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子どもが体現していくこと。

ちょこちょこtwitterにも書いていたけれど、まとめて書いておきたい。
それは「呼び方」に関してから始まる話で、子どもに対して私達夫婦がとても気を付けている大人の振る舞い。言い方を変えれば、教育の話であり
子ども達が大事な土台をつくっていく過程で、理屈ではなく感覚として私達が伝えられること。

・・・と言いますか、本来伝えられるなんて大そうなもんでもなく、
彼らには否応なしに伝わってしまう。それはとにかく良くも悪くもなので、
これは虐待の話にも繋がります。


先ず、我が家はかなりの年の差夫婦である。なのにも関わらず(?)
一緒にいるようになって直ぐから今に至るまで、彼は私の事を名前+さん付けで呼ぶ。考えてみると名前を呼び捨てされたことは一度もない。

勿論「子どものためにはこうするべきだ!」なんて言って私の名前をさん付けするようになった訳ではなく。知り合って間もないある時に本当に突然
「何かこれはあかんなと思った。あなたにはさん付けだなって。」と言われて既にさん付けで呼んでくれていたのを覚えている。

それから外で夫が私のことを話す時は名称は「カミさん」だ。
元々私達は、家族になった夫婦がママパパと呼び合う言い方がきらいで。
お互いにとってあなたのママではないしパパではない、と思う。

(ちなみに火野正平が「かあちゃん」と言うのはまったく違和感がない。寧ろ好きだ。と言うか私がひたすら火野正平を好きなだけかもしれん。)

夫は「男はアホなので簡単にカミさんのことを母親扱いしてしまう。そして女の人は母親に❝なれてしまう❞から。だから男が意識して絶対避けなあかん。」とよく言っている。多分火野正平の言う「かあちゃん」も、女性へのリスペクトを含んでいる感じがするので違和感がないのかもしれない。

たまたま、家の中で女の人をぞんざいに扱う男の人を見たことのない環境で夫は育ってきていて。これまた有難いことに彼自身、世の中のここまでお世話になった女の人達に本気で感謝している人間だ。

それでも、ぞんざいに扱うどころではない、信じられない態度を、
自分より弱い相手になら取っても良いという可笑しな大人が世間にはたくさん存在する。それは男の立場や女の立場、社会的認知というものも含めた子ども達を囲む大きな社会、環境の話だ。
ある時に、長男の同級生を見ていても強烈に感じた。
家の中で誰が誰にどんな態度を取っているかということを、子どもは真剣に見て聴いて吸収している。簡単に言うと、父親が母親をぞんざいに扱っていると子どもは同じように母親を扱う。

最初にも書いたが、これは虐待やDVにも通ずる話だ。
それは、最近ようやく認知されてきた「面前DV」に当たる。

面前DVは、単に目の前で殴る蹴るを見せることだけではない。
強烈な❝支配とコントロール❞の関係性を見せつけることでもある。
ハッキリ言って心理的なもの、心理的虐待と呼ばれる実際に目に見えないものの暴力の破壊力、心を圧し折る力は尋常ではない。そしてとにかく周りから見えない。まったく気付かれないことは多い。

私は自分の親に、名前で呼ばれるよりも「バカ女」「くそ女」と呼ばれることが多かった。実家に出戻り長男を子育て中は「ばかあちゃん(バカ+母ちゃん)」と呼ばれることが多く、私の母親は私の息子にも、私に対してそう呼ぶように強要した。

特に機能不全家族の場合(私自身は当時夫と出会うまで自覚がまったくなかった)家の中で誰が誰にどんな態度を取っているか、それを常に察知していかなければ、立場が弱ければ弱いほどに、生きるか死ぬかの問題になる。

私と息子は、それぞれ生き延びるために一生懸命やるしかなかった。


そんな経緯もあり、当たり前だが大人の与える影響、特に言語のままならない幼児期の子どもに与える周りの影響はとにかく理屈じゃないことを痛烈に感じている。しかもその❝理屈じゃない❞時期のことは簡単には取り戻せない。

我が家は息子がふたり。人権の問題、性教育は勿論、きちんと伝え続けようと思う事は多い。というか、人間が社会で生きていく上で人権の問題は大事な基礎だ。だけども「相手も自分も大切に」「尊重しよう」なんて小難しいことを言っているだけではまったく分からない。

そもそも私や息子のような環境で育てば、酷い大人(問題はそこにいると酷いとは一ミリも思わない)の例しか見ず感じられず年を重ねていく場合もよくあることなのだと思う。人権なんてものがあるならば、あれは一体何だったのだ?と混乱するだろう。
「頭では分かる」が知らない。これは相当苦しい。

じゃあ具体的に、私達が普段出来ることはなんだろうと夫婦で毎回考え、話をしている。

そして結局今のところハッキリ言えるのは、
子どもに対して私達大人が見せ続けるしかないということ。
お互いがお互いに尊重する姿を、正直に、見せ続ける以外にない。

そら、喧嘩もするしお互い大事に想っていても、つい乱暴な言い方をしたりうまくいかないことも多いだろうが。正直にやるしかない。
特別なことは要らない。そういう態度は必ず子どもに伝わる。
そもそも子育ての答えなんてものはないので、それが伝わったかなんてのも、子ども達本人も私達も結果は分からないでしょう。
信じるだけ。信じて待つだけ。

両親がこれだけ年が離れていて、父が母をずっとさん付けで呼んでいるのを彼らは見ている。それも分かりやすい態度のひとつだろう。
私が夫に対して安心して信頼している態度を取ることや、家の中で一番年長の夫が謙虚な態度を、事あるごとに私に対して必ず「有難う」と言ったり、当たり前に家事をしているのも同性の彼らにとって意味があるだろう。意味も彼らが決めていくだろう。

安心、安全さえあれば。大丈夫。


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#面前DV #心理的虐待 #我が家の人権問題


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