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感情に名前をつける。


二年前の写真を見ていたら今よりしゅっとした顔の自分がいた。


・・・と書き出したまま年を跨ぎ、新年度も始まり、蝉が鳴いている。

去年は今まででダントツに早い一年で。間違いなく私たち家族にとっての変化の年だった。気が付けば長男が生まれてから干支も一周した。ここまでのたうち回ってやってきたことが、ある意味での一区切りを迎えた亥の年。
考えてみると、私は二、三年前はまだペアレンツプログラムに通っており、春先にプログラムを終了。まだついこの間のことなのだ。そこから本格的にトラウマ治療が始まり、自我状態療法からBSP(ブレインスポッティング)をし、がっつりとEMDRが始まると文字通り私は這うように治療に通った。

先生との相性や治療の向き不向きは勿論、これをやっていくのは、
トラウマを扱うというのは、本来誰かの手を借りなければ絶対に無理なことなのだと、思っていたよりずっとずっと痛感した。

EMDR後には次のCPT-C(認知処理療法)を始めていて。認知処理療法真っ只中での新年を迎えたのが二年前になる。

最近では❝認知の歪み❞という言い方が一般的にも使われるようになった気がするが、認知処理療法はまさにその認知の歪み・ズレを処理していく治療で。複雑性PTSDの診断を受けていた私は、ひとつずつ進めていく治療の中で自分の自動思考とも言える、考え方のクセを修正する必要があった。

感情に名前をつける。

というワードは、今までも人に話したり、とにかく言葉にしてきた。
見えないものを誰かに知ってもらう時にかたちにすることは非常に大事な作業だから。おおよそは誰かに知ってもらう前に自分が知るために。それは、正しい正しくない、うまくいくいかない、はほとんど問題ではなくて。ましてや「失敗」と言われるような必要もない、変化することも大前提。そしてこの感情に名前をつけるというのは別の言い方をすると、

その感情が【誰のものか】それは【何時のものか】

とも言える。これがとてもとても重要。

トラウマ治療をすすめる中で『だからお前は駄目なんだ』と事あるごとに自分を責めている声や、その他自分に沸き起こる嫌悪感や怒りに対して、私はある時からハッキリと考えられるようになった。それは自分の気持ちか?誰の言葉だ??自分に対しての罵声や嫌悪感は自分のものか?と。更に目の前にある今のこの感情や感覚は本当に今のものなのか?と。今ここにあるどうしようもない強烈な何か、降りかかる気持ちの悪い感情や感覚(そもそも、その感情や感覚の認知にとても時間をかけた)を、ひとつひとつ整理する必要があった。今考えればそれは、自分に覆い被さる母親を脱ぎ捨てるため、母親を殺し自分を取り戻すために。


自分の心に答えを求めるのでなく、
自分が【何を感じるべきか】を見つけるために、人を観察する。
自分の気持ちを周囲の人に意識的に合わせ
【感情を盗む】という戦略になる。

http://www.otsukishoten.co.jp/book/b53566.html

この言葉が、読んでいた本の中で出てきた時は本当にびっくりした。大袈裟ではなく、小さな悲鳴のようなものと共に私は息をのんだ。感情を盗むという言い方に非常に納得したから。納得したどころでなかった。それは自分だった。

「自分が何を感じるべきか」

それによって居場所があるかないか、自分が生きていて良いのかどうか、
具体的に言えば、私にとってチェーンのかけられた家の中に入れてもらえるかもらえないか、の大問題だった。裸足のままコンクリの上で体育座りしてまた朝まで過ごすかもしれない。「自分が何を感じるべきか」を見誤れば更に強い罰が待っているかもしれないし、ご飯がまた食べられなくなるかもしれない。何より『自分は価値の無いゴミみたいな扱いを受けて当たり前の人間なんだ』と突き付けられ抉られ、心のかたちのようなものが跡形もなくなる前に。一刻も早く、感情を盗み、何を感じるべきか必死に取りにいくしかなかった。私にとってそれは訓練だった。

話を戻すと。考え方のクセは誰にでもあるものだし出方も様々だと思う。
私の場合は、トラウマと向き合いながら毎日夫と話すやり取りの中で非常に強烈な出方をしていて、それは日常に支障を来すレベルになっており。ほんとにもうシロがクロになってしまうくらい強烈に反応が出た。治療を始めていろいろな症状が出る中で、その考え方のクセのおかげで苦しくてたまらなくて一日一日を越えていくのが息も切れ切れという感じになった。
そもそも認知処理療法が始まる前から、夫には『ある種のトリガーに触れるような会話になると必ず強烈な反応が出る、他ではいつも通りに話しているのに本当に突然反応する。』と言われていたから、私たちはそのトリガーの出所や意味を、理解しようとしつこくしつこく話し合いを続けていた。二十数年間押しやってきた自分に向き合うのだ、それはもう吹き溜まりのようなもので、ましてや、訓練を積み重ねてきた私がそう簡単に「自分が何を感じるべきか」から解放されるわけもなく、話し合いは毎回困難を極めた。

自分の中の自動思考を整理し、認知のズレを、考え方のクセを、修正するために、自分が感じる感情や感覚、出てくる言葉を必死に
誰のものか、何時のものなのか、整理していくのだ。

認知を処理するのが先か、自分の感情や感覚がどこにあるかを探るか(一次感情)、人によって順番はバラバラなのだろうが。「自分が何を感じているか」ではなく「自分は何を感じるべきか」で強烈に反応が出てしまうことはPTSDと付き合っていく人、フラッシュバックが起きた時にあるあるの問題だと思う。大きさは関係ない、誰の心にでもあるトラウマ体験からくる不安や恐怖。それらに支配されている状態で自分の感情や感覚を理解することは奇跡のようなものだ。通常は自分がそこにいて(それを理屈でも感覚でも感じられる状態)何を感じるべきか、と感じ考えることが出来るものなんだろう。ただ、自分を消し、殺さなければ生き延びられなかった人間にはこれらの整理をすることは本当に恐ろしく難しく。血反吐を吐く苦しみと闘わないとならない。

だから感情に名前をつける必要があると思った。

大事な相手と言葉を交わし、お互いの違いを知る時に、
それは誰のものなのか、
その苦しみは今現在生まれた苦しみなのか、と
感情や感覚を見つけてあげる必要が、私にはあった。

❝感情に名前をつける❞というのは、別の人から見れば、一次感情にスポットを当てる、インナーチャイルドを癒す、乖離症状を緩和する、アイ(i+eye)メッセージを意識する、とその他にも色々な言い方が出来るだろう。私にとって意味は同じだ。

夫と血反吐を吐きながら喧々諤々やり続ける中で、あなたがというユーメッセージがどうしても出てきてしまうことが、今もよくある。苦しいんだ!聴いてくれ!という相手の大事な気持ちを聴く場面で、いつの間にか話が、俺だって!私だって!きみはこうだああだと、自分の感情を発信源にしながら相手に投げる言葉だ。だから私は相手から投げられた場合は、それは誰の気持ちなの?誰の感情?と訊くようにしている。私にすり替えないで、言葉が間違っているから自分のものとして伝えて欲しいと。私の感情の話をしていたのに何故あなたの話にしてしまうのか、取り敢えず聴いてくれと。痛いからやめてくれと、未だに私は喚き散らしてる。でも、彼は彼で私の話を聴いて痛い思いをして訴えている結果で、痛くて黙っていられないんだってことが、最近彼の話を聴きながら分かるようになってきた。一言でいうとお互いに『そんな言い方ないでしょ!』ってことを言ってるわけなんだが。この場合、気持ちの発信源、感情の置き所が肝心なのだ。

宮本から君へでも、靖子が会社に押し掛けてきた宮本に『自分の感情の落とし前くらい自分でつけろ!』みたいなことを言うシーンがあるんだけど、あんな感じ。めっちゃ分かる。

かたや私は、他の人には大丈夫なことでも今までなかったことでも、夫が相手となると吹き溜まりになっていた色々な感情が押し寄せてしまい、今自分が言語化出来ること、夫がそれを理解しようとしてくれることで溢れて止まらない現象がよくある。そこで、それが何時のものなのか、ハッキリさせることが重要だと考えるようになった。無自覚に抑圧したもの、されてきたものの取り扱いは難しく、誰かに伝えるのは更に難しい。苦しくてたまらんかった。と伝える時に、私にはそれがもう何時のものなのか、そもそも自分から生まれた感情なのか?も、最初の頃は何も分からない状態だった。


娘がアイデンティティーを形成する上で、
同性の母親との同一化は欠かせない過程
更に重要なのは、差異化の過程

https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000911112008.html

私にはこの『自分と母親は違う存在であると受け入れ実現していく過程』がトラウマ治療を進めていく上で必要不可欠だった。そして斎藤環さんが書いていた❝第三者❞の存在が確かにそれを可能にした。私にとっての第三者は夫であり、彼は私の中にある母親が、私のような顔をして出てくる時にいつも挫けずハッキリと、あなたは母親ではないし同じではないと私自身に言葉をかけてくれる。

今、自分が誰かに発した言葉が自分から生まれた感情なのか今現在のものなのか、意識して整理がすすめられるようになると、ちょっと自分が掬われるのだ。


何を感じるべきか、にとらわれ感情を盗む戦略に出なくとも、
❝投影❞を使い自分の感情や行動に責任を取らないようにしなくとも、
自分の感情をどのように扱うかは決められる、と信じて。

自分の感情は自分のものだ、私自身は私自身のものである。
感情に名前をつけながら、私の母親殺しはつづく。



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