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「正しくデザインする」ために、「正しい消費者である」ことを考えた話

自分の日々のデザイン仕事にも、SDGsが入り込んできた

呑気な表現ですが、これが私が率直に感じたことでした。

SDGsが国連で採択されたのが2015年、経団連が日本企業に呼びかけたのは2017年のことですが、実際にデザインの現場で「エシカル」「サステナブル」「ソーシャルグッド」といったテーマが取り上げられる頻度が高くなったのは、ここ1,2年という感覚があります。

この変化に伴って、デザイナーの仕事にも変化が起きているのを感じます。私は普段、日本企業をクライアントとしたプロジェクトに携わっていますが、SDGsに関する取り組みに積極的に予算をかけるクライアントが増えたことで、デザイナーとして実際に手を動かしてこのテーマに取り組む機会も増えました。

その中で、自分たちがやろうとしていることは本当に正しいのか?考え抜く姿勢が求められるのを感じます。

小さなことで言えば「このイラストは、多様性への配慮があるか?」を気にするようになりましたし、新しい製品の提案なら「この製品によってバリューチェーンに変化が起きたら、それが社会に与える影響は?」を今一度考えるようになりました。
社内でのラーニングの機会も増え、デザイナーとしての価値観がどんどん変わっていっているのを感じます。


デザイナーとして正しさを説く自分が、一人の消費者として正しくない苦しさ

そうした変化の一方で、デザイナーとしてそうした知識や意識を獲得するほど、消費者としての自分とのギャップに強い後ろめたさを感じるようになりました。

昨年の夏、ファストファッションブランド「H&M」と、東京発のラグジュアリーブランド「TOGA」のコラボレーションアイテムが発売されたことがありました。

私は先行入場にも応募していて、買いたい商品を事前にチェックして念入りにシュミレーションしていたので、なんとか御目当ての商品をゲットできたときは、テンションが上がりました。

でも、帰りの電車の中でその嬉しさをTwitterに投稿しようとしたとき、ふと手が止まりました。よぎったのは「後ろめたい」という感情でした。

新しい商品が出るたび、季節が変わるたび、買い物に行く。毎日着るものには事欠かないのに、クローゼットに服が増えていく。その結果、ほとんど着ずに手放してしまう服もあるかもしれない。
それって大丈夫なんだっけ?
これってまさに、自分が普段クライアントに問いてる「変えるべき社会」なんじゃないの?

デザイナーとしての自分と、個人としての自分のギャップに居心地が悪くなり、結局Twitterに投稿するのはやめてしまいました。

正直、個人としては元来「エコ」「エシカル」には関心が薄いほうだと思います。意識の高い人、正義感の強い人が気を使うもの、という意識がどこかにずっとあり、自分自身は「好きなものを我慢してまで社会貢献したくない」と感じていました。

昨年、電通が実施した「エシカル消費 意識調査2020」でも、エシカルな消費をする条件として「価格が同じだったら」「身近な店舗に売っていたら」など、自分にとっての利便性やメリットを気にする回答が多く、私と同じような意識を持っている人も多いのではないかと思います。

そして、このような私と似た意識を持った多くの個人が、私と同じように、一方で所属する企業や団体では「エシカルであれ」「サステナブルであれ」と求められているはずです。

この二面性はどうして生まれてしまうのでしょうか。


私たちは人類である前に、人間である

正しくない自分を「隠す」程度のことしかできていなかった中、「地球外少年少女」というアニメーション作品を観た際に、このモヤモヤへのヒントを得ました。

「地球外少年少女」は、地球に住む少年少女たちが宇宙ステーションへの体験旅行で「宇宙で育った」少年少女に出逢い、世界の命運を左右するような大きな出来事に巻き込まれながらも、それに立ち向かっていく物語です。

※ネタバレを最低限に抑えて要点を書きますが、見たくない方は次章までスクロールどうぞ

この作品の中ですごく印象的だったのが、人知を超越したスーパーAIが「私には『人間』と『人類』が同じものだとは思えない」と語るシーンです。

環境破壊や人種差別、戦争など、『人類』全体にとって不利益になりうる行動を取っている『人間』という生き物の矛盾に言及しています。

人知を超え、未来をも予測できるようになったAIが、超合理的に考えて「『人間』と『人類』が同じはずがない」と不理解を示すことで、人間たちの滑稽さを強く印象づけるシーンになっています。

この「人間」と「人類」の対比は、私が感じていたジレンマと通じる部分があると思いました。

「人類」レベルの問題を、「人間」レベルに落とし込む

「人類」という大きな存在と、「人間」という小さな構成要素。

このジレンマをうまく消化することは私にはまだできていませんが、この対比を見たときに、「システム思考の考え方がヒントになるかもしれない」と思ったので、最後にご紹介しようと思います。

システム思考とは、解決すべき対象や問題を「システム」として捉え、多面的に問題解決を目指す方法論です。

少し抽象的なので、1つ例を挙げます。
ある地域で「薬物中毒の蔓延」を解決しようとするとき、「薬物の所持を取り締まる」という解決法では、十分な効果が得られないことがあります。

それは、この「薬物中毒の蔓延」というシステムを維持しているのは
・薬物にハマる人
だけではなくて、
・民法に縛られない麻薬売人
・法の遵守よりもお金を稼ぐことを重視する栽培人(農家)
・犯罪者を見過ごすことで自分の安全を守っている住民
など多くの構成要素であって、それぞれが自分にとっての目的達成のために動いているからです。

このようにシステムとして問題を多面的に捉えれば、「薬物に頼ってしまう人間の弱い気持ちを正す」ような感情論・根性論や、個人の甘さを責めるアプローチでは、問題は解決できないことが分かります。

この例と同様に、SDGsというテーマについても、「人類」というシステムの一要素である「人間」に、「人類社会全体を考えた行動を」と訴えかけたとしても、自己の利益よりもシステム全体の利益を優先して行動するのは、直感に反しており、非常に難しいことなんだと思います。

コントロールすることの難しい個人の気持ちではなく、システムが維持される仕組み自体をどう変えるかを考えなければなりません。

システム思考では、システムに大きな変化を与える箇所のことを「レバレッジ・ポイント」と呼びます。システム思考では、システムに大きな変化を与える箇所のことを「レバレッジ・ポイント」と呼びます。

サステナブルな社会の実現、というテーマにおいては、このレバレッジ・ポイントを見つけ出していく、その過渡期にあるのだと思います。
そして、「人間」という一個人の言動が、結果的に「人類」という大きなシステムに対してポジティブに働くようにしていくには?を考えるのは、まさに「デザインの力」ではないかと思います。

そういう意味では、私たちデザイナー自身が、一個人としてジレンマに悩む、悩みながら進むという体験もきっと確かなインプットになるはずです。

私たちがデザインするのは、「自分のために行動したら、気付いたら社会のためになっていた」という仕組みでしょうか。
それとも「エシカルであることが圧倒的にカッコいい」という時代の空気でしょうか。
引き続き考えていきたいと思います。

Appendix:参考書籍

「人類」レベルの課題に当事者意識を持って取り組める人は、世界をシステムとして捉える思考に優れているのではないかと思います。「自分や周囲の行動が、他の生産者や消費者に影響を与え、やがてこういう意識や需要が高まるから、こういう結果になる」というような。
この本を読んでから、外交問題にせよ経済動向にせよ「うまくいっていない」物事を見たときに「これはシステム的にはどこがレバレッジポイントなんだろう?」と考えるようになりました(ちょっとだけ)。

製品やサービスだけでなく、人々の行動や社会に与える影響まで考えてデザインすることが求められる今の時代、世界を見る新しい目をもらえる思考法として、デザイナーも読んでおいて損はないと思いました。

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