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『スピン/spin 第6号』/『現代詩読本 田村隆一』/前田速夫『谷川健一と谷川雁』/『田村隆一詩集』/『谷川雁詩集』

☆mediopos3322  2023.12.22

『スピン第6号』の表紙の「ことば」のなかで
池澤夏樹が田村隆一の詩を引いている

「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」

その詩はこう続く

「言葉のない世界
 意味が意味にならない世界に生きてたら
 どんなによかつたか」

言葉を覚えてしまったら
言葉のない世界には戻れなくなる
言葉には意味が寄り添っているから
意味は意味になってしまう
そして意味にとらわれながら
生きていかざるをえなくなる

ここ半年ほどまえから
『左川ちか全集』が刊行されたこともあり
モダニズム期の詩や戦後詩を読み直しながら
その時代の詩人たちのことを
おりにふれあれこれ夢想したりもしている

田村隆一もそのひとり
思潮社の「現代文庫」の「1」が田村隆一である
ちなみに「2」が谷川雁

田村隆一は『四千の日と夜』『言葉のない世界』
そして『田村隆一詩集』という
戦後詩を代表する詩作の後は
「超越」的な「垂直性」を標榜しながらも
「それを壊して詩でないような詩」
つまり「水平」的な詩を
「自分を壊していくこと」を「生産力」のようにして
一九九八年刊行の詩集『1999』まで書き続けたが

それに対し谷川雁は一九六〇年三十七歳のとき
「私のなかにあった「瞬間の王」は死んだ」として
以後詩を書かないことを宣言する

じぶんを壊しながらも
詩を書き続けた詩人がいて
じぶんのなかにいた詩人を殺して
詩を書くのをやめた詩人がいる

どちらも詩への詩の言葉への
こだわりがあったのだろうが
そこには言葉が生み出さざるをえない
「意味」の「水平性」と「垂直性」に
どうかかわっていくかという葛藤があったのだろう

落語にもつながるような
「水平性」へと向かうならば
言葉は言葉という畑のなかで
それなりに育てていくこともできるだろうが

「垂直性」へと向かうならば
言葉はそれまで言葉を育てていた畑を去って
つまりそれまで支えられてきた「意味」を去り
言葉さえも超えていかなければならないだろう
言葉を覚えてしまったにもかかわらず
意味から自由になるために

■『スピン/spin 第6号』(河出書房新社 2023/12)
■『現代詩読本 田村隆一』(思潮社 2000/8)
■前田速夫『谷川健一と谷川雁 精神の空洞化に抗して』
 (冨山房インターナショナル 2022/4)
■『田村隆一詩集』(現代詩文庫1 思潮社 1968/1)
■『谷川雁詩集』(現代詩文庫2 思潮社 1968/1)

(『スピン/spin 第6号』〜池澤夏樹 表紙の「ことば」より)

「でもねえ、田村隆一さんが言うんだ、
 言葉なんか
 おぼえるんじやなかつた、って。」

(『田村隆一詩集』〜詩集『言葉のない世界』(一九六二年)/「帰途」より)

「言葉なんかおぼえるんじゃなかった
 言葉のない世界
 意味が意味にならない世界に生きてたら
 どんなによかつたか」

(『田村隆一詩集』〜詩集『言葉のない世界』(一九六二年)/「言葉のない世界」より)

「 1

 言葉のない世界は真昼の球体だ
 おれは垂直的人間

 言葉のない世界は正午の詩の世界だ
 おれは水平的人間にとどまることはできない

  2

 言葉のない世界を発見するのだ 言葉をつかつて
 真昼の球体を 正午の詩を
 おれは垂直的人間
 おれは水平的人間にとどまるわけにはいかない」

(『田村隆一詩集』〜詩集『四千の日と夜』(一九五六年)/「幻を見る人」より)

「空から小鳥が墜ちてくる
 誰もいない所で射殺された一羽の小鳥のために
 野はある」

(『田村隆一詩集』〜詩集『四千の日と夜』(一九五六年)/「四千の日と夜」より)

「一篇の詩が生まれるためには、
 われわれは殺されねばならない
 多くのものを殺さなければならない
 多くの愛するものを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ」

(『田村隆一詩集』〜詩集『1999』(一九九八年)/「美しい断崖」より)

「「どこにいても美しい断崖は見える」
 フランスの哲学者は
 そのプロポで語っているが
 ぼくには
 断崖そのものも見えない
 水平線や地平線
 ネパールの草原で月は東に陽は西に
 その平安に満ちた光景には
 心を奪われたくせに
 「美しい断崖」にはなってくれない
 きっとぼくの眼は
 肉眼になっていないのだ
 ただ視力だけで七十年以上も地上を歩いてきたのにちがいない
 まず熱性の秘密を探ること
 腐敗性物質という肉体のおだやかな解体を知ること

 (・・・)

 肉眼によって
 物と心とが核融合する一瞬
 一千万 百億の生物が瞬時に消滅したとしても
 この世には消えないものがある」

(『現代詩読本 田村隆一』(思潮社 2000/8)〜討議 北川透・三浦雅士・佐々木幹郎「肉眼へむかう閑感性の反乱————田村隆一の全体像」〜「「隠居」の思想」より)

「三浦/今回、『田村隆一全詩集』のゲラ刷りを(・・・)ぜんぶ読み返してみて強く感じたのは、はじめに一種の気合いで書いてしまったのが、時代と不思議な共振作用を起こしてしまって、それが田村さんの方向を強く規制してしまったんじゃないかということです。(・・・)田村隆一は時代が強いるそういう緊張を雰囲気的に一身に担ってしまった。そして、それを自分のなかでどんなふうに思想的に整理してゆくか、あらためて考えなければならなくなった。その過程がそのまま田村隆一の人生であった。八〇年代以降の詩の展開を見ると、良い作品と悪い作品の落差が激しい。それは、思想的、論理的に深めてゆくことがいかに難しかったかということだったと思いますが、そこで軸になっているのが、「隠居」の思想とでも言うべきものはないかと思いました。かつて日本の伝統の一部としてあった「隠居」の思想を、自分流にかたちづくっていく過程が、田村隆一という「詩人」のスタイルになった。いかに年をとっていくか、という思想ですね。
 それと関連しますが、田村さんは「垂直的人間」ということをあれほど言ったけれど、彼自身はとても水平的な存在だったと思う。垂直的な作品という感じはしない。レトリックとして垂直性に憧れたけれど、それはむしろ自分の水平性を乗り越えたいという願望として強調されていたわけで、思考が垂直的であるとは思えない。」

(『現代詩読本 田村隆一』(思潮社 2000/8)〜討議 北川透・三浦雅士・佐々木幹郎「肉眼へむかう閑感性の反乱————田村隆一の全体像」〜「モダニズムからの逆転」より)

「佐々木/唯一、田村隆一がモダニストとしての自分の仕事をひっくり返したことがあるとすれば、それはやはり「垂直」と「水平」という言葉にかかわると思います。春山行夫は、「水平」というのは、「感動的文学、ヒューマニズム文学」のことであると言い、萩原朔太郎らの作品傾向をここに含め、「垂直」は、自分たちがたっている「主知的、思考的な文学、換言すれば技術的な文学」であるという言い方をしたわけです。ところが、春山行夫が言った「主知的」というのがたんなる意匠にすぎない、という反省が戦後の「荒地」派の出発点で、鮎川さんは春山行夫批判をしたわけだけど、田村隆一は春山行夫の「垂直」を「水平」に、「水平」を「垂直」に逆転させたのではないでしょうか。それが戦後の田村隆一の出発点だったな、というふうにぼくには思えます。」

(『現代詩読本 田村隆一』(思潮社 2000/8)〜討議 北川透・三浦雅士・佐々木幹郎「肉眼へむかう閑感性の反乱————田村隆一の全体像」〜「他者なき美的スターリニズム」より)

「北川/田村隆一の垂直性がどこからくるかを考えるとおもしろい。だいたい三つぐらい根拠があると思う、ひとつは、戦前のヨーロッパの戦後意識で、これを鏡にするところからきたわけですよ。ぜったいに日本の戦後ではなかった。二番目は、「高村光太郎論」なんかに出ているんだけれども、日本を拒否するという思想ですね。そのために故郷を「癌細胞」としてとらえたところからきました。三番目は、戦争世代として、現実に存在できない、存在する場所がないという考えです。これが彼の垂直性、つまり超越の性格を決めたんだけれども、その戦後日本からの断絶や超越のありかたから、「殺戮」のイメージが降って湧いてくるわけです。「荒地」派全体に、「滅び」とか、「破滅的要素にひたれ」というスローガンがあるんだけど、田村隆一に特徴的なのは「殺戮」のイメージです・
(・・・)
 「殺戮」のイメージというのは、スターリニズムだと思うんです。対極的なのが鮎川信夫で、これは「祖国なき精神」ですからトロッツキズムですよ、完全に。毛沢東主義は谷川雁。これはあくまで戦後日本というシチュエーションのなかの政治性として見ればということですけどね。ところが田村隆一のスターリニズムは、イメージとしては「殺戮」だけど、どこがいちばん問題かというと————さっき「隠居」の考え方をきいてなるほどと思ったんだけど————他者のいないスターリニズムなんです。初期の場合は、詩学的なある種の完結性をもっているし、中期の饒舌な世界も、風俗をいっぱい採りいれて怪物的になんでも食べちゃうんだけれど、詩が一種の排泄行為になってしまった。いっぱい詩は書かれるけれども、どうしてそんなに生産できるかというと、本当の意味での他者がいないからでしょう。鮎川信夫の場合は、いつもだれかろ喧嘩するんですよ。鮎川信夫がイデオロギストであるのは、彼にはいつも他者がいるからです。他者がいる鮎川信夫には「転向」が非常に難しい。だから詩を書くのをやめて沈黙してしまうんですね。ところが田村隆一の場合は、他者がいないので、垂直性が崩れるとなんでも取り込んで排泄しちゃう。詩になっちゃう。ただ、それにもかかわらず、最期まで、このひとにとって「殺戮」のイメージというのか、この世界がまったく不毛な世界であること、そこだけは変わらないんです。」

(『現代詩読本 田村隆一』(思潮社 2000/8)〜討議 北川透・三浦雅士・佐々木幹郎「肉眼へむかう閑感性の反乱————田村隆一の全体像」〜「自壊という展開力」より)

「北川/かつて『四千の日と夜』と『言葉のない世界』であれだけ完結した世界をつくっていたひとが、それを壊して詩でないような詩をなぜ書けるか。

「三浦/なぜ書いたかといえば、彼は自分が詩人だと思っていたからなんだと思う。

 北川/いや、それは詩人だと思わなくたって書けますよ。詩人という観念から逃れて詩を書くことはいくらでもできる。詩人の観念で詩を書いているわけじゃないんですからね。
 だけど、彼の場合はそういう意味では、自分を壊していくことが生産力になっているようなところがある。そこの不思議さが田村隆一のおもしろいところだなと、そこは再発見なんです。」

(『現代詩読本 田村隆一』(思潮社 2000/8)〜討議 北川透・三浦雅士・佐々木幹郎「肉眼へむかう閑感性の反乱————田村隆一の全体像」〜「「荒地」の出発、田村隆一の出発」「江戸落語の世界」より)

「三浦/感性としてはあのひとはスターリニストではないと思う。根本的にリベラル。

 佐々木/ぼくは遊び人だと思うからさ。

 三浦/だからご隠居といったんだよ。

 北川/真面目な遊び人なんです、ある意味では。

 三浦/あれほど、五十前後からはっきりと隠居としての詩人————滑稽だとか奴隷だとかいろいろなことばでいうわけだけれど、それを実践していって田村さんは書いた。それが結果的に七〇年代、八〇年代、九〇年代に関して世相を写してしまった。いい意味においても悪い意味においても。

 北川/遊び人だけど、最期まで江戸情緒にはいかないでしょう。そこへの通路はいろいろ感じるけれども。
 佐々木/その土台は、すでに戦前のモダニストとしての田村隆一のなかでつくりあげられていたものですから、最初から切るふりをしようとすれば切れるんですよ。

 (・・・)

 佐々木/江戸情緒ではないかもしれないけれど、江戸落語の世界はもっているんですよ。

 北川/オチが必ず一行ついたりするものね。」

(前田速夫『谷川健一と谷川雁』より)

「鶴見俊輔が、雁没後、熊本の近代文学館で「谷川雁展」が開かれたとき、講演に呼ばれて面白いことを言っている。はしょりながら、引用する。

 《(・・・)
   彼が一九六〇年、日本の高度経済成長が始まろうとするときに「もう詩を書くのはやめた。瞬間の王は死んだ。詩を書いても、書いたそばからすぐてんぷらのように揚がっちゃう」と言った。「じゃあどうするの」って私が谷川雁に聞いたんだ。
   「みんなが俺を忘れた頃に、能を書くことから始める。なるほど、彼が書き始めた「能」というのが、あの宮澤賢治の物語であり、人体交響劇です。
   一九二三年に彼は生まれた。だけど生まれた時代からはみ出していたね。彼には古代人の夢、人間の夢があった。それにしても、よく頑張ったね。威張ることを別にして彼は存在することができなかった。それを考えるとなんとなくおかしいですよ。》

 いま、日本に、世界に、疫病が蔓延していて、終息が見通せないでいる。日本は、世界は、破滅にむかっていよいよスピードを速めているように思える。格差は広がる一方で、戦争の脅威は増している。地球環境は悪化し続け、民族同士の抗争には歯止めがきかない。二十世紀の後半から二十一世紀にかけて、世界史は激変につぐ激変で、底が抜けてしまった。戦後社会の空洞化もきわまったといっていい。これがさらに悪い世の中の到来であるとしても、だからといって私たちは、まだまだ絶望などしていられない。
 これを克服するには、政治や経済の利害に左右されないコミュニティを、個々人の心のうちに築くしかない。ただし、性急にそれを求めるなら、全体主義やファシズムを招く危険がある。そのことを、私たちは嫌というほど学んでいる。しかし、とはいえ、もはや水平の次元での思考だけでは、社会はどうにもならなくなっている。
 垂直の次元での思考をとりいれながら、それをどう水平の次元で実現していくか。それが容易ではないのは、二人の歩みを振り返るとよくわかる。しかし、可能性はここにしかないと知るべきだろう。二人の構想と思想をこれからどう受け継ぐか。それが私たちに課せられている。
 戦後、論壇を賑わした知識人たちはおおむね退場を余儀なくされてしまった。残ったのが、雁と健一の二人だ。あちらへぶつかり、こちらにぶつかりしたが、決して安易な妥協はしなかった。徒手空拳、たった一人橋の下で寝転んでいた野武士がやおら立ち上がったように、スマートでも、物分かりよくもなかった。だが、目の前の現実や日常にのみ目を奪われるのではなく、垂直の次元に自分の思いを届かせるには、言霊を通わすしかないと思い定めていた。精神の空洞化に抗するには、それしかない。私たちが二人から学べることがあるとすれば、そのことではないか。」

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