野末雅寛

現住所:富山県朝日町 ▼株式会社アガトンラボ(哲学カフェなど https://agat…

野末雅寛

現住所:富山県朝日町 ▼株式会社アガトンラボ(哲学カフェなど https://agathonlabo.com/) ▼有限会社イージー・エンジニアリング(自動機・省力化機械の開発・設計・製作 https://www.ez-eng.jp/)

最近の記事

書評:岡野八代『ケアの倫理』(岩波新書)

大意 身体性に結び付けられた「女らしさ」ゆえにケアを担わされてきた女性たちは、自身の経験を語る言葉を奪われ、言葉を発したとしても傾聴に値しないお喋りとして扱われてきた。男性の論理で構築された社会のなかで、女性たちが自らの言葉で、自らの経験から編み出したフェミニズムの政治思想、ケアの倫理を第一人者が詳説する。 本書の目次 序 章 ケアの必要に溢れる社会で 第1章 ケアの倫理の原点へ  1 第二波フェミニズム運動の前史  2 第二波フェミニズムの二つの流れ――リベラルかラ

    • 松本人志氏のこと~哲学エンジニアのライフヒストリー(番外編)~

      これまでの半生を棚卸しようと、下記のようなライフヒストリーを連載しているのだが、巷で話題の松本人志氏がスターダムを駆け上がった時期と重なっていることに気づいた。 私は1993年からライフヒストリーの連載を始めたが、松本人志氏の人気が一つの頂点に達したと見られる『遺書』のベースとなった週刊朝日での連載は、まさに1993年の7月から開始されている。1994年9月に『遺書』と題して単行本化され、200万部を超える大ベストセラーとなった。 いみじくも文春オンラインに『遺書』のレビ

      • 山崎元氏とベーシックインカム

        経済評論家の山崎元氏が亡くなった。 私にとって山崎氏とは、最初期のベーシックインカム論を切り開いた功労者であった。まだ思想家の概念であったベーシックインカム論を、分かりやすい平明な言葉で日本の一般読書層に向けて説明した最初の方であったし、事実、私も初めて腑に落ちたのは彼の記事を読んでからであった。 この記事が2007年である。今でこそMMTが市民権を得て積極財政論は一定のプレゼンスを持つようになったが、当時はリーマンショック以前で、このような膨大な予算を必要とする考えは異

        • 大牟田での転地療養~哲学エンジニアのライフヒストリー(8)~

          97年4月からの京都での新生活で挫折して、98年の4月に転地療養を決断することとなる。と同時に、もう一年休学を更新することになる。指導教官は人格者だったこともあり、その方針は受け入れられた。 転地療養先は大牟田市にある「海の病棟」である。両親が読売新聞に掲載されていた記事を見つけてくれた。電話して現地訪問して入院を依頼したら、スケジュールを組んでくれて4月末から入院することを許可してくれた。 当時は寝台特急が健在で、京都から寝台特急あかつきの自由席に乗って、いったん博多駅

        書評:岡野八代『ケアの倫理』(岩波新書)

          軽症うつ病の発症~哲学エンジニアのライフヒストリー(7)~

          97年の4月から始まった京都大学大学院での暮らしは、3か月ほどして挫折を迎えることとなった。前回も書いたように様々な要因でお先真っ暗な状態になり、勉学も日常生活も手につかなくなった。そもそもハイデガーの「無」の哲学に格闘するという悪条件も重なっている。まさに、私は「虚無の淵」から転げ落ちようとしていた。 たまらず近所のメンタルクリニックをタウンページで探し出して駆け込んだ。飄々としたドクターが「軽症うつ病」と診断してくれたことにホッとした。当時の日記を振り返ると、激しい苦し

          軽症うつ病の発症~哲学エンジニアのライフヒストリー(7)~

          大学院での挫折~哲学エンジニアのライフヒストリー(6)~

          間が空いてしまったライフヒストリーの執筆を少しずつ再開したい。「虚無の淵に立っている」が一つのキーワードとなっていたが、まさに大きな不安を抱えての京都での暮らしが97年の4月から始まった。 出迎えてくれた京都駅はリニューアル工事中で、アバンギャルドな新駅舎が京都市民の議論の的となっていた。今やこの駅舎もなじんだ風景になってしまった。 京都大学近郊の北白川の疎水沿い(北白川西瀬ノ内町)にアパートを借りて新生活を始めた。京都市は狭いイメージがあるが、御影通りから歩くと10分以

          大学院での挫折~哲学エンジニアのライフヒストリー(6)~

          哲学カフェのご案内~SDGsとは何か?~

          SDGsとは何か? SDGsとは、2030年までに達成すべき具体的な目標で、人類がこの地球で暮らし続けるために進むべき道を示す17項目の「持続可能な開発目標」であり、他方、前回哲学カフェのテーマとしたウェルビーイングは、肉体や精神、社会的に幸福な状態を意味します。 SDGsの目標のひとつである「すべての人に健康と福祉を」は、ウェルビーイングに関連しているだけでなく、地球の持続可能性については、「人新世の人間の条件」や「環境倫理学とは何か」など何度かこれまでの哲学カフェでも

          哲学カフェのご案内~SDGsとは何か?~

          哲学カフェのご案内~「ウェルビーイング」とは何か?~

          ウェルビーイングとは何か? 新田富山県知事肝いりの政策であるウェルビーイング。 富山県民である私たちも哲学の観点から考えてみる企画です。この哲学カフェの目的は、ウェルビーイングという概念について基本的な理解を深めて、哲学的にとらえ直すことです。 富山県内では良くも悪くも注目度が高いテーマなので、そのノイズをいったん除去して、知識と理解の整理を行います。 「ウェルビーイング」という言葉には、幸福や健康、満足などさまざまな意味が含まれています。私たちの生活にとって、ウェル

          哲学カフェのご案内~「ウェルビーイング」とは何か?~

          大学院試験~哲学エンジニアのライフヒストリー(5)~

          連載を開始したライフヒストリーの執筆であるが、「虚無の淵に立っている」が一つのキーワードとなっている。 不安と虚無感に駆り立てられながら、その自らの不安経験にフォーカスした論文を書いた。ハイデガーの『存在と時間』にある不安と、そこから導かれる先駆的決意性に至る論考の過程をたどる予定だったのが、自らの不安経験に引っ張られてしまい、なぜか西谷啓治のニヒリズム論にまで話が広がり、野心作のつもりが惨敗の論文になってしまった。 哲学研究者として生きていくことができればと願って大学院

          大学院試験~哲学エンジニアのライフヒストリー(5)~

          卒業論文~哲学エンジニアのライフヒストリー(4)~

          連載を開始したライフヒストリーの執筆であるが、「虚無の淵に立っている」が一つのキーワードとなっている。 私は金沢で一人暮らしを始めた大学時代はずっと不安と虚無感を抱えていたような気がする。漆黒の不安を見ると感性がヒリヒリするというか、心がいつも痛んでいた。 前回も書いたが、その虚無感を癒すために、語学の勉強は実に役立った。ロジカルなドイツ語の文法や、複雑な古典ギリシャの初級文法を追いかけていると楽しくて気がまぎれるのであった。 しかし、そうこうしている内に学部3回生とな

          卒業論文~哲学エンジニアのライフヒストリー(4)~

          大学時代の愉楽と不安~哲学エンジニアのライフヒストリー(3)~

          連載を開始したライフヒストリーの執筆であるが、「虚無の淵に立っている」が一つのキーワードとなっている。 思春期の頃からずっと不安で、それに駆り立てられて哲学にたどり着いたことを前回話した。禅仏教では脚下照顧と言ったりもするが、自己の根源を探求できる予感に導かれたのだ。 モラトリアム気分で教育学部の今は無きゼロ免課程に1993年に入学したが、もう1994年には哲学研究室に所属してドイツ語や古典ギリシャ語の学習に打ち込んでいた。ドイツ哲学やギリシャ哲学の原典を読みたいという情

          大学時代の愉楽と不安~哲学エンジニアのライフヒストリー(3)~

          西洋哲学との出会い~哲学エンジニアのライフヒストリー(2)~

          前回から開始したライフヒストリーの執筆であるが、「虚無の淵に立っている」が一つのキーワードとなっていた。 私は、思春期の頃からずっと不安で、それに駆り立てられて哲学にたどり着いたようなものなのだ。何一つ確かなものがないという不安から、確かなものを獲得したいと思って、大学に入って勉強したいと願ったのだ。 私が富山の片田舎を出て金沢大学に入学したのは1993年だ。金沢城のお堀のキャンパスに教養部が残っていた最後の学年で、前期だけお堀の中に通い、後期からは角間キャンパスに通うこ

          西洋哲学との出会い~哲学エンジニアのライフヒストリー(2)~

          私は虚無の淵に立っている・・・~哲学エンジニアのライフヒストリー(1)~

          SPA! 2023年8月29日・9月5日合併号において、佐藤優さんがインテリジェンス人生相談で興味深い回答をしていた。 虚無の淵に立っていると感じる相談者に対して、それはキリスト教からは距離のある日本人にとって当たり前のことであり、そう感じることはむしろ西洋哲学的な思考をしていると回答していた。 日本人が意識していない考え方を西洋哲学の論理で解明したのが西田幾多郎の『善の研究』であり、有と無が分かれる前の根源無が「虚無の淵」なのである。そして、有と無が分かれる前に根源有を

          私は虚無の淵に立っている・・・~哲学エンジニアのライフヒストリー(1)~

          機械設計者は『リアリティ+』の邦訳刊行にこう思う

          バーチャルリアリティを哲学的に検証した『リアリティ+』の邦訳が刊行された。 上下巻に分冊されており、一冊になっていた原著と比べると経済的ではないが、私は原著はkindleでしか読んでいないので、出版界への貢献の意味を込めて購入した。昨年、私は原著のサマリーをまとめて第3章まで進めていたが滞ってしまっていたので、この度邦訳を手に入れて、第4章からサマリーを進めていきたいと思う。 昨年進めていたサマリー 現場の設計者としての感想 チャーマーズの唱えていた内容の中で最も印象

          機械設計者は『リアリティ+』の邦訳刊行にこう思う

          書評『AI原論 神の支配と人間の自由』

          大意 半世紀近くにわたってAIの栄枯盛衰を間近で見てきた著者である西垣通氏が、現在のAIブームに対して冷静に考えるべき問題を提起する一冊である。AIの歴史や技術的な側面だけでなく、哲学や宗教との関係も探求し、AIが目指しているのはどんな世界なのか、そして人間としてどうあるべきかを問うている。「原論」と銘打っているだけに、実践的な問題解決を志向しておらず、その点は後で紹介する『AI倫理』に委ねるしかない。 本書の目次 まえがき 第一章 機械に心はあるのか 1 AIブー

          書評『AI原論 神の支配と人間の自由』

          書評『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』

          概要 『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(樋田毅)は、1987年5月3日に朝日新聞の記者二人が何者かに突如、散弾銃で殺傷された阪神支局襲撃事件を含む、約3年4か月の間に計8件起きた「赤報隊」による襲撃・脅迫事件が主題となっている。著者が犯人を追いかけるために取材・捜査したノートをもとにした記述は具体的で迫力がある。取材の進展に伴い、α教会にたどりつくが、それは統一教会であることは疑いがない。最後は、赤報隊の声明文の文体が、現在のネトウヨ的なメッセージに近似する状況を憂い

          書評『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』