見出し画像

小川 真『きのこの自然誌』/高原英理『日々のきのこ』

☆mediopos2626  2022.1.24

きのこは不思議である

きのこを知らないひとはいないだろうが
きのことはいったい何なのか
「きのこは何を語ろうとしているのか」という問いに
明快に答えられるひとはあまりいそうにない

そしてそのきのこのわからなさこそが
きのこを魅力的にしているともいえる

伝説のきのこ博士といわれた
きのこ学の第一人者・小川真の名エッセイ
『きのこの自然誌』が文庫化されたが
(残念ながら著者はこの刊行を待たずに
昨年亡くなっている)

その小川真氏が大先輩になるという
解説の藤井一至(森林総合研究所・土の研究者)によれば
「つくばの研究所に向かって下駄をはいて自転車をこぐ
白髪頭の男の姿に「ゲゲゲの鬼太郎」」を見たと
思った人もいたという」

そんな小川氏の個性的な姿も魅力的そうだが
本書で語られる
ひそやかに光るきのこ
きのこ毒殺人事件
ナメクジは胞子の運び屋
などの話もとても魅力的で
本書には氏が描いたきのこの絵も多数収録されていて
氏のきのこへの思いがそこからも伝わってくる

きのこをふくむ菌類学のことを
マイコロジー mycologyといい
その名は古代ギリシャ語の
たべられるきのこを意味する
ミュケースからきているようだ

分類のむずかしいきのこを植物の仲間としたのは
アリストテレスの弟子のテオフラストスとのことだが
その後近代的な生物分類学をつくったリンネも
きのこをどう分類すべきか混乱していたようだ
その後ブリエールやペルスーンという大家が
植物に入れておくのが無難だとしたという

十八世紀になって顕微鏡が発明され
微生物が発達するようになったものの
菌類学の主流は植物病理学や発酵醸造学であって
きのこの研究はアカデミズムの主流からは外れてしまう

詳しくは知らないが日本でも
大学の理学部には菌類学講座はなく
微生物を教えるところすらないというのが現状で
医学部や農学部のなかで生物学や菌類学としてではなく
細菌学や医真菌学・植物病理学や発酵醸造学・農芸化学など
として教えられているだけだという

大学では役に立ちそうなことは研究されるが
生物学の祖でもあるアリストテレスが
哲学のはじまりにみた「驚き」は
いまや学問としての研究場所にはないらしい

いまや「論理国語」というように
言葉さえ役に立つか立たないかで
分けられるようになったくらいだから

おそらく人間もこれから
そのように直接役に立ち分類しやすい人間と
そうでない分類のできない人間に分かれていくのかもしれない

しかしおそらく後者の人間こそが
「驚き」と「想像力」で
未知の世界をひらいてゆくのでははないかと
ひそかに思っている

ちょうど高原英理がそうした
よくわからないきのこゆえの幻想を
たくましくして書かれたであろう魅力的な物語
『日々のきのこ』もでていたので
あわせてご紹介しておきたいとおもった次第

きのこもずいぶん変だけれど
それ以上に人間という存在はずいぶん変なのだ
決して論理や科学のものさしだけで測れたりはしない
だから人間は人間でいられる
きのこの魅力が尽きないように

■小川 真『きのこの自然誌』
 (山と渓谷社 ヤマケイ文庫 2022/1)
■高原英理『日々のきのこ』
 (河出書房新社 2021/12)

(小川 真『きのこの自然誌』〜「新装版によせて」より)

「この本を書いた頃は「きのこって、何とおもしろい生き物か」と思っていた。しばらくして「いったい、きのこって何だろう」と考えはじめた。ようやく「きのこはどうやら森林に生まれた新しい生物で、腐生からスタートし、第三紀になって繁栄しだした特定の樹木のグループと共生する方向へ進化したらしい」と、一応納得できる答を見つけたつもりでいた。ところが、ここ数年「きのこは何を語ろうとしているのか」と、とまどうことが多く、またぞろ悩みはじめた。
 先日、「ショウロの取材をしたいので」といわれて、あちこち尋ねてみたが、今はもうとれる所も料理を出している所もない。マツタケはご存知の通り輸入品にかわり、ハツタケやアミタケすら見なくなった。西日本のマツ林は枯れてシラカバ林のようになり、岩山や砂丘でも枯死しつづけている。東北、北陸、山陰の雪が多い産地ではブナやナラが枯れ、九州や紀伊半島ではシイやカシが、高い山ではモミやツガが枯れている。いずれもきのことと菌根をつくる種類で、木が、きのこのどちらかが死ねば共倒れになる仲である。弱り始めた林からはきのこが姿を消し、明らかに細い根は腐っている。
きのこのように試練をうけた回数の少ない新しい生物ほど、自然の変化には敏感なはず。きのこは今、その姿を消すことによって私たちに何かを告げようとしているのでは・・・・・・。もし、きのこが地球温暖化や環境汚染の予言者だったとしたら・・・・・・。と考えると、きのこの姿がまた変わってみえてきた。かれんなきのこが黙示録の天使に変身しないことを願うのみ。
 ほんの数十年の間にも正しいと信じていたことが、あてにならなくなる、つぎつぎと不可解なことが現れる。きのこに限らず、生物とはやはり「未知の科学」に属するものかもしれない。
(一九九七年三月三日 宇治川のほとりの研究所にて 小川真)」

(小川 真『きのこの自然誌』〜「おわりに −−−− きのこと菌類学」より)

「菌類学のことをマイコロジー mycology というが、マイコ myco は古代ギリシャ語のミュケースからきている。種類まではわからないが、ミュケースというのはたべられるきのこの名前だったといわれている。」
「近代科学の源流をさかのぼっていくと、古代ギリシャにたどりつくことが多いが、菌類学もこのあたりからきている。現代の分類学でも菌を「真菌植物門」という名で呼んだり、きのこを植物の一種として教えている人もあるが、このやり方は紀元前三〇〇年頃の知識から一歩も出ていない。
 きのこを植物の仲間にした最初の人は有名なアリストテレスの弟子で、リュケイオンの二代目学長を勤めたレスボスのテオフラストスである。師のアリストテレスが生物学、なかでも動物学を始めたのを受けて、真面目なテオフラストスは植物学や農学の礎をおいたといわれている。」
きのこを表す漢字、菌、蕈、芝、芮などにはいずれも草が生い茂るようすを示す草冠がついている。おそらく、中国古代の人もきのこは植物と思っていあたらしい。大昔から薬草学である本草学がよく発達していたので、菌のこよもよく知られており、出る場所によって、土菌、木菌、石菌などに分けられていた。もっとも、時にはきのこが鉱物にまぎれこんだりもしているので、やはり扱いにとまどっていたものとみえる。」
「近代的な生物分類学をつくり上げたリンネは一七五一年に『フィロソフィア・ボタニカ』という本を出したが、そのなかで菌を鉱物、植物、動物のどれに入れるか迷っていた。ある人は植物といったり、動物といったり、地衣やこけと一緒にする人もいたりと、当時は相当混乱していたらしい。その後、ブリエールやペルスーンという大家が植物に入れておくのが無難だという結論を出したのである。
 十八世紀の顕微鏡の発明は、生物学に革命をもたらし、菌のこともよく知られるようになった。(・・・)必要は発明の母、役に立つ微生物学はどんどん発達史、植物病理学や発酵醸造学が菌類学の主流となり、きのこの研究はもの好きがやる趣味の研究か、きのこ栽培という投機的な仕事と思われるようになっていった。」
「日本の菌類学の発達史は生駒義博氏によって『菌蕈』のなかに連載されているが、その歴史はきのこに似て、ひそやかである。今に至るも、生物学全般を扱うべき大学の理学部には、一つの菌類学講座もなく、微生物を教えるところすらない。微生物学や菌類学は細菌学や医真菌学、植物病理学や発酵醸造学、農芸化学などに姿を変えて医学部や農学部のなかに根を下ろし実学としてめざましく発展した。
 ところがその陰で基礎となる一般菌類学は忘れられ、生物としてのきのこを教えてくれるところは、日本じゅう探してもほとんどないにひとしい状態になってしまった。」
「科学を志す人はつねに新しいことに情熱をそそぎ、より基本的なものを追い求めようとする。気づかぬままにその時代の潮流に乗って、ファッションを追っている。ファッションにならなかったものは時代遅れ、わかったものとしていつまでも置き去りにされる。きのこは、いつも微生物学のバイパスを歩いてきたのである。
 きのこは、目に見える数少ない微生物の一つであり、ギリシャ、ローマの昔から菌類学の原点でもあった。糸状細胞で体をつくる真菌のなかでは、高度に発達した生活法をもち、あらゆる場所に広がり、寄生、共生、腐生などの生活を通じて自然の成り立ちに深い関わりをもっている。菌類や微生物を理解するというだけでなく、生物の生活を広くとらえるためにも、決して忘れてはならない存在である。」
「せめて手元にあるきのこぐらいは知りたいものと思ってやってきたが、きのこ狩りに夢中になるほどにわからないことがふえてきた。人のやらないことをやってみようというへそまがりの同志が、一人でもふえることを願って筆を置く。(・・・)
(一九八二年七月二六日 小川真)」

■小川 真『きのこの自然誌』の内容

新装版によせて

1きのこの形、きのこの成長
雷の落とし子/天地無用/ユダの耳/きのこに根はあるか/異常気象とショウゲンジ/マツタケ前線は南下する

2毒きのこ、薬になるきのこ
ひそやかな光/笑うきのこ/きのこ殺人事件/聖なるきのこ/ものは使いよう/ありがたいきのこ

3胞子の世界
産めよふやせよ/ひと夜の命/くさい奴/運び屋のナメクジ/お腹を空かしたチップモンク/ブタの好物

4菌糸・菌根のこと
城をきずく/山が吹く角笛/生きている化石/靴のひも/ぶくりょうつき

5きのこの栄養のとり方
シメジあれこれ/ランに食われる/落葉を食べる/由緒正しいヒラタケ/居候/きのこ糞尿譚

6きのこの分布・きのこの生態
きのこ狩り/コスモポリタン/追われるハツタケ/ヒョウタンから駒/クリのポックリ病

おわりに―きのこと菌類学

解説 藤井一至


■高原英理『日々のきのこ』収録作

「所々のきのこ」「思い思いのきのこ」「時々のきのこ」

■高原英理『日々のきのこ』【推薦文】

「ばふんばふん、ぽこんぽこん、がやがやごよごよ。きのこの放つかわいい・こわい・安心の胞子が世界人類に満ちますように。」 ――岸本佐知子さん

「きのこ。きのこは変な生き物。でも、きのこより、変な人がいっぱいいるって、私は人なのに思う。私もきのこなのかも。」 ――最果タヒさん

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?