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田熊 隆樹『アジア「窓」紀行 上海からエルサレムまで』

☆mediopos2972  2023.1.6.

本書は上海からエルサレムまでアジア・中東を旅行し
「その中で出会った建築、
とりわけ普通の人々が住む家(=民家)について、
そして全体を通して「窓」に注目し」て書かれたエッセイである

著者・田熊隆樹は建築家であり
写真やスケッチ・図面とともに
どういう理由があってそれぞれの居住空間等がつくられ
「窓」がそこでどのように設けられているのかについて語られている

ここでいう「窓」は
建築物の開口部としてのそれというだけではなく
「出入り口や柱間、穴、くぼみ、中庭など」
室内と外を隔てるものでもあり
また外へとつなげるものでもある建築の部分として
広義にとらえられているが
そうした「窓」を見ればその土地のことが分かるというが

さらにアジアから中東を旅するなかで
「会ったこともない人たちが別々の場所で
似たようなものをつくり上げてしまう」ことに注目し
「窓からのぞいたアジアは、たしかにひとつではないが、
そんなにバラバラでもない」という

人が生活する空間としての住居の形は
その気候や風土に応じて作られるが
それだけではなく
「人間の土地や文化への向き合い方に共通する
「くせ」のようなものがある」というように
多様性とともにそこに普遍性を見出すこともできるということだ

建築が興味深いのは
それを作る人間と照らしあっていることだ

人間が建築空間を作り
その建築空間を生きることで
人間はまたそこで作られていく

特に伝統的な建築空間では
そうしたありようが強くあらわれているが
著者は現代の私たちの生活している住居について
「今、多くの家は各部屋が目的、または個人に割り当てられ、
均質な窓がなんとなくそれぞれの部屋をぼーっと明るくしている。
あるいはそのような家の中で暮らし続けていると、
人は生きていく上で一体なにが大事なのか、
そういうことがわからなくなってしまうのかもしれない」
そう危惧してもいる

建築空間だけではなく
表面的には「個」「個性」を求めながら
その実すべてが均質化してしまい
そのなかで商品化された「差異」だけを
享受するだけになってしまいかねない時代

つまり同じ「窓」から
ほとんど同じ「風景」しか見えず
その「窓」も「風景」も
ただ与えられ教えられたものだけになるように
管理社会化されて・・・

しかし人間はそうしたなかでこそ
あらたな形でみずからの「窓」を
開いていかなければならないのかもしれない
そしてそこからあらたな空間を創造してゆけるように

■田熊 隆樹『アジア「窓」紀行 上海からエルサレムまで』
 (草思社 2022/12)

(「はじめに」より)

「この本は、僕が2015年から2016年にかけておこなったアジア・中東旅行の記録である。いろんな国に行ったが、その中で出会った建築、とりわけ普通の人々が住む家(=民家)について、そして全体を通して「窓」に注目し、旅行記を組み立ててある。」

「訪れた国は、中国、ラオス、タイ、カンボジア、スリランカ、インド、台湾、イラン、ヨルダン、エジプト、そしてイスラエル、途中一時帰国をしたけれど、旅をしていた時間は合わせて8ヶ月くらいだった。中国は2ヶ月、インドは1ヶ月強、イランは1ヶ月と、とくに惹かれた国には長く滞在した。」

「この本には名物の食べ物についての紹介は少ないし、交通や宿など旅の情報が書いてあるわけでもない。個人的な旅の断片を、「窓」という視点でつなぎ合わせた本である。」

(「エルサレム 聖地の生活」より)

「この旅では、あらゆる場所で普通に生きている人たちを見てきた。普通に生きていることは、美しかった。
 日本に帰ったら、家族も友人も、同じように、普通に、生きていた。」

(「窓からのぞいたアジア、二度目の旅」より)

「2016年に「旅と窓」についてのエッセイを書く機会を窓研究所からいただいて、思いもよらず連載は5年近くも続いた。「窓」というテーマをもってはいるが、その扱う範囲はウインドウとしての窓にとどまらず、出入り口や柱間、穴、くぼみ、中庭など、かなり自由に広い意味で捉えている。何かと何かを隔てる、あるいはつなげるための建築の部分、といった具合の認識である。しかし窓というテーマが接着材となって初めて、このバラバラな旅の記録はなんとかひとつのかたちをもつことができた。

 この本で紹介した建物、街、人々は偶然出会ったものばかりである。文章を書き始めた当初も、それぞれがバラバラな場所と窓について書いていくつもりだった。
 ところが書き続けていくうちに、離れた土地同士にも似通った窓があったり、様々な建築部位が同じような原理で立ち現れたりしていることに気づいた。

 たとえば中国・新疆ウイグル自治区のトルファンの民家は、壁の上部にレンガを積み上げスキマをつくり、そこから庭に屋根が架けられていた。「浮いた屋根」と名付けたこの工夫は、同じく砂漠環境であるイラン・ヤズドのように、地下水路や中庭、貯水槽につながる塔などに設けられた開口部に見られる、建築が地上の厳しさから身を守り「呼吸」するための方法のひとつだったと考えることができる。あるいは、同じくイランのエスファハンで見た、プライバシーへの配慮から生み出されたイスラムの街づくりの習慣からも説明でききる。さらにエジプト・カイロに行くと、トルファンで見た住宅の屋根がそのまま都市スケールに拡大され、バザールの屋根になっているものにも出くわした。これらは皆、文章を書いていくことで後から気づいたものである。
 またインド・キナウル地方の「張り出しの村」では、石とヒマラヤ杉を交互に積んだ重量感のある壁面に開いた小さな窓と、そこから張り出された木造部分の自由で大きな窓の対比が印象的だった。そのように「暗く暖かい空間」と「明るく開放的な空間」を同時にもつことは、厳しい環境で生きていく上で、どうやらかなり重要な知恵らしい。
 同じように、イラン・東ギーラーンの「地面に置かれた家」では、冬場の寒さに対応するための「窓の少ない室内」とその周りを囲う「半外部の幅広い空間」がセットでつくられていた。思えば、トルファンの人々が冬はレンガの家に籠もり、夏は中庭の大きなベッドで眠るのは、2つの空間が夏と冬のぞれぞれで、まったく別の家として独立しているようなものだ。年間の寒暖差が家を分離させたわけだ。
 さらに、おそらく近年の衛生観念や治安の変化によって生み出されたものとはいえ、エルサレム旧市街のベランダが付加された古い石造の家も、そういう2つの空間を同時にもつ建築といえる。聖地の都市とインドの田舎で似たような風景が発生しているのは、なんとも興味深い。
 「暗く暖かい空間」と「明るく開放的な空間」をもつということ。それは生活に序列をつける作業であり、大事なものを見きわめるということだ。キナウルの「ババ」(もうババになっているだろう)はそれに意識的な人だった。もちろん、日本の伝統建築もかつてはそういう序列をもっていやはずだ。ところが今、多くの家は各部屋が目的、または個人に割り当てられ、均質な窓がなんとなくそれぞれの部屋をぼーっと明るくしている。あるいはそのような家の中で暮らし続けていると、人は生きていく上で一体なにが大事なのか、そういうことがわからなくなってしまうのかもしれない。

 一方、窓そのものを見つめる中で、窓が建築から独立して存在していることに気づかされた例もいくつかあった。イランのマースレーでは、村及び建物の古さゆえに、窓と建築の更新のタイミングが「ずれる」ことで、様々な時間軸をもつ窓が同居し、豊かな風景をつくり上げていた。「村が古い」ことが窓の多様さに表れていたといえよう。
 さらにまたある場合には、窓こそが外部文化の流入する特異点になる。東チベットのラルンガル・ゴンパはまさにその現代版である。僧侶たちのセルフビルドの丸太小屋の中に、大量のアルミサッシがギラギラと輝いているのは象徴的な光景だ。そして旅の最初の頃、初めて上がらせてもらった中国・烏鎮の民家では、観光地開発の一方でつくられた小さな新興住宅に、古い木扉が持ち込まれていた。これもマースレーの例と同じく「ずれた」存在であるといえるだろう。建物の構造は変わっても、彼らの窓辺には過去の習慣や空気が残るのである。

 離れた場所が関係づけられていくこと。このことに、アジアの旅をもとに、窓についてのエッセイを書き進めてきたことに意義があったように思う。
 何千㎞も離れたこれらの土地に住む人々は、互いに顔も見たことがないはずである。それでもなお、会ったこともない人たちが別々の場所で似たようなものをつくり上げてしまうのは、特定の気候風土への対応といった理由だけではなく、人間の土地や文化への向き合い方に共通する「くせ」のようなものがあるからなのだと思う。あるひとつに「やり方」はまず隣の人に共有され、気づかぬうちにゆっくりじっくりと他の村へ、国へ、広がっていったはずである。そうやっていろんな人のやり方が、そぎ落とされ、普遍的なものとして残ってゆくのだろう。
 窓の「多様さ」を紹介するつもりで書き始めたエッセイだったが、窓からのぞいたアジアは、たしかにひとつではないが、そんなにバラバラでもないのだった。」

〈目次〉

01 窓から生える鉄の棒 上海
02 「景区」外の家 烏鎮
03 地下の都合 張村
04 浮いた屋根 トルファン
05 天窓の部屋 タシュクルガン
06 赤いスリバチ ラルンガル・ゴンパ
07 ズボンを履いた家 カンゼ・タウ
08 洪水と床 シェムリアップ
09 張り出しの村 キナウル地方
10 かくれた穴 キッバル
11 家を〝置く“ 東ギーラーン
12 都市はバザール タブリーズ
13 砂漠で呼吸する ヤズド
14 ずれる窓 マースーレ
15 宗教と街 エスファハン
16 地球のお腹の中 ペトラ
17 アーチに向かう カイロ
18 聖地の生活 エルサレム

◎田熊 隆樹(たぐま・りゅうき)
1992年東京生まれ。早稲田大学大学院建築学専攻修了。大学院休学中にアジア・中東11カ国の建築・集落・民家を巡って旅する。2017年より台湾・宜蘭(イーラン)のFieldoffice Architectsにて美術館、公園、駐車場、バスターミナルなど大小の公共空間を設計している。ユニオン造形文化財団在外研修生、文化庁新進芸術家海外研修制度研修生。

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