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散文日記「コラショはスケープゴート」

・こんな自分にも気持ちが終わってる日は存在するものだ。そんなときは「気持ちが終わってる日」専用の喫茶店に行くことにしている。元々学生時代に見つけた喫茶店で、喫茶店らしいモダンな雰囲気がありながら暗すぎず、狭すぎない。作業するのにも丁度いい空間だったので、よく大学の課題レポートを書いたり、ボーッとしたり、卒業論文を書いたり、ボーッとしたり、ボーッとしたりするときに利用していた。

・今、その喫茶店の近くの会社に勤めている。ここらへんはオフィス街というよりは行楽地のカテゴリに属する場所だ。オフィス街が大嫌いな自分にとっては毎日行楽地に行く感覚で通勤できるので大変ありがたい。しかし、やっぱり終わってる日はどうしても存在する。ここの喫茶店はそんな日の昼休みに救済を求めて立ち寄る巡礼地へと役割が変化していったのだ。

・しかしその代償に、休日にわざわざこの喫茶店に足を運べなくなってしまったのだ。もし休日にこの喫茶店に行ったならば、きっと「平日の終わってる状態」を思い出してしまう。なんでせっかくの休日にわざわざ平日のその状態を思い出しに足を運ばねばならんのだ、といった具合だ。なんと悲しいことだろう。もうあの喫茶店は僕の「終わってる状態」を吸い込んで壁という壁が紫ばんでしまっている。あの日のようにただボーッとしに行く場所ではなくなってしまったのだ。

・これって、「好きな曲を目覚ましアラーム代わりに使って、毎朝その曲で起きるうちに、その曲のことが嫌いになった」というあの感情に似ている。終わってる時とセットにあるものは、終わってないときに触れると終わりを引き起こすトリガーになってしまうということか。「心の拠り所、過ぎたるは終わりの拠り所となりにけり」と孔子が説いたのも頷ける(説いてない)。

・あとアレだ。人を呼び込むためにつくばエクスプレス線で秋葉原と繋いだのに、結果的に人が東京に流れ出ていって街がかえって寂しくなってしまったつくば駅周辺とも似ている。ちょっと無理があるか、でももう書いてしまったものは仕方ない。消すのがもったいない。

・コラショの目覚まし時計の「おはよ〜!朝だよ〜!!」が不快な音すぎてコラショに殺意を抱いている人は少なくないはずだ。でもそれって、コラショが全国の小学生諸君の朝の憂鬱さを一挙に受け止めてくれていたということだ。あれがピカチュウだったらピカチュウが嫌いになってしまう。コラショがスケープゴートになってくれていたのだ。どうしてこんなことに気付いてあげられなかったんだろう。ごめんねコラショ。ありがとうコラショ。ちなみにコラショの声優は大谷育江らしい。ピカチュウてめぇ!!!!!!!!

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