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終わりのない螺旋階段 youtuberの炎上から感じた事

好きなYouTuberが炎上した。

インフルエンサーの炎上は毎週の様にニュースとして取り上げられているけれど、それらは対岸の火事で特に関心もなかった。
しかし今回の炎上は、そのYouTuberが好きだった事もあり無性に気になった。

僕はその炎上の(あくまでニュースでの)一部始終をsnsで追いかけている。
そんな経験は初めてであったし、今までの(今も)僕は、その様に他人のエトセトラをsnsで追いかける人達を見下していた。

当初、僕はその一連の炎上の起因となったインフルエンサーを卑下していた。
しかしその炎上のニュースを追うごとに、「しかたないんじゃない?」という感情が多くを占める様になった。
しかしsnsの書き込みは依然として苛烈だ。それらはノイジーマイノリティのエコーチェンバーなのだろうけれど、「中々酷い事を言うなぁ」と思う。

僕が「仕方ない」と思ったのは、会社で嫌な事を言われた事がキッカケであった。
その嫌な言葉は、頭の中で終わりのない螺旋階段の様に回り続けた。
僕はその螺旋階段の切れ目を見つけるために、憂さ晴らしの方法を探した。過去を振り返ると、憂さ晴らしの方法は、時に他人に言えない様な醜い方法であることもある。
でも彼ら彼女らインフルエンサーは、その「醜い切れ目探し」を露呈される。それは面白おかしく神輿を担がれてしまう。そのストレスがまたエスカレートした「醜い切れ目探し」に至ってしまうのではないだろうか。

少なくとも僕には露呈されたら困る様な事ばかりだなと思う。僕が特別醜いのだろうか。
それならかなり落ち込む。醜い憂さ晴らしをしなければ。

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