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覚和歌子『覚和歌子詩集』/エミリ・ディキンスン『わたしは誰でもない―エミリ・ディキンスンの小さな詩集』

☆mediopos-3059  2023.4.3

覚和歌子の詩を知ったのは
映画『千と千尋の神隠し』の主題歌
「いつも何度でも」(二〇〇一年)で
詩集『ゼロになるからだ』(二〇〇二年)なども
読んだりしていたが

久しぶりにその名を目にしたのは
映画『土を喰らう十二ヶ月』の主題歌
沢田研二の歌う「いつか君を」だった

本書『覚和歌子詩集』の巻末にある年譜をみると
一九八九年以来沢田研二の歌う曲の詩を
五〇曲作詞しているとのこと
(アルバム『A Saint In The Night』(一九九一年)
 『Beautiful World』(一九九二年))
その後木村弓と知り合って
「いつも何度でも」が作られることになる

『覚和歌子詩集』に寄せた川上弘美のエッセイにあるように
その詩は「優しい言葉で書かれているにもかかわらず、濃密」
そして読むたびごとに「いくつもの感情をよびさましながら、
こちらの体や心に知らぬ間にしみこんでくる」

難しい言葉で書かれすぎていたり
一見難解な内容が刻まれていたりする詩は
その言葉の壁にはねかえされて
「こちらの体や心に」とどかないことが多いけれど
覚和歌子の詩はいつのまにか
「こちらの体や心」のなかで働きはじめたりもする
たとえば「ゼロになるからだが 耳をすませる」
といった言葉が深いところにとどいてくるように

覚和歌子の詩と似ているというのではないけれど
なぜか手に取りたくなって
エミリ・ディキンスンの詩を読み始めた

覚和歌子の詩の言葉も
いつのまにかぼくのなかでリフレインしはじめるが
エミリ・ディキンスンの詩もおなじだ

ここ数年ディキンスンを繰り返し読むようになった
手元にはいくつかの訳詩集があり
全詩が訳されたものもあり
ときにもとの英語も参照したりもするが

今回『覚和歌子詩集』とあわせてとりあげてみたのは
川名澄訳による『わたしは誰でもない』
と題された訳詩集である
十数年前に上梓されていたものが
二〇二一年に改訂増補されている

そのタイトルにもなっている詩
「わたしは誰でもない」と
「負けるのは 勝つからだ」
「真実をすべて語りなさい」を紹介してみた
これらはアフォリズムや皮肉のはいった
なかなか意味深長な詩である

エミリ・ディキンスンの詩は
こうしたものだけではなくさまざまだが
どれも比較的短い言葉で表現されていて
まるで短歌のような印象もあったりする

そしてそれらの詩もまた覚和歌子の詩のように
読むたびごとに「いくつもの感情をよびさましながら、
こちらの体や心に知らぬ間にしみこんでくる」

「わたしは誰でもない あなたは誰ですか」のように

■覚和歌子『覚和歌子詩集』
  (ハルキ文庫 角川春樹事務所 2023/3)
■エミリ・ディキンスン(川名澄訳)
 『わたしは誰でもない―エミリ・ディキンスンの小さな詩集』
 (風媒社 2021/8)

(『覚和歌子詩集』〜川上弘美「エッセイ しあわせ」より)

「覚和歌子さんの詩は、優しい言葉で書かれているにもかかわらず、濃密です。言葉につながれた次の言葉、そしてさらに次の言葉が、一つの意味だけではなくいくつもの意味をなし、さらに連想を広げてゆくからです。この詩集の、どの詩もわたしには印象的なので、ただ一つの詩だけについて何かを言うだけではまったく足りないのですが、けれどそれではすべての詩について何かを言う必要があるかといえば、それも違う気がします。
 まず一つの詩を読み、二つ目の詩も読み、三つ目の詩も読むうちに、ことなる景色や場所や時間が語られているのに、それらすべてはどこか同じ遠い場所へとつながってゆくような心もちになるからです。それがいったいどんな場所なのか。おそらく作者である覚和歌子さんにもわかっていないかもしれません。それは誰もが知っていて、記憶の中にはたしかにあるのに、この世の誰一人届いたことのない場所なのかもしれません。あるいは、誰も知らないのに、夢の中でだけいつか行ったことのある場所なのかもしれない。
 今、ぱらりとこの詩集をめくってみて開かれたのは、「空への予言」という詩のページでした。この詩の意味を、今日わたしは恐ろしいと思いますが、一か月後に読めば、なんと優しいと思うかもしれません。一年後には、なんと哀しいと感じるかも。詩集を閉じ、ふたたび開いたときにあらわれたのは、「死にそうな日の笑い方」という詩。「忘れられたキャベツのように」という言葉に、少し笑います。それからこ、この詩の中の「僕」に同情しつつ、いったい「僕」は何をめざしているのかなあ、と思いながら最後まで読めば、「僕」の深さにいつの間にかうたれているのです。
 そのように、いくつもの感情をよびさましながら、こちらの体や心に知らぬ間にしみこんでくるのが、覚和歌子さんの詩なのだと思います。読んだその夜には、今までみたことのない夢をみるかもしれません。明日起きた時には、朝日の色がちがってみえるかもしれません。そんな、詩なのです。」

(『覚和歌子詩集』〜「知らない町」より)

「 あの角を曲がると
  知らない町に着く
  知らない子どもが住んでいて
  知らない言葉を話してる
  知らない花が香って
  知らない歌が聞こえてくる
  知らないことがあるのはうれしい
  明日が待ち遠しくて
  たまらなくなるから
  知らない町が あるのはうれしい
  わたしが知らない誰かになれる」

(『覚和歌子詩集』〜「空への予言」より)

「 静けさは戻るだろう
  沈黙が届ける空気のかすかなふるえ
  ひそやかなものを受け止める気持ちが
  あなたを誰かに 強くつなぐ
  その日も空は青いだろう

  愛は思い出されるだろう
  もらい取るばかりだった ちからを
  贈り物にもできる自分を知って
  あなたは おどろく
  その日も空は青いだろう

  目覚める知恵が あるだろう
  わずらいは消えないのに ほほ笑む時間は長くなる
  終わりも始まりもないという言葉に
  細胞のつぶつぶは満たされて
  その日も空は果てないだろう

  初めての花や樹が目立たぬように現れる
  古い歌と聞きなれぬ歌が呼吸とひとしく日々をうたう
  恋人がねだるキスの雨は
  この星のおまつりの最初の儀式

  そっとその日はくるだろう
  津波も隕石も引きつれず
  絶対時間をくつがえし
  空がほんの少しすきとおったこと以外は
  何ひとつ変わらない風景のままで」

(『覚和歌子詩集』〜「死にそうな日の笑い方」より)

「 止まない雨の午後は 静かすぎるよ
  毛布の中で 今日が終わった
  手放すものの大きさを
  みんなあとから 思い知るんだ

  すごい朝焼けとか 音楽とかで
  塗りかえたいよ 僕をまるごと
  もうしばらくは 死んだフリ
  忘れ去られたキャベツのように

  今ごろ君を乗せた列車は走る
  流れの速い川に沿って
  もう海が見えるだろう 目の前に

  うたれづよさには 憧れるけど
  ひりつく胸で 僕は行くだろう
  他人より濃ゆく 生きるから
  ゼイタクなんだと 思えたりして

  今ごろ君を乗せた列車は走る
  流れの速い川に沿って
  海を目ざすよ

  ここじゃなくていいから 遠い町でいいから
  君も誰かをはげしく
  くるおしく愛してて 愛してて」

(『覚和歌子詩集』〜「このたたかいが終わったら」より)

「 このたたかいが終わったら
  友だちをさそっておむすび持って
  町でいちばん高い山にのぼろう
  はればれと見下ろす
  生まれたばかりの町の
  とどろく産声を聞こう
  おしまいまでやりとげた充実で
  胸をいっぱいにしよう

  (・・・)

  このたたかいが終わったら
  大きな声でうたおう
  消えいる心を支えてくれた歌
  それよりももっと大きな声で
  これでもかと泣こう
  胸をしばっていたかなしみを空に放して
  今度こそ夢も見ないでぐっすりと眠ろう」

(エミリ・ディキンスン『わたしは誰でもない』〜川名澄「あとがき」より)

「ディキンスンは一九世紀のアメリカの詩人です。一八三〇年にニューイングランドの田舎町アマストの旧家に生まれて一八八六年にアマストの自宅で一生を終えた女性。
 生前は詩人として無名の存在でしたが、死後におびただしい量の詩が発見されたので、世間があっと驚きました。二〇世紀になって作品の文学的評価が飛躍的に高まり、現在では余りかを代表する女性詩人と位置づけられています。
(・・・)
 ディキンスンが隠遁者のような生活をみずから選択した理由については、よくわかっていません。
 見た目は小柄で物静かですが、才気と感受性に富んだ強烈な個性の持ち主だったようです。」

「ディキンスンの詩の主題については、思いつくままに、自然・愛・人生・死・神・永遠・ことば・時間などを挙げることができます。
 ここには身のまわりの自然をいとおしむ叙情詩があり、ひたむきな愛の詩があります。即興的な軽いお遊びの詩があり、意味深長な小話を語って聞かせる詩もあります。哲学的なアフォリズムや皮肉たっぷりの格言詩がつづいたかと思えば、ふと口をついて出た祈りやためいきのような詩句にぶつかることだってあります。たぶん上機嫌のときに書いたとおぼしいユーモラスな詩もあれば、ぼんやりと生きづらさを感じたときに書いたのだろうと想像させる孤独な詩もあります。
 あるいは、ささやかな詩が色とりどりの花を咲かせた秘密の庭にいきなり迷いこんだような不思議な戸惑いをおぼえた人がいるかもしれません。」

(エミリ・ディキンスン『わたしは誰でもない』〜「わたしは誰でもない」より)

「 わたしは誰でもない あなたは誰ですか
  あなたも 名無しさん ですか
  それなら似た者どうしだわ
  秘密にしてね みんなにいいふらされるから

  お偉いさん になるなんて うんざり
  おおっぴらですよ 鮭みたいに
  名前をとなえつづけるなんて 六月のあいだ
  ほめてくれる泥沼なんかに」

(エミリ・ディキンスン『わたしは誰でもない』〜「負けるのは 勝つからだ」より)

「 負けるのは 勝つからだ
  賭博師は それを思い出しながら
  ふたたぶ骰子を振るのだ」

(エミリ・ディキンスン『わたしは誰でもない』〜「真実をすべて語りなさい」より)

「 真実をすべて語りなさい でも斜めに語りなさい
  成功はまわり道にある
  真実のすばらしい驚きは
  私たちのひ弱な歓びにはまぶしすぎる
  やさしく説明してあげると
  稲妻がこどもたちを落ち着かせられるように
  真実はゆっくりと輝かなければならない
  人びとの目をくらませないように」

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