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アボジに学ぶ“感じる力” #7

このエッセイは、2017年、約4か月にわたり韓国の有機農家さん3軒で農業体験取材を行い、現地から発信していたものです。これから少しずつnoteに転載していきます(一部加筆、修正あり)。

2017/05/23

 江原道寧越ヨンウォル郡の有機農園「그래도팜(クレドファーム)」に来て、はや2週間。ここ数日は朝晩と昼間の気温差が激しく、トマトたちの熟すスピードがとても遅い。「暑かったり寒かったり、こんな天気が続くと、トマトもどうしていいかわからなくなるのよ」とオモニお母さんは言う。毎日のように予約の電話が鳴っているが、今注文を受けたトマトが発送できるのは、約2週間後だ。

 そんなわけで、まだ嵐の前の静けさというか、比較的のんびりとした時間が流れている。トマトの収穫はベトナム人女性2人が担当し、私は主に、トマトやビーツを検品・箱詰めをするアボジお父さんの仕事を手伝っている。

 アボジが検品したトマトを計量し、農園のパンフレットを入れてテープで封をする。ただそれだけの作業なのに、少し気が緩むとテープがぐにゅっと曲がったり、手を切りそうになったりする。急ぎすぎてもだめだし、のんびりしすぎてもだめ。アボジのテンポに合わせ、無駄のない所作で箱の封を美しく閉じるには、まだまだ修業が必要だ。

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▲ビーツの箱詰め作業中

 箱詰めを手伝うようになってから、アボジと多く言葉を交わすようになった。方言や話すスピードの速さなどの問題で、アボジやオモニとの会話は、私にとってまだまだハードルが高い。

 日常生活でアボジとオモニが話している言葉は、韓国語ではない別の言語に聞こえることもある。しかし、箱詰めをしながらアボジと話す時だけは、8割ほど聞き取れている気がするから不思議なものだ。「3分の1しか理解できてないでしょ」と、アボジはいつも笑って言うけれど。

 30年以上有機農業を営んできたアボジは、卓越した農業技術者であり、自然博士のようでもある。鳥の声を聞くだけで「あれはコウライウグイス(꾀꼬리)。鳴き声がとてもきれい。日本にもいると思うけど、韓国の中ではオシドリ(원앙새)も美しい鳥だよ」などと教えてくれる。

 トマトのみならず、ハチやガ、チョウやクモなど生物の習性についてもとても詳しい。「生物のことを良く知って、それをうまく利用して育てられる人こそ農業が上手な人なんだよ」とアボジ。

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▲ビーツを計量するアボジ

 有機農業の技術や考え方を聞いていたはずなのに、気付けば人との付き合い方、生き方にまで話が及んでいることもある。

「植物は言葉で疎通することができないから、植物が表現していることをよく見ないといけない。時間が経てば、トマトの色を見るだけでどんな味がするか。そんなことまでわかるようになってくる」

 アボジの話を聞いて、人も同じだと思った。いろんな人に出会っていくと、初対面でだいたいわかるようになる。「今回韓国に来て、ある人から『4秒見たらどんな人かがわかる』という言葉を聞きました」と言うと、アボジは静かに頷いた。

「そう。人も動物だから“感じる力”がある。最初に合うと感じた人は、最後まで合う。何かが合わないと感じた人は、時間が経っても変わらないし、嫌な気持ちが大きくなっていくこともあるんだよ」

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▲水脈について説明中のひとこま

 今日はアボジから「水脈の上に家を建てない方が良い」という話を聞いた。「動物は水脈を避けて生きている。でも、人間は水脈があるとは知らずに家を建ててしまうことがある。前に住んでいた家がそうだった」とアボジ。

 「寝ても寝てもすっきりしない」と言うオモニを気遣い、いろいろな原因を考えていた時、「水脈を調べてみるといい」という人がいたそうだ。真鍮しんちゅうでできたL字型の金属を平行になるように構え(写真上)、家の中を歩いてくまなく調べたところ、アボジとオモニの寝室の下に水脈があることがわかったという。

 数年前、別の土地に新しい家を建てることになった時は、地下に水脈がないことを自ら確認したというアボジ。「不思議な話に聞こえるでしょ。ミナさんも試しにやってごらん」と促され、L字の棒を持って、作業場の中をゆっくりと歩いてみた。

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▲水脈の上を歩くと、棒が自然に重なりあう

 最初は半信半疑だったけれど、平行に構えていたはずの棒が自然に内側へ動いていく場所があった。何度やっても同じようになる。「もしここが家だとして、ベッドの下に水脈があるとわかったら、水脈のないところにベッドを移動させた方がいい」。

 アボジの話を聞いて、これまで何回も経験した一人暮らしの家探しのことを思い出した。家を見学した時、ドアを開けて入った瞬間に感じた気持ち。私はその感覚をとても大事にしていた。空気が重苦しく、どんよりとした印象の家は選ばなかった。下に水脈があったかどうかはわからないが、今思うと何らかの危険を察知する動物的感覚が働いていたのかもしれない。

 「そういうことを敏感に感じられる人もいれば、鈍感な人もいる。田舎暮らしがしたいと都会から引っ越してきた人のほとんどは、水脈や自然のことについてよく知らずに家を建てる。そういう人はだいたい4年以内に、いろんなことがうまくいかなくなって、また都会に戻っていくんだよ」とアボジ。

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▲寧越を流れる川。漢江ハンガンへと続いているそうだ。トマトさんの家や農園があるのは川の向こう側

 ここ寧越で暮らしていると、風のにおいや鳥の声、トマトの息吹、空の色などを全身で感じようとする自分がいることに気づく。動物的感覚が少しずつ研ぎ澄まされているのかもしれない。

 言葉を発しない生き物たちを観察し続けること。今の私には、それが一番重要な経験であることを肌で感じる毎日だ。

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▲今日の夕食はサムギョプサル。日本から持ってきた塩麹をジミンさんがサムギョプサルに塗り、下ごしらえ。アボジが一人で黙々と焼いて、食べやすいサイズに切り分けてくれた

▲エッセイ『韓国で農業体験 〜有機農家さんと暮らして〜』 順次公開中

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