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赦し


赦しというのは
私の中の大きなテーマ

散々嫌って言うほど
自分責めをしてきたのだろうけど
自分を責めることは
なんの進歩も生まなかった

ここ最近は

自分の【怒り】という感情について

向き合うことが増えている

子供の頃からなんでも我慢して
感情を無にすることで
生き延びてきた

自分の中に怒りや悲しみが沸いた時
そのまま受け止めてしまったら心がもたないから
無になる
まるで自分の目で見ているはずなのに
テレビの中を見ているような
そんな感じで心あらずになる
無になる

何も感じたくない
何も見たくない
そうやって生きてきて

そのうち本当に怒らない人間になった
怒りって何だっけ?というほどに
ここ何年もまともに怒ってなかったと思う
(イライラはあるけど)

だから怒りを感じられるようになってきて、
かなり戸惑った

子育ても
何されても怒らなかった
自分の感情を無いことにしていたから

ここ一年、自分と向き合い
あらゆる感情を許すことに努めてきたけど
怒りだけはなかなか難しく

最近は自分の感情を取り戻してきたけれど
もちろん怒りも同時に出てきて

子供に対して怒ってしまうこともあった

子供に対して1番私が甘えていると言うことだろう
どこかでこんなだめな母でも許してくれるとわかってるから怒ってしまうのだろう
子供の器の大きさよ…
ありがとう、ごめんね

そして怒りという爆発的なエネルギーに久々に触れて、 
自分でそのエネルギーの大きさに驚き、
コントロールの効かなさに恐怖し、
感情を放出したあとに
放心状態になってしまった

目線ひとつ動かすのが億劫になるくらい
脱力した

そういう自分の感情に触れたくなくて
また無になろうとしてるのだ

アクセルとブレーキを同時に踏んでいるから
自分の中て大きな摩擦が起きているのがわかった

怒りを許すと言ったって
長年の癖で本当に難しい

怒ってもいい、
感情にいい悪いもない

わかってるけど、
嫌だ嫌だと抑える自分が居る

許すというとピンと来なかったけど
怒りが湧いた時に

怒れるようになった自分に
怒れたんだね、ありがとう
と声をかけるようにしたら
なんとなく腑に落ちてきた

この怒りは無かったものではなく
ずっと蓋をしていただけなので
ずっと在ったものなのだ

見ないようにしていただけ
無視してただけ

今なら受け止めてもらえると出てきてくれたものなのだ

親になった今
我が子がその機会を与えてくれているのだ
子供の頃、
蓋をしてきた感情と向き合わせてくれているのだ

だめだめでポンコツな母であることを許すこと

とても理想の母親になれそうも無いけど、
そんな理想はさっさと捨てて

怒ってしまう自分や
泣いてしまう自分を
全て受け入れて認め愛すること

未熟であることを認めること

認められないから
怒りを感じる自分を責めて罰する

まずは自分の不甲斐なさを認め許すことから

あらゆる感情を感じさせてくれてありがとう

私が怒りを出しても受け止めてくれると思わせてくれる息子、夫、ありがとう

それから小さい頃の自分も、ありがとう

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