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『放課後』 良き事もそうで無い事も、結局はどちらも単なる”経験”...詩画集message from spirits


僕にとって学校は


色も無い 音も無い 

温度も無い


そんな場所だった


ひたすら息をひそめて 帰りの時間を待つ


ようやく学校を飛び出して

いろんなものから逃れるように

バスに乗り

地下鉄に乗り

僕が見たい景色に逢いに行く


だってそこには


色とりどりの夢
 
美しいメロディーを奏でる希望

陽だまりのような暖かな空間があるから


ほんのひととき 

僕は大きく息を吸う…

noZomi

・・・

「放課後」

・・・


居心地の良くない環境に放り込まれていた頃、それでも毎日、判を押したように解放される時間が巡ってくる。

1日の中で、その僅かな時間をどこでどう過ごすかの選択は自由だった。

重たい気持ちを引き摺ったまま帰宅するも良し。
誰かや何かのせいにして、当たり散らすも良し。

それ以外にもきっといろんな選択肢があったのかも知れないけれど、
そのどれをも、僕は選ぶ事をしなかった。


僕が選んでいたのは、
親とも学校とも全く無縁で、縁もゆかりも無い人々が、ただすれ違っていく広い広い外の世界。


大人に混ざってアルバイトをしたり、ただ独りでベンチに座って自然の景色と一体化していたり。
時にはそんな僕に興味を持った誰かと、何時間も夢の話を語ってみたり…


ある程度の時間が経った頃、
また判を押したように、ピリピリとした緊張感の漂う自宅へ戻る。
そしてそこからはまた、放課後までの時間を息を潜めてやり過ごす。


もう二度とあんな生活に戻りたくは無いけれど、
目の前の現実があんなだったからこそ、「放課後」の時間がより輝きに満ちているように感じられていたに違いない。

闇が深いほど、光は明るく感じられるからね。


何より自分を褒めたいのは、
あの頃の僕が諦める事なく、毎日毎日自分の意思で、広い外の世界に飛び込んで行っていた事。

そうしていたからこそなのか、
息が詰まる家族との時間も、収容所のような学校へ放り込まれていた時間も、様々な出来事だけは事実として記憶にあるのだけれど、
幸いな事に、そこにはもう何の感情も残っていない。


僕に残っているのはあの放課後の、自由で開放的で思いっきり深呼吸ができる時間の記憶。

そこで深く吸い込んだあらゆる体験が、今の自分の基盤になっているのだろう。

そこには今でも、弾むようなキラキラとした気持ちが溢れているように思えてならない。


振り返ってみれば、良き事もそうで無い事も、

結局はどちらも単なる「経験」として、一人の人間を育てていくのに必要不可欠なのかも知れない。


これまでの人生も、

そしてきっと、これから先の人生に於いても…🍀

  noZomi hayakawa



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