おいしいごはん
この季節は南瓜好きの私にはたまらない。毎年こんなことを繰り返し言っている。特にハロウィンに向けての10月は町が南瓜だらけになるからね。パン屋さんには南瓜のパンが。ケーキ屋さんには南瓜のモンブランなんかが出てくる。並んでいるのを見るだけで嬉しくて、とにかく私はあのオレンジ色が大好きなのだ。
よし、書くかと、noteを眺めていたら一番最初にかぼちゃのポタージュという文字に心を奪われた。読んでみるとそれは本当に美味しそうなかぼちゃのポタージュのレシピで、書いている人を見たら有賀薫さんという「鶏がゆ」のレシピの方だった。
あの鶏がゆレシピには、あたたかな文字と、
誰かと食べるおいしいごはんのレシピが記されている。
私はレシピを読みすぐに作ることにした。去年、愛用の土鍋がだめになってしまってから新しい土鍋を買ったものの、目止め作業が面倒で放っていた土鍋をおろすことにして。
「料理は❝気持ち❞がほとんど、あとは誰と食べるかが一番大切。」
夫は口癖のように言う。そうだなぁと思って聞いてはいたが、
年々それを強烈に、そして穏やかに感じている。
大根と蛸の炊いたん、万願寺唐辛子のかつお炒めなんかを作って夫と晩酌。他にも何か作ったかもしれないけれど、大根が美味しすぎて覚えていない。大根のやさしい味と蛸から出たお出汁にほっと息をつく。それから、別の日には本当に久しぶりに近所の焼き鳥屋に行ってむしゃむしゃとししとうを食べながら。
そうしたおいしいごはんたちは、不思議なくらいあたたかく懐に流れ込む。
喉が詰まり、肩甲骨がガチガチであってもきちんとぬくめてくれる。
ここまでよう頑張ってきたと、今は感じられる、それを今回は特に噛み締めた。
『感じる』ことが、ここに来るまでどれほど難しく苦しかったか。
長男の3年ぶりの一時帰宅、みんなが家の中にいて、食卓でごはんを食べて。涙が出た。そりゃそうだよ。
待ちに待った外泊でごはんは何を食べたいか訊いた時
「煮物!こんにゃくの入ったやつね!」と即答だった。
私は身体の緊張や心の緊張が各方面に対して出ていたけれど(出るようになった)とてもしあわせな気持ちで出汁を取り煮物や味噌汁を拵えた。
東京を離れて、実家と呼ばれるものや人間を絶ち、本当に助かったのだ。料理を作る感覚、台所に立つ面持ち、ごはんの味、台所の壁に包丁を突き刺す必要もない。当たり前だがすべてがまるで違う。
おいしいものをおいしいねと、作りたいものを作りたいように、それらを一緒に食べることが、どれほどにやりたかったことか。
今ここには、ずっと欲しかったおいしいごはんがある。
その環境をつくるために死ぬ気でやってきたのだ。
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