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グレゴリー・ベイトソン『精神と自然/生きた世界の認識論』・パオロ・マッツァリーノ『思考の憑きもの/論より実践のクリティカルシンキング』

☆mediopos2624  2022.1.22

グレゴリー・ベイトソンの『精神と自然』は
その死の前年の一九七九年に出版された
一般読者に向けて語られている唯一の本とのことだが
(とても奥深く「一般向け」とは思えないけれど)

邦訳は二〇〇一年に新思索社から刊行されたものの
その後入手困難な状態になっていたのが
今回こうして岩波文庫化され
はじめて目をとおすことができたのを喜びたい

残念ながら本書で論じられていることを
かいつまんでご紹介できるほどの理解力や表現力は
持ち合わせていないので

ちょうど(少しばかりベタな本で
ベイトソンとあわせてとりあげるのはためらわれたが)
パオロ・マッツァリーノの『思考の憑きもの』で
クリティカルシンキングがとりあげられていたのもあり

今回は二つの本で共通して論じられている
「前提 presupposition[思考以前の思いこみ]」(ベイトソン)
「思考の憑きもの」(パオロ・マッツァリーノ)
ということについてメモしておきたい

私たちはものを考えるとき
ある前提の上に立ってそれを進めていくが
ともすればその前提としているものを
意識しないかそれを絶対化していたりする

ベイトソンいわく
「自分の拠って立つところが誤っている可能性に
意識が及ぶことのない人間は、ノウハウしか学ぶことができない」

ゆえに「必然的に依拠すべき
基本前提を抜き出してみること」が必要になる

パオロ・マッツァリーノいわく
「自分のなかの常識や偏見という憑きものは、なかなか落とせない」
「自分はぶれない、と威張っている人間は、
自分は絶対に正しいと信じている」

ゆえに「敵は自分」
「クリティカルシンキングはだれかを批判するための思考ではな」く
まっ先に批判の対象としなければならないのは「自分」」である

ベイトソンは面白い例をひいている
若い精神分析医に至るアメリカ人学生を相手に講義を行った際
学生たちは「ある種の思考のツールを欠い」ていて
「科学の前提のみならず、日常の暮らしを支えている前提についても
彼らは考えたことがない」

それに対して正反対のグループ
マルクス主義の信奉者とカトリック系の学生は
「自分たちの信じる前提の〝正しさ〟が重要である」がゆえに
「自分の立脚する前提に意識的であろうとする」という

パオロ・マッツァリーノのいう
「ワタシはぶれない」という人たちである

「自分の拠って立つところ」を意識していないか
それを絶対化して疑わないでいるか
世の中はその二つが大きな流れとなっているようだ

世の中は
ある意図的なバイアスのもとに
情報を隠蔽しながら流しているメディア
さまざまな利害にもとづいて政策を行う政治家
科学を絶対化する科学主義者
信仰をうたがわない宗教者などで満ちていて
それぞれが「自分の拠って立つところ」を絶対化し
それらを受けとるいわゆる大衆は
その管理化のもとでロボット化しているから

管理社会的な傾向が強化されている現代こそ
まず「自分の拠って立つところ」が何なのか
それを意識し懐疑する必要があるようだ

みずからを疑うことができないとき
ひとはともすれば他者への批判に
多大なエネルギーを費やすことになり
根拠のない「思考の憑きもの」に憑依され
結局のところ自我の罠にかかって身動きがとれなくなる

■グレゴリー・ベイトソン(佐藤良明訳)
 『精神と自然/生きた世界の認識論』
  (岩波文庫 岩波書店 2022/1)
■パオロ・マッツァリーノ
 『思考の憑きもの/論より実践のクリティカルシンキング』
 (二見書房 2021/12)

(グレゴリー・ベイトソン『精神と自然』より)

「芸術も、宗教も、商業も、戦争も、そして睡眠までがそうなのだが、科学もまた前提 presupposition[思考以前の思いこみ]の上に成立している。ただ科学の場合は、単に思考の道筋が前提によって決まるというだけではない。現在の前提の是非を問い、非ならば破棄して新しい前提をつくるところに科学的思考の目標がある。この点において科学の営みはそれ以外の人間活動と異なる。
「自分の拠って立つところが誤っている可能性に意識が及ぶことのない人間は、ノウハウしか学ぶことができない。」

「すべての精神が、必然的に依拠すべき基本前提を抜き出してみること。また逆に、それらの基本的なコミュニケーションの諸特性から精神というものを定義すること。その企ては、こころみる価値がある。」

「●その1−−−−科学は何も証明しない
 科学には仮説を向上させたり、その誤りを立証したりすることはできる。しかし仮説の正しさを証明することは、完全に抽象的なトートロジーの領域以外では、おそらく不可能である。」
「●その2−−−−地図は現地そのものではなく、ものの名前は名づけられたもの自体ではない」
「●その3−−−−客観的経験は存在しない」
「●その4−−−−イメージは無意識に形成される」
「●その5−−−−知覚された世界が部分と全体に分かれるのは便利であり、必然なのかもしれぬが、その分かれ方の決定に必然は働いていない」
「●その6−−−−発散する連続は予測できない」
「●その7−−−−収束する連続は予測できる」
「●その8−−−−〝無から生じるは無〟(リア王の明言)」
「●その9−−−−数と量とは別物である」
「●その10−−−−量はパターンを決定しない
 単一の量を持ち出してパターンを説明することは、原理的に不可能である。しかし二つの量の比は、すでにパターンの始まりだということにも注意されたい。」
「●その11−−−−生物界に単調な価値は存在しない
「●その12−−−−小さいこともいいことだ」
「●その13−−−−論理に因果は語りきれない」
「●その14−−−−因果関係は逆向きには働かない」
「●その15−−−−言語は通常、相互反応の片側だけを強調する」
「●その16−−−−〝安定している〟〝変化している〟という語は、われわれが記述しているものの部分を記述している。」

(パオロ・マッツァリーノ『思考の憑きもの』より)

「(クリティカルシンキングとは)自分が常識と思っていること、正しいと信じていることが、誤った前提や偏見で歪められていないかどうか、つねに疑いながら、正しい客観的根拠と正しい論理によって、対処法や解決法を考える現実的な思考法。
 そんなのはあたりまえなんじゃないの? なんて軽口を叩くひとは、たぶん、まるでわかってません。クリティカルシンキングは自覚して訓練しないと身につきませんし、ある程度身につけたとしても、油断するとすぐに忘れます。
 誤った根拠から紡ぎ出された誤った論理を疑うことなく信じると、偏見や感情論となって脳にこびりついてしまいます。こういった思考の憑きものが、問題解決を遠ざけるのです。」

「そんなに役に立つクリティカルシンキングが、なぜできないのか? そして、どうやったらクリティカルシンキングが身につくのか?
 でも私はその疑問に、自信を持ってお答えすることはできません。」

「クリティカルシンキングがなぜできないか、ではなく、クリティカルシンキングをなぜやろうとしないのか、を考えるほうが現実的です。それがわかれば、どうやればクリティカルシンキングが身につくのかという問いにも答えが見えてくるはずです。
 私は本書で、まともな思考をくもらせたりジャマしたりする要素を「思考の憑きもの」と呼んでいます。クリティカルシンキングは思考の憑きものを落とすのに役立つのですが、クリティカルシンキングを難しくしているのもまた、思考の憑きものです。
 で、なにがやっかいって、クリティカルシンキングを難しくしている思考の憑きものは自分のなかにあるんです。敵は自分です。クリティカルシンキングはだれかを批判するための思考ではないといいましたけど、あえていうなら、まっ先に批判の対象としなければならないのは「自分」なんです。
 ひとは、なかなか自分を疑おうとしないもの。みんな自分がかわいい。自分は正しいと信じたい。自分がまちがうわけがない。自分は正しく標準的な人間だ。まちがっているのは自分以外のだれかなんだ。きっとそうだ。絶対そうだ・・・・・・。
 あまりにも自分に自信がなさすぎても、生きるのがつらくなりますけども、自信過剰も知性と理性にとっては害悪です。自分のなかの常識や偏見という憑きものは、なかなか落とせない。」

「クリティカルシンキングは、正しくぶれるための技術でもあります。
 〝ぶれない〟って言葉がいつのまにか美徳として使われるようになったことに違和感をおぼえます。自分はぶれない、と威張っている人間は、自分は絶対に正しいと信じているわけです。
(・・・)
 クリティカルシンキンを意識すれば、正しくぶれることができます。まちがった思考は、思考の過程でまちがえているのではなく、多くの場合、スタート地点をまちがえてるんです。誤った根拠や誤った前提から思考を始めたら、正解にたどりつけるはずがありません。
 だから、ぶれることを恐れてはいけません。根拠のない常識や信念にしがみついて、ワタシはぶれないと自己陶酔している姿のほうがよっぽど恥ずかしい。」

「クリティカルシンキングが重視するのは「現実的な思考」です。アタマのなかでどれだけ抽象的な思考や思考実験なんてものを繰り返したとしても、それが現実社会の問題や現象をなにひとつとして解き明かせない。解決できないのなら、単なる自己満足です。
 私は難しいことはいいません。奇妙な考えや常識から、妙な哲学や道徳観念やイデオロギーを剥がして落とし、歴史的事実に裏打ちされた根拠から素直に考え直す作業を実践してるだけです。」

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