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澤田誠『思い出せない脳』

☆mediopos-3107  2023.5.21

「脳科学」は
記憶の働きも
すべてを物質的な「脳」に還元して
説明しようとするので
ある種の保留は必要になるが

その最新の研究成果における現象面を
PCのハードとソフトによる作動といったイメージで
脳の働きと関連して理解するとき
いろいろと参考になることが多いので
こうしてコンパクトに参照できるものに
目を通してみるのは興味深い

私たちはじぶんの意思であると思っていても
「脳」がどのように働いているか
じぶんの「記憶」にしても
そのほとんどを意識化することができずにいる

けれどそうした「記憶」こそが
著者の言葉でいえば「マインドセット」を作り
私たちの「人格」を形成している

本書では「脳」の働きのなかでも
「頭の中には「ある」のに、なぜ出てこない」のか
そのとき「脳内」では何が起きているのかを中心に
「記憶」のさまざまなメカニズムについて
わかりやすく説明されている

思い出せないとき
以下の5つのことが
組み合わさって起きているのだという

①そもそも記憶を作ることができなかった
②情動が動かず、重要な記憶と見なされなかった
③睡眠不足で記憶が整理されなかった
④抑制が働いて記憶を引き出せなかった
⑤長い間使わなかったために、記憶が劣化した

ほとんどの場合「記憶」は
失われてしまっているのではなく
「思い出せない」
つまり引き出せなくなっているだけなので
重要なのは引き出せるような仕方で
記憶するということが重要である

年をとるともの覚えが悪くなるともいわれるが
それは新しいことを「覚える力」ではなく
「引き出す力」が衰えるからだともいう

記憶は神経細胞のなかにただ保管されているのではなく
ネットワーク的なかたちで保管されているので
重要なのはそのネットワーク的な記憶を
いかに積極的に働かせるかということである

若い頃は経験の量そのものが少ないので
新たな経験や体験に対して
それを積極的に記憶として受容しようとするが
年を経るにつれて
いわば「好奇心」が衰えることで
脳の神経細胞のネットワークが積極的に働かなくなり
しかも過去の経験や体験が蓄積することで
それらを引き出すプロセスも複雑になるために
記憶する力が衰えるような現象となって現れるようだ

ちなみに「喉元まで出ているのに思い出せない」のは
「思い出そうと頑張る」ために
「間違った神経細胞が活動」することで
周辺の抑制性の細胞が刺激されることで起こるようである

そうした「周辺抑制」が解けたとき
「探すのをやめたときに出てくる探し物」のように
「しばらく経てば、ふっと湧き上がるように
記憶がよみがえ」ることがあるのだという

さて「記憶する」ということについて
こうして脳科学の視点から見ていくことは参考になるが
本書でも示唆されているように
「何を記憶するかを選ぶことは、
何を忘れるかを選ぶこと」でもあるという

映画の『レインマン』で有名になった
サヴァン症候群の人たちは並外れた記憶力を持っているが
その脳では左脳の機能が損なわれていて
それを補うために
右脳の能力が発達したという仮説があるそうだが
その能力は決して幸せな能力とは言いがたい
その「脳」は忘れることができないからだ

私たちは(とくにぼくはだけれど)
忘れることが得意なおかげで
幸せに生きられる能力を得ているのかもしれない

■澤田誠『思い出せない脳』 (講談社現代新書 講談社 2023/5)

(「序章」より)

「自分の意思で決めていると思う人もいるかもしれませんが、意思が関与できる部分はほんのわずかです。ヒトが意識できる情報量は脳内で処理されている情報の100万分の1以下だという説もあるくらいです。
 記憶というのはただの情報の集積ではありません。脳は記憶を形成し、活用するために、情報の抽出、再編集、関連付けを常に行っています。脳の中の記憶はあなた専用にカスタマイズされた唯一無二の情報源なのです。
 もっといえば、私たちは、それぞれの脳の中に外界を解釈するための、記憶をもとに作られた自分だけの世界を持っているのです。
 このような脳の中に作られた世界のことを、私は「マインドセット」と呼んでいます。
 (・・・)
 私たちが何かを経験し、記憶すると、このマインドセットが変化していきます。育っていくと言ってもいいかもしれません。マインドセットが豊かで健全な状態であれば、自分の望む未来に進みやすくなります。逆に、マインドセットが乏しく偏ると、その人の判断や行動は決まったパターンから抜け出せなくなり、自分にとって本当に利益になる合理的な選択ができなくなります。
 マインドセットが私たちの未来を左右します。そしてそのマインドセットを形成する基礎になるのが記憶なのです。」

「記憶というと、知識を詰め込むというイメージが強いかもしれません。この本では、そのイメージを変えたいと考えています。そうすることで、豊かなマインドセットを育て、記憶を自在に活用する方法が見えてくるからです。
 特にこの本では記憶の中でも「思い出せない脳」の仕組みに焦点をあてていきます。なぜなら、記憶は自在に引き出せて初めて活かすことができるからです。「覚えられない」もしくは「忘れてしまった」とあなたが嘆いているとき、脳の中にその記憶は存在しています。覚えたし、忘れてはいないけれど、「思い出せない」だけの場合が多いのです。ふとした瞬間に、ふっと思い出すのが、脳の中からなくなっていない証拠です。」

「実は、年を取って衰えるのは新しいことを「覚える力」ではなく、「引き出す力」だという研究結果があります。
(・・・)
 年を重ねて経験が多くなったこよも、記憶の引き出しにくさに関係してきます。脳に貯蔵される記憶が増えるほど、神経細胞のネットワークは複雑になってきます。記憶の引き出しには、脳の複数の機能が関わっているため、間違えやすくなったり、引き出しにくくなったりするのです。」

「この本では、思い出せないときに脳の中で起こっていることを、大胆に5つに分類してみました(実際にはこんなふうにきれいに分けることはできず、5つのパターンの組み合わせになります)。

 ①そもそも記憶を作ることができなかった(→第1章)
 ②情動が動かず、重要な記憶と見なされなかった(→第2章)
 ③睡眠不足で記憶が整理されなかった(→第3章)
 ④抑制が働いて記憶を引き出せなかった(→第4章)
 ⑤長い間使わなかったために、記憶が劣化した(→第5章)

(「1章 記憶を作れないと、どうなるか」より)

「記憶が作られていくときの情報の流れを、簡単に図1−2に示しました。」

「しっかりと取っておきたい記憶は、情報を長期的に保管する保管室である「大脳新皮質」に送られますが、その前に、必要な記憶を取捨選択し、整理しておく必要があります。その役割を担うのも海馬です。大脳辺縁系で行われた重みづけをもとに、どの記憶を保管室にしまうのかを判断します。」

「神経細胞が記憶を保管しているのだとしたら、保管できる記憶の数は有限です。ある記憶を保管した神経細胞が死んでしまったら、その記憶は永遠に失われてしまうことになり、記憶のシステムとしてはあまりにも不安定です。
 科学者たちは、このような矛盾を解消するために、1つの仮説を立てました。
 記憶は神経細胞の中や特定の分子に保管されているのではなくて、神経細胞同士のネットワークとして保管されているのではないかという仮説です。」

「記憶がネットワークで保管されえているおかげで、神経細胞が減っても、すぐに特定の記憶はなくなるわけではありません。しかし、減れば減るほど、記憶力は落ちていきます。」

(「第2章 情動が記憶を選別する」より)

「名前や、数字の公式、歴史の年号など、現代社会で知識と呼ばれているようなものの記憶のことを「意味記憶」と呼びます。長期記憶の一種で、恐らく太古の人類には必要がなかった種類の記憶でしょう。
 意味記憶と対を成すのが「エピソード記憶」です。経験や体験に基づいた記憶で、時間や場所や感情などを伴う記憶です。
 意味記憶は簡単に説明でき、恐らく誰が説明しても同じような答えになるはずです。しかし、エピソード記憶は人によって違います。説明しようとすると、もやもやと映画の一場面のようにそのときの情景が浮かびます。」

「記憶が残るか残らないかは、情動の動きに関係しています。情動が動くポイントは人によって異なります。
(・・・)
 好奇心を持っていろいろなことに心を動かすことは、記憶力を強化する有効な手段です。
 しかし、強すぎる情動は、記憶を必要以上に強化してしまいます。
 恐怖などの強い情動のせいで、記憶が強化されて、日常生活に支障をきたしてしまう病気がPTSD(心的外傷後ストレス障害)です。
(・・・)
 私たちが何か記憶を思い出すとき、単にデータとして読みだすのではなく、そのときに湧いた情動も同時によみがえります。良い思い出ならいいのですが、つらい記憶の場合、思い出すだけで、嫌な情動に支配されてしまいます。」

「強い情動が記憶を強化するという点では、ネガティブな情動もポジティブな情動も同じですが、記憶のされ方が違うようです。たとえば強う恐怖の感情は、記憶を断片化してしまいます。」

「年を取ると、月日が経つのが早く感じるのは、関心を向けるものが少なくなって記憶がしっかりと作られていないからかもしれません。」

(「第4章 抑制が働いて思い出せない」より)

「脳は記憶を整理するときに、「類型化」を行っています。
 類型化とは、複数の物事の中から共通の項目をとりだしてまとめることです。タイプ分け、カテゴリー分け、パターン分けはすべて類型化です。脳は、似たようなものをグループにして記憶を作っているのです。
 類型化をしておくと、後で必要な時に使いやすくなります。そのために脳は常に情報の類似性を探し、カテゴリー分けをしているのです。
 しかし、この類型化のせいで関連する記憶が想起されて周辺抑制が起こってしまう、記憶を思い出すのが困難になるときがあります。
 特に名前は思い出しにくいのです。エピソード記憶に分類される記憶は、その人独自の固有の経験ですが、名前の文字列には独自性がそれほどありません。
 (・・・)
 喉元まで出ているのに思い出せない場合は、記憶がなくなったわけではありません。しばらく経てば、ふっと湧き上がるように記憶がよみがえります。これは思い出そうと頑張るのをやめたので、間違った神経細胞が活動をやめて、周辺の抑制性の細胞も刺激されなくなり。周辺抑制が解けたおかげです。探すのをやめたときに出てくる探し物と同じですね。」

(「第5章 使わない記憶は変容し、劣化する」より)

「記憶の劣化は、大きく2種類に分けることができます。保管している記憶そのものの劣化と、それらを呼び出すインデックスの劣化です。どちらにしても思い出すことができないので、脳の持ち主にしては同じことです。また、どちらかだけが起こるというわけではなく、多くの場合は両方が起きているはずです。」

「劣化が起こりにくい記憶はエピソード記憶で、起こりやすい記憶は、意味記憶です。」

「記憶は失われるだけではありません。記憶同士が干渉し合い、変容するのです。」

「人間の記憶は正確ではありません。いとも簡単に偽の記憶を植え付けることができる研究も知られています。
(・・・)
 問題なのは、いったん記憶が変容してしまうと、何が本物なのか分からなくなることです。」

「サヴァンの人たちに比べて、私たちは忘れることが得意です。本を読んでいるときは、目という感覚器を通して、本の一字一句が脳の中に入ってきています。しかし、それをそのまま記憶したりはしません。何が書いてあるのかを理解し、その理解した内容を自分なりに要約し、すでに頭の中にある記憶と結び付けて編集して、脳の中に保存し、それ以外の情報は忘却しているのです。
 何を記憶するかを選ぶことは、何を忘れるかを選ぶことでもあります。私たちの脳が、何を思い出せないのかを知ることは、私たちが生き延びるために必要なものを知ることにつながります。
 忘れるというのは、私たちが長い人生を生きていくために不可欠な働きです。」

(「第6章 記憶という能力の本当の意味」より)

「脳の情報処理は、ある意味、とてもいい加減です。ざっくり概要をつかんで、細かいことは気にしません。少々足りない情報があっても、勝手に自分で判断推測して補って解釈してしまいます。新しい情報が入ってきたら、過去の記憶と照らし合わせ、よく似ていたら過去の記憶を基準に判断して、分かった気になってしまいます。エピソードを伴わない記憶だけの記憶も苦手です。」

「マインドセットを広げるのは、自分を分析することが有効です。自分がどういうことに興味を持っているのかを知って、それらのことに意識的に関心を持って、心を動かして活動してみてください。」

◎澤田 誠
1958年香川県生まれ。東京工業大学大学院総合理工学研究科博士後期課程生命化学専攻修了。理学博士。専門は神経化学、神経薬理学。米国国立衛生研究所ポストドクトラルフェロー、科学技術振興事業団「さきがけ研究21」研究員、藤田保健衛生大学(現 藤田医科大学)総合医科学研究所教授等を経て、2005年名古屋大学環境医学研究所教授に。2012年同所所長に就任。脳の免疫機能を担うグリア細胞の一種ミクログリアの研究を20年以上にわたり行っている。趣味はテニス、映画鑑賞。出身高校は神奈川県立横浜翠嵐高等学校。

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