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善意で君を助けたいって、絶対怪しい。片倉廉さんがつくる幸せな循環-前編

日本全国と海外で50店舗展開するシェアハウス リバ邸 。高校生を支援するNPO法人D×P(ディーピー)は、大阪で2軒のリバ邸を運営しています。

代表の片倉廉さんは、リバ邸を通じて様々な人に居場所を提供していても『いいことをしている』とは思われたくないと言います。

「善意で君を助けたいって、ぜったい怪しい。「いいことしている」と言われると、マザーテレサじゃないんだからって思います。」

そんな片倉さんの過去は、シンプルにヤンキーだったそうです。

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(想像してた「やんちゃ」よりやんちゃなお写真…!)

バイクで暴走することで、仲間とのつながりを感じていた高校時代。その後、身を置いた夜の世界。社会の闇で大人を見つめた先には『善意』に対する大きな不信感がありました。

片倉さんの過去を振り返りながら、無償の『善意』ではなく、私たちが無理なく広げていける“幸せの循環”について話をききました。

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プロフィール
片倉廉|株式会社リバ邸代表取締役
1995年生まれ24歳。株式会社リバ邸代表取締役。有限会社スーパー片倉代表取締役。世界一周、No.1ホスト、Girl’s Barの経営/倒産。そして、祖父母が経営する会社を事業継承。3度目の起業として家入一真さんからリバ邸を引き継ぎ株式会社リバ邸を創業。基本的に居場所という名の「機会」をつくる仕事をしています。


夢を語る同級生を冷めた目で見ていました。

片倉さんは、ひとり親家庭で祖父母と一緒に暮らしていました。家族仲は良くなかったそうで、お母さんに連れられて家出したことも。家での居心地の悪さから、中学生になる頃から深夜徘徊するようになりました。

片倉さん:中学校は、頭のいい奴も悪い奴もいる、ごちゃごちゃの環境が楽しかったんです。高校に入ると、同級生は大学進学を目指していて。その環境が合わなかったんです。誰とも仲良くなれないと思いました。

高校から帰宅すると、中学からの友達と夜遊びへ。高校では友達ができず、気がついたときには孤立していました。

片倉さん:小さい頃から夢もなくて、同級生を冷めた目で見ていました。「夢がプロ野球選手って(笑)。叶えられるのは、一握りじゃん」と。ひねくれた子どもでしたねー。親に言われたまま高校にいってたので、居場所がなくなって初めて自分で決めておけばよかったと感じました。

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「やめさせてもらえるまでは帰らない。」

家族の反対があり、すぐに高校を中退することはできませんでした。そこで、片倉さんは「やめさせてもらえるまでは帰らない。」と1ヶ月間の家出で抵抗します。

片倉さん:母親の気も滅入っちゃったみたいで「辞めていいから帰っておいで」と言われて、家に帰りました。その後「高校は卒業してほしい」と言われ、通信制高校に転入しました。

通信制高校は、レポート提出と月2回の登校。日中も仕事ができることが魅力でした。

片倉さん:実家は、自営業でした。僕が生まれた頃から赤字で「お金がない」と聞いていて。お金は絶対必要だという価値観がそこでついたのかもしれません。

お金があればしんどい環境に身を置かなくても良い。そんな思いもあったのかもしれません。「同級生より稼いでいたかった」という片倉さんはたくさんの仕事を経験します。

片倉さん:工場とか、キャバクラのボーイとか建築関係とか。地方で若いうちから稼ぎたいと思っても選択肢は少なかったですね。稼げるからと始めた仕事なので、やりたいことではなくて。決まった時間に起きて言われたことをやって、ほとんどの人がそうやって社会で生きているんだと思うんですが、それが面白くなかったです。

コンビニの店員やダンボールを運ぶ倉庫の仕事など複数掛け持ちしていました。プールの監視員が一番楽しかったのだそうです。理由は水着のギャルが見れるから。つまらない仕事の中にも「楽しさ」を見つけ、多くの仕事をこなしていました。

片倉さん:シンプルにヤンキーだったんです。『やんちゃしてた』と言うのが恥ずかしくて、今まで言ってこなくて。高校生のときは、地元のなんていうんですかね…暴走族的なのに属していて、警察に補導されたりもしていました。

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(片倉さんが乗っていたバイクだそうです!)

職場と暴走族で居場所をつくりながらも、「このままでは、地元の悪い人たちとのつながりを一生断ち切れないのではないか」と考えるようになりました。

片倉さん:本来は「辞めます」と言って暴走族を抜けるべきなんですが、怖くて。逃げて、家に引きこもってました。引きこもって仕事もせずにいると、本当に居場所がなくなっちゃって。

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乗ってたバイク売ったり捨てたりして、船に飛び乗りました。

家に引きこもる片倉さんに、「世界一周の旅があるよ」と声をかけたのは、お母さんでした。

片倉さん:僕をピースボートの事務所まで連れて行ってくれたんです。その時に話したスタッフの方が、たまたま地方出身の元ヤンキーで。自分と置かれた状況が近い人の話は共感しました。

この時には、直近のツアーの申し込みが締め切られていました。

片倉さん:そのスタッフさんが、「乗りたいのなら、交渉するよ」と言ってくださって。親戚からお金借りたり、乗ってたバイクを売ったり捨てたりして、船に飛び乗りました。だから、D×Pが高校生にピースボートに乗って海外へいく機会を届けているという話をきいたとき、すごく接点があると思ったんです(笑)。

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(そうなんです!D×Pは、様々な事情から海外に行くという選択肢がない高校生に『世界を見る経験』も届けています)


過去を手放すようにして迎えた出航の日。友達同士で盛り上がっている人も多い中、締め切り後に参加を決めた片倉さんは一人でした。

片倉さん:もう一生部屋にいるしかないと思っていたんです(笑)。

3ヶ月間の船旅も引きこもりかなと諦め半分で喫煙所向かうと、だんだんと話をする人ができました。船内で一緒に卓球や漫才をし、ソーラン節を踊るなどの企画を立てるようになったといいます。

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(この写真は後ろ姿なのでわからないのですが、この時の片倉さんはメガネをかけていて、あだ名は「ワクワク」だったそうです。)

片倉さん:ある日、『ワクワクくんは面白いから、船降りたらホストやれば?』と、元ホストの方に声をかけられました。その時点では降りてからのことは、何も考えてなかったんです。

そして、勢いで飛び込んだ夜の世界の中からも社会の闇を見つめることに。善意を疑う片倉さんは、無理なく広げていける“幸せの循環”について考えるようになります。

関西リバ邸サミットのコピー (2)

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その前に、少しだけ片倉さんがD×Pとすごく接点があると言ってくださったピースボートに送っている話をさせてください〜!

じつは、D×Pではいまピースボートに高校生を送るクラウドファンディング に挑戦中です。

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いままでこの旅に参加した子に話を聞くと、船に乗るまでは家に引きこもっていたという高校生もいました。様々な事情により生きづらさを感じている10代が、“いま自分が生きている生活圏” から飛び出す経験は、大きな自信と視点の広がりにつながるのではないか?と考えています。

あなたも、高校生に「世界を見る経験」をプレゼントしてみませんか?

高校生から送られてきた手紙なども紹介しています。ぜひ、クラウドファンディングページを覗いてみてください!



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