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ヨアン・P・クリアーノ『異界への旅—世界のシャーマニズムから臨死体験まで』

☆mediopos-2509   2021.9.29

異界とは
「この世の外」にある世界

本書は古代シャーマニズムから発し

メソポタミアの永生希求
古代エジプトの死後生
中国道教やヒンドゥー教・仏教
古代イランの霊魂離脱
ギリシアの巫医やプロティノスの神秘主義
メルカバーからカバラまでのユダヤ教神秘主義
フィチーノに到るプラトン的宇宙周航
イスラーム教の昇天や神曲などの
神話・伝説・宗教などに見られるものから

現代の体外離脱・臨死体験・幻覚剤による変性意識
そして多次元世界の研究にまで壮大に辿る
異界探求の霊魂の旅の貴重な資料となっている

異界とはどこにあるのだろう

「この世の外」にあるとはいえ
それはさまざまに異なった姿で体験され物語られ
またそれらはどこか通底しているところもある

おそらく異界への問いは
この世を問い直す旅でもある
そしてこの世とこの世の外を合わせ
世界はどこにあるのかという問いでもある

ふつうわたしたちは
素朴実在論的な世界に生きていて
この世の外の世界を
「異界」としてとらえるが
ではこの世とはいったいどんな世界なのか
という問いをもつならば
この世を単純素朴にとらえる世界観に
安住することはできなくなる

素朴な宗教的信仰を持つ者にとっては
素朴実在論的な世界観(物語る)と
他界・彼岸・あの世といった異界の物語を合わせ
生と死の世界をとらえることも多いだろうが
そうした単純な信仰を離れたとき
世界は謎そのものとなって顕れてくるはずだ

本書で紹介されているように
シャーマニズムからはじまる異世界への旅にせよ
現代的な物理学的世界への旅にせよ
そのあり方は違うとしても
どの世界観を生きるかによって
その異界の現れ方はさまざまに異なっているが

その現れ方が異なっているのは
それぞれの文化的なものの深みにある「元型」が
私たちの意識のスクリーンに
それぞれの物語を映しだしているからだろう
そしてそれはこの世でも同様に
だれにでも同じ姿として現れてはいない

死んで肉体を失えば
すべてが終わりだという
即物的で唯物論的な世界観もあれば
この世はマーヤ(幻影)であり
「この世の外」にこそ真実があるという
霊的世界観もあるが

異界を否定してこの世だけを実在するとすることも
この世を否定して霊的世界だけを肯定することも
深いところでは似た観方だともいえる

必要なのはまず
じぶんがどんな世界観をもって生きているのか
そのことに意識的であることだろう

すべてはマーヤ(幻影)であり
反対にすべては真実であるともいえるのかもしれないが
まずは人類最古から人間がどんな視点で
世界をとらえようとしていたかを知る必要がありそうだ

その意味でも本書『異界への旅』は
異界についての物語をさまざまに教えてくれる
貴重な資料となっている

■ヨアン・P・クリアーノ(桂芳樹訳)
 『異界への旅—世界のシャーマニズムから臨死体験まで』
 ( 工作舎  2021/8)

「人類最古の記録、ならびにもっとも「原始的な」文化の研究、すなわち原始的技術を用いた狩猟・採集民族の文化の研究によって、異界への旅が初期人類の関心事の最優先のものということが示された。文明の夜明けから現代に至るまでの異界旅行や他界観に関するおびただしい資料に接して、歴史家も認知論者も異口同音の疑問を発するであろう。異界の旅をしたというこれらの人びとは、実際にどこを訪れたのであろうか、と。しかしながら両者の期待する答えはいちじるしく異なっているのである。
 歴史家は文字によると否とにかかわらず記録を蒐集し、人びとが探検したと称するあらゆる異界について、その文化的枠組の範囲内において記述しようと試みる。」
「認知論者は歴史家の集めた資料を用いて、これら異次元探検家の主張の真実性を検証しようとする。すなわち、認知論者の提出する疑問とは以下のようなものであろう。数限りない人びとが訪れたと称する、これらの世界の実在性とはどういうものなのか? これらの世界はわれわれの「自然宇宙」の一部なのであろうか? それとも「平行宇宙」なのであろうか? あるいは「心的宇宙」なのであろうか? そしてこれらのいずれの場合にも、いかにしてこれらの世界に到達できるのであろうか?」

「歴史的にみると、異界探求者が訪れた光景の在処について与えたもっとも一般的な説明は、われわれの属する「自然宇宙」の内部にあるとするか、あるいは「平行宇宙」の一部であるとするかの、いずれかである。このような「平行宇宙」についての完全な記述を与えるのは、宗教の役割であった。初期の哲学というものは、そのような営為の合理化から生じたものである。古代から現代に至るまで、死者と霊魂離脱者は死後生を経験するものとみなされてきた。死者が蘇生して、死後の生がいかなるものであるかを語るのに対して、ジョージ・ギャラップ二世が名づけた「死後生への窓口」は、たいていの場合、生きたままの人間が人身事故や出産、外科手術、治療のさいの施薬や麻酔投与、院外での発病、犯罪検査や「宗教的ビジョン、夢、予知や他の霊的体験」などの結果として見たものを語ることによって得られるのである。
 異世界旅行や他界観の問題に対する数々の心理学的接近の共通分母は、それらがある一事において、そししてその一事においてのみ、一致している点である。すなわち、そのようにして探求された宇宙が「精神宇宙」であること、換言すれば。これらの宇宙の現実性は探求者の心のなかにあるということである。不幸にして、いかなる心理学的探究心が現実にどいうものであるか、とりわけ「精神空間」というものはいかなるものであり、どこにあるかということに対する十全な洞察を与えることはできないように思われる。」

「複数の理由によって、人間の「精神空間」は驚くべき性質をもっている。そのうちのもっともいちじるしいものは、人間の「精神空間」が、周囲の「物理宇宙」のような三次元に限定されるものではないという性質である。われわれが内なる「精神空間」(…)に入っていくとき、自分の行く手が実際に分からないのである。われわれの心のなかには、夢や変性意識が連れていけないような場所はない。にもかかわらず心理学者は、われわれが経験するものは個人的経験か、誕生のときにすでに心のなかに存在したものと密接に結びついているという。このような説明は、いずれも個人の性的欲望や衝動の抑圧と考えるにしても、集合的無意識と考えるにしても、問題を含んでいる。これらは検証不可能な仮説に立っていて、心が実際にいかなるものであるかという問題を完全に無視しているので、究極的には役に立たない。精神分析学がわれわれにもたらす「無意識」や「こころ」に関するあらゆる漠然たる話は、シャーマニズムの儀式や箒にまたがった魔女の空中飛行の現代版にすぎない。このような場合にはすべて、われわれがシャーマンや魔女の前提を共有するかぎりにおいて妥当する手続きや職業的解釈を扱っている。にもかかわらずこれらの説明の普遍妥当性は大いに疑問なのである。たとえばわれわれは、夢やヴィジョンがどこから生じ、それらが何から構成されているかというような基本的問題に答えることができないかぎり、夢がいかなるものであるかということを実際に理解することができないのである。
 仮に「精神空間」をその不可思議な「精神物質」とともに、われわれに外在するものとして知覚される世界と平行する、独自な宇宙として記述するとしても、この両者はさまざまな程度に相互に依存しあっているのである。すなわち、外なる世界は、これを知覚する「精神宇宙」なくしては存在し得ず、しかもこの「精神宇宙」が逆に、この知覚作用から形象(イメージ)というものを藉りているのである。このようにして、少なくとも「精神宇宙」の情景と記号は、現実の認識作用の構造に依存しているのである。蜜蜂の内面世界は、イルカや人間のそれとは完全に異なっている。」

「認知的伝達は歴史的なものである。しかしそれはつねに古い信仰の見直しを前提としている。それゆえにまた絶えざる記憶の過誤、抹殺、革新が生ずる。多くの場合、哲学はこのような一定数の法則の組み合わせのもつ含意を考え抜く組織的な試みにほかならない。このようにしてたとえばプラトン主義は、ある一つの問題の探求から生じるあらゆる種類の論争を解決しようとする試みとなる。プラトン主義者は天上のあらゆる範疇を描き、霊魂の肉体から肉体への転移である「輪廻転生」の問題に答えようとする。応答の組み合わせが多様なのは明らかである。そして議論決着をつけるには権威の力を藉りるしかない。
 直接経験や直接の遭遇の例証は信仰の権威を高める。異界の旅の報告が、人類の多くの伝承に豊富に見られるのはこのためである。過去の尊敬すべき人物による啓示に接すると、われわれはその真実性を疑問なく受け入れがちなのである。正当性への要求は、ヘレニズム時代を通じての黙示録的偽典や秘教的啓示の盛行を説明するものである。
 異界に関するすべての歴史資料を蒐集することは途方もない仕事であり、かつて試みられたことのないものである。筆者は、このテーマに関する最近の一般的関心事の深さを物語る章から始めて、地理的、年代記的にあらゆる伝統を提示すべく取捨選択した。これらの異なった伝承のあいだの深い類似性と、異界への旅の一般法則の形成にあたっての、最近に至るまでのシャーマニズムの圧倒的重要性をいかに評価するかは、読者の判断に委ねる。」
「人間の心のあいいだの相互作用の複合的な過程は、われわれの多数が旧石器時代を遡って、さらにホモ・サピエンスの黎明に達する幽暗な根源を有しているという認識をすら抱かせるのである。「異界への旅」は、人類のもっとも強固な伝統の一つであるという点で、このたぐいの信仰に属するように思われるのである。」

《目次》
頌辞…ローレンス・E・サリヴァン
序論
第1章 四次元探求のための歴史家の旅支度
第2章 遊離霊魂は遊離霊魂を求める…シャーマニズムの輪郭
第3章 暗黒の財宝…メソポタミア宗教の永世希求
第4章 人形・劇場・神…古代エジプトの死後生
第5章 中国道教における鶴駕、霊魂飛翔、幽婚説話
第6章 心への旅…佛教と三界流転
第7章 熱狂から霊的幻視へ…古代イランの霊魂離脱
第8章 ギリシアの巫医
第9章 七つの神殿と神の戦車…メルカーバーからカバラまでのユダヤ神秘主義
第10章 惑星間旅行…プロティノスからフィチーノに至るプラトン的宇宙周航
第11章 天界帰昇の極致…ムハンマドからダンテへ
結論

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