「考え」たり、やり方を「思いだす」ことが出来なかった

この現象は、身体イメージの消失を意味します。

目で見ると左足は「そこ」にありますが、目を閉じると「ここ」にあるとは感じられない…
そんな状態で関節可動域訓練や筋力増強訓練といった運動療法を行いますが、どうやって左足を動かせばいいのか全くわかりません
 
そんな中、彼はリハビリ室で初めて車椅子から立ち上がり、歩行訓練を行います。

「支えて下さい。支えて!倒れそうだ」

私は立ち上がった、というよりは立たされた。
2人の理学療法士に抱え上げられ立たされた。

真っ直ぐ見ると、左足がどこにあるのかさっぱりわからない。だいいち、左足がたしかにあるという気がしなかった。下を見ずにはいられない。
 
一瞬、右足のとなりにある「物体」が自分の左足とは思えない。自分の体の一部とは思えず、体重をかけたり、使ったりすることは思いもよらなかった。
 
その中で、理学療法士たちはせきたてる。
「さあ、先生!はじめなくてはだめです」と。
左足にじかに体重をかける事はできなかった。できるとすれば、右足を上げることだ。私は右足を上げた。
 
突然、なんの前ぶれもなく、私は奇妙なめまいに襲われた。床がはるか遠くにあるかと思うと10cmほど追ってくる。部屋は急に傾き、中心線を軸に回転する。
 
私は理学療法士に向かって叫んだ。
「支えて下さい。支えて!倒れそうだ」
「さあ落ち着いて。下を見ないで正面を見て」、理学療法士たちはそう言った

『どのように動かすか』を教える治療

セラピストの運動療法は身体意識が変容してしまった患者自身の現実とは大きくかけ離れています。
 
運動療法は人間の身体を「物体」として扱っている可能性があります。考えるだけで恐ろしいです…
 
セラピストはもっと患者の「身体の声を聴く」べきです。「脳のなかの身体」を動かすことができなければ、現実の身体は動かせません。
運動療法は「身体を動かす」治療ではなく、「どのように動かすか」を教える治療であるべきです。

おわりに

どのように動かすかを教える治療…
言っている意味は分かりますが、これがとても難しいです。
いつもいつも、これが私の障害となり、行くてを阻んできます…
でも、この投稿を読めばわかると思います。
患者がなぜ、あのような声を出しているのか。
 
まずは、患者の声に耳を傾けるところからやっていきましょう。
そこがリハビリのスタートラインです。

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