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主題歌”二度寝”から読み解く「ふてほど」考察

TBS金曜ドラマ「不適切にもほどがある!」にどっぷりはまっております今日この頃。

監督は宮藤官九郎(クドカン)、いわく「自分たち世代(50歳代)にはウケると思うんだけど、下の世代にはどうかな…?」なんて発表会見では言っておりましたが、むしろ昭和の空気感と令和の空気感のどちらにも理解できる部分がある30歳代(キャストでいえば仲里依紗世代)にしっかりハマっているように感じます(きわめて狭い私的領域での反応から)。

制作発表会見のようす

かく言う私もギリギリ昭和世代(1987年生まれ)なので、生まれたあたりの時代(1986年)と現代(2024年)を行ったり来たりする感じは、これまで生きてきた時代の頭尾を往還する感覚で面白く見ています。

ドラマも後半に入り、いよいよ最終回が近づいてきて、なんだかいろいろ考察してみたくなったので、主題歌「二度寝」の歌詞から、ドラマ「不適切にもほどがある」を読み解いてみました!
※ネタバレがあります。

主題歌はcreepy nutsの二度寝

久々のドハマり!!

冒頭、面白く見ているなんて控えめに言いましたが、欠かさず楽しみにみています。もう10年以上テレビが家にない※ので、もっぱらTVerでの視聴ですが、リアルタイム配信を楽しみに金曜の夜を今か今かと待ち受けるなんて、もう何十年ぶりだろうか、と思います。
(テレビも一家に一台から、各部屋個人に一台、さらにパソコン・スマホ、オンデマンド配信、youtube等でいつでも好きな時に好きなコンテンツを見れるような時代に、少しでも早く次が見たくて放送時間を待ちわびることになるとは思いませんでした。いつの時代でも社会現象となるかはコンテンツ次第、ということでしょうか)

※テレビはないのですが、普段はオンデマンド配信などで好きな番組はまとめて見ています。小さいときはテレビっ子で、いろんな番組を良く見てました。

まさにドラマにハマる、という感覚を久々に思い出しました。
(罵詈雑言の応酬、執拗なテロップ表示など掴みから完璧でしたね。そのノリで押し切るのかと思いきや、回を追うごとにシリアスさや感動要素も入ってきて・・・面白さを語りだすと止まらなそうなのでこのへんでやめときます)

バス(bus)はバース(verse)から逆輸入された?

さて本題。こうして待ち遠しく思いながらドラマなんかを毎週見てますと、主題歌の歌詞が気になってきたりするものです。

Creepy Nutsは「コタキ兄弟と四苦八苦」というドラマ※の主題歌で知って、それからちょいちょい聴いているだけのにわかですが、「のびしろ」なんかは万人にささるバランスの良い名曲ですね。今回の主題歌オファーも「のびしろ」みたいな感じの楽曲で、と制作陣から打診があったんじゃないかと勝手に憶測しています。

テレビ東京紹介ページより

※コタキ兄弟も面白かった!!

(以下、勝手な推察が続きます)
歌詞はかなりドラマをイメージした内容になっていますが、一方で音楽作品としてはドラマの文脈と切り離しても成立するように聞き継がれたいと思うのがアーティストの本懐で、ドラマタイアップの悩ましいところではないかと思うのですが、二度寝の歌詞は非常にうまく工夫されています。

♪このバスに乗って未来へ という歌いだしの歌詞は、ドラマ視聴を前提にすると「ああ、あのバスね」となるわけですが、バースと伸ばして歌われているので、純粋に音楽として聴くと、バース(verse)に聴こえるわけです(実際、二番の歌詞にはバースと書かれています)。

ドラマに登場するバス

バースとは音楽用語でサビ(コーラス)に入る手前(イントロのすぐあと)、特にHiphopでは歌い始めのラップ部分にあたり、まさにこの歌詞が歌われている部分です(この手の解説はほかにいっぱいあるので、ここでの説明は最小限にとどめます)。

ここまでの内容は、いろいろなところで「歌詞がうまいなー」とか言及されているのですが、バスとバースがかかっているのではなくて、かける(ダブルミーニングにする)ために本編にあえてバスが持ち出されたのでは、というのが今回の仮説です(すでに似たような有名な考察、あるいは公式での公表情報などあればすいません、見落としです)。

そして、この視点でドラマを思い返すと、いろいろと符合することがあります。

タイムマシンがバスである必要性は実はあまりない

タイムマシンとして登場するバスですが、実はそれほどバスである必要がありません。いや、面白いとかはあるんですが、脚本上というか設定上バスである明確な理由はみあたらず、むしろ主に3つの理由からバスでない方が良いようにさえ思えます。

理由1:発着時刻を隠しているだけで、バスには誰でも乗れてしまう

ドラマの中でも、市郎(阿部サダヲ)は初め気づかずにバスに乗り、未来にタイムリープしますが(顔認証など、市郎がバスに乗れた理由についての説明もありましたが)、時刻表を見ずにバスに乗る人はほかにもいるはずで、間違えて乗ってリープしてしまう人(あるいはバスに乗ろうとして乗れなかった人)が出てこないのは不自然なわけです。

むろん、SF設定の粗さが欠点になるような性質のドラマではないので、面白ければokなんですが、それでもなるべく設定上おかしくないように作ろうとするはずなので、バスという要素は設定上意味があるばかりか、むしろアラを提供しているようにさえ思えます。それでもバスなのはなぜか。この疑問が今回の仮説につながります。

理由2:喫茶店「すきゃんだる(SCANDAL)」の存在

ドラマ内で頻繁に登場する舞台の1つであるすきゃんだる(SCANDAL)という名前の喫茶店。
当時も今もあるお店として、2つの時代をつなぐアイコン(象徴)的な存在として描かれています。

TBSドラマ紹介ページより引用

外観から内装、小物に至るまで、かなり細かい時代表現が施されていて、美術デザインの手が込んでいます。こうした点からも重要な場所であることが窺えるのですが、果たして。

ここで先の仮説に照らしてみますと、バスがタイムマシンとして機能する設定が後から出てきたのであれば、この喫茶店がもともとタイムマシンとして機能する予定だったのでは、という推測が立ちます。

実際、第一話(二話?)ではトイレを通じて時代を行き来ししたり、建物の高いところ(Sの文字)から落ちて戻るという描写がありました。

TBSドラマ紹介ページより引用

もともとの設定として、この店がタイムリープ機能を持っているのだとすれば、バスでのタイムリープという設定によって出番を失ったトイレ移動などが表現として差し込まれたと理解できますし、市郎たちが2つの時代を行き来する拠点なのだとすれば、舞台装置としてこだわる理由もうなずけます。

裏を返して言えば、そうした装置でないにしては、登場頻度が多すぎるのがこの店なわけです。

TBSドラマ紹介ページより引用

トイレ移動ができなくなった理由として、和式⇒洋式にリフォームしたから、という説明がドラマ内であり、それに対して阿部サダヲ演じる市郎が「なんで変えちゃったのー!?」と叫ぶシーンがありますが、あれは「なんで(設定を)変えちゃったのー!?(美術めちゃめちゃ頑張ったのに!)」というスタッフの声の代弁(と内輪ネタ)なのではないかと思えるわけです。

もう1点、ドラマで描かれているのは、今のところ昭和(1986年)⇔令和(2024年)のあいだの行き来のみなわけですが、二時点間の移動であれば、お店(トイレの壁穴)の方が好都合なわけです(バスだと設定いじるとほかの時代にも行けちゃいそうでしょ)。

理由3:バス内でタバコを吸うという描写

理由1と関連しますが、市郎がバスの中でタバコを吸うシーンがあります。たしかに高速バスとかの車両って今でも座席に煙草入れがあって、時代の名残だなー、なんて思ってみていたのですが、実はこのシーンは「この時代にはすでに禁煙ではなかったか」という指摘がされています(たとえばこの記事)。

これについては、市郎が禁煙ルールも無視して傍若無人に振る舞う人物、という描写ともみてとれますが、時代考証を丁寧にやり抜くクドカンチームにしては珍しい違和感だなと思いました。

そして、バスという設定が比較的ギリギリのタイミングで差し込まれたのであれば、こうした齟齬もあり得るのではないか、と思うわけです。

まとめ

というわけで、タイムリープがバスという設定は、実は主題歌から逆輸入されたのでは!?という憶測と、もしそうだとしたら・・・という想像について書きました。

そして、こうして書いていると、新たな憶測が浮んできました。バスを導入した理由は?二度寝というタイトルに込められた意味は?これについては稿を改めようと思います。
いやはや勝手な憶測は、いろいろ妄想できて楽しいですね。

ということで以上です。
何しか続きが楽しみだなー。早く見たいなー。
Chao!

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