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『アバターWoW』が最高の正月映画だった件について


 『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』は、近年では稀に見るほどにゴキゲンな、最高の正月映画でした。異論は認めません。

 だって、今回の乗り物はトビウオなんですよ!

 馬にまたがって人馬一体で戦う映画はたくさんある。竜にまたがって戦うファンタジー映画もたくさんある。でも、これは人がトビウオにまたがって戦う映画です。こんなの観たことはおろか、誰ひとり想像したことすらないでしょう。

 でも『アバターWoW』は、みんなでトビウオにまたがって、重火器を持つ兵と戦っちゃうんです。魚だから、ふだんは海中を進んでいく。でも敵に向かうときは、何十匹ものトビウオにまたがった兵士が、ぶわっ、と海上に飛び出してきて、ヒレをバタバタさせながら宙を進むトビウオに乗って敵陣に向かうんですよ。

 このシーンを思いついたキャメロン監督、きっと脳内にヤバイ汁がドバドバ出たことでしょう。この馬鹿さ加減、たまらないですよね。正月映画として、マジでサイコーの映画です!




 こうして言葉で説明すると、わたしがギャグとして説明しているように思ったかもしれませんね。

 でも、これを大迫力の映像で描かれると、「うぉぉぉぉ!」と感動してしまうのですよ。こんな感情を味合わせてくれたキャメロン監督、まじで大リスペクトです。

 そもそも、通常の映画なら、この大迫力シーンを映画クライマックスの見せ場にしそうなものですが、キャメロン監督、そんなケチ臭いことはしません。トビウオ騎兵(変な日本語だな)のシーンは、ちょっとしたお口直しくらいの位置づけです。さらにとんでもないシーンを、次から次へと繰り出してきます。

 ジョーズの数十倍サイズの巨大竜との水中追いかけっこ(なんだそれ)とか、カニ型ロボとの水中戦(なんだそれ)とか、巨大海中哺乳類(クジラがモチーフ?)と超巨大捕鯨船との肉弾戦(なんだそれ)とか、なろう小説で描いたとしたら「リアリティなさすぎ」「作者は中二病」とか批判されそうなシーンが、映画の中で目白押しなのです。

 というわけで、みなさん、この映画は絶対に観るべきですよ。ひたすら頭を空っぽにして、なにも考えずに観るべき"お馬鹿な映画"として、これほどサイコーな作品はありません。




 ストーリーもお馬鹿です。

 この映画のストーリーは、なにひとつ難しくありません。たった3行で説明できます。

・惑星パンドラには、自然とともに生きる原住民ナヴィが暮らしている
・そこにスカイピープル(人間)がやってきて、争いが起きる
・ 最後は、ナヴィがスカイピープルをやっつける


 以上です。物語はこれだけです。なにひとつ頭を使う必要はありません。サイコーですよね。

 しかもこれ、1作目の『アバター』とまったく同じストーリーだったりします。もちろん細部は違うけど、物語の骨格はまったく同じ。1作目でナヴィにボコボコにされ、いったん惑星パンドラから出ていったスカイピープルですが、しばらくするとパンドラにやってきて、また争いが起きちゃった、というのが今回の設定です。

 スカイピープルのみなさんも、いったんボロ負けしたんだから、今度は「ナヴィとの和平交渉」などをすればいいはずなのに、なぜか前回と同じように強引に開拓を始めちゃいます。こいつら、どうやら学習能力がないようです。

 しかも前回、弓矢や槍でコクピットをガラスごと貫かれ、操縦者が倒されて重装備の兵器を失いまくったというのに、今回もコクピットのガラスを強化するといった対策はしていません。同じように弓矢や槍で操縦者を狙い撃ちされます。こいつら、マジで学習能力がないようです。

 以上、侵略するスカイピープル側がなにひとつアップグレードされず、迎え撃つナヴィも昔ながらの弓と槍で応戦するわけですから、そりゃあまったく同じストーリー展開になるに決まってます。『アバターWoW』は、そういう映画です。




 でも、この「完璧なまでの焼き直し」こそが、この映画を傑作たらしめる最大の要因なのですよ。

 観ている側は、映画の序盤のうちから「あ、これ、何も考えなくていい映画だ」と気付くわけです。スカイピープルに攻撃され、怒りに震えたナヴィが逆襲して勝利する。そういうストーリーになるしかないことが直感的にわかるのです。

 こうなれば、もう難しいことを考える必要はありません。

 わたしたちは脳内のリソースすべてを、ただ「凄い映像」を堪能することに割り振っていいのです。そして192分にわたり、「すげぇなぁ」「見事だなぁ」「迫力あるなぁ」「楽しいなぁ」と、そんな感想を抱き続けることが可能になるのですね。

 いかがでしょう。正月映画として、これほど完璧な映画はないと思いませんか。ほんとサイコーの映画ですよ。



 


 もうひとつ、素晴らしい点を挙げておきます。

 この映画、一切のメッセージ性が込められていません。世の中に対する批評みたいなものは、1ミリも存在しないのです。

 人間というのは厄介な生き物です。地面に石が落ちているのを見ただけで「転がる石に苔はつかない」とか言い出すヤツも出てきますし、そこから「だから人間は動き続けるべきだ」みたいな教訓をひねり出したりしてきます。そういう厄介な人たちの中には、『アバターWoW』を見て、これは社会批評や文明批評が込められている映画だ! みたいなこと言う人もいるかもしれません。

 でも、はっきり言いますが、そういう意見は100%無視してください。

 石が落ちていたら、「あ。石が落ちてる」と思えばいいのですよ。そこからメッセージなんか読み取らなくていい。だって、もともとメッセージなんかないんですから。




 そもそも、これを撮ったのはキャメロン監督ですよ。豪華客船タイタニックが大好きで、だからどれほど豪華で凄かったかを隅々まで描き、でもそれが傾き、浸水し、最後はまっぷたつに折れて沈んでいく、そんな「誰も見たことのない映像」を提供したいためだけに、194分の映画を撮っちゃう監督ですよ。

 そんな監督の映画を見るにあたり、メッセージ性とかそういうものを読み取ろうとするのは、ひたすら野暮なことだと、わたしは思います。

 キャメロン監督は、おそらく「見たことのない映像を提供したい」「かつてない映像体験をしてほしい」としか思ってないんですよ。彼の頭の中には、惑星パンドラを舞台にした、凄いシーンが山ほどあるのでしょう。それを繋ぎ合わせたのが『アバターWoW』という作品です。

 ならば、わたしたちも、頭を空っぽにして「すげぇ」と感じながら映画を観ればいい。そんな心構えで観たとき、『アバターWoW』は素晴らしいとしか言いようのない、本物の傑作であることがわかるのです。

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