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カウンセリング。

今日はオリエンテーションがあったが、
行かなかった。
月曜は、気分がのらなくてバイトを休んだ。

ここ数日の予定をキャンセルしがちな私。
いつもなら、自己否定してしまうが、
そんな気にもならない。
まあ、そんなもんだろう。と諦めがつくようになった。

そんなことは、どうでもよくて。
今回は、
カウンセラーについて、整理してみたいと思う。(以下2日後に執筆)

カウンセラーに相談することは
あなたにとって、ハードルが高いものでしょうか?

カウンセラーの回し者でもなんでもない、
いち女子大生が、
カウンセリングへの考え方でも整理してみようと思う。

初めてのカウンセリング

初めて、カウンセリングを受けたのは、
高校1年生の時。

不登校だった私は、両親と先生に引っ張られるように、
学校の奥にある知らない教室に通された。
そこで待っていたのが、
カウンセラー。

その時のことは、うろ覚えだが、
ぼんやりと覚えているのは、あいづち多いな~だ。

それから、私の話を聞こうとしているその人は、
私と向き合おうとしているのではなく、
私の課題に向き合うかのように、専門知識をひっぱって、
話を聞きだしているような気がしていた。

話せることは話すけど、
あちらから具体的アドバイスはなく、
そうだね~。とはい。の一点張り。

カウンセリングが何かを知らなかった私は、
信用するどころか、カウンセラーに嫌悪感を抱くようになっていた。

そこから、もう1件。
翌週辺りに、父から電話を渡された先にいたのが、
また別のカウンセラーだった。

お母さん、お父さん、先生に言えないことがあったら
なんでもいってね。

なんて、言われるが、
言って恥ずかしいと思うこと、言いたくないことなんて
何一つなかった私は、
「あなたと話すことはない」と答えた。

それでも、学校はどうしていけないの?
なんて、聞かれるから、
適当に、「友達と喧嘩して…」と答えた気がする。

最後に先生のことも聞かれ、
それについて、話をしたときに「あっ、自分こんなこと思っていたんだ…」
と気づくきっかけになってはいたが、
それが話すことによって、
理解できていたなんて感覚は当時、持ち合わせていなかった。

大学生になった私とカウンセリング

それから、大学生3年生の春休み、
私は再び、動けなくなるほどの鬱状態になり、
学内にあるカウンセラーを訪ねた。

嫌悪感を抱いていたカウンセリングを受けることに抵抗はなかったのか?
と思うが、
これまでの経験で
「話すことが、解決の糸口に繋がる」ということを
理解できるようになっていたので、
話を聞いてくれるカウンセラーとの関わりを求めた。

カウンセラーが、知識を持って関わってくることを嫌がっていたのに、
今では、その知識があるおかげで、
理解してくれることもあると感謝の気持ちを持つようになった。

だが、いくら知識を持っていようが
やはり所詮、人は人なので、
合わないカウンセラーも、いる。

なので、色んなカウンセラーに会って
この人に話していると気が楽だなーって思う人を
見つけるのが良いだろう。

ただ、鬱状態で
動きたくないなんて、感情を持っているときは、
ムリに話す必要はない。

無気力な時にカウンセラーと話しても、
聞いてくれてありがとう~の気持ちが薄れ、
時間の無駄だとしか感じなくなる。

もちろん、カウンセラーと話しても
直接的な解決には繋がらない。

それでも、私の話を聞いてくれる人がいる。
という事実に大学生になった私は、
とても救われた。

なので、
相談したいことがあるけど、友人に気を遣わせたくない。
両親に迷惑をかけたくない。
とか、色んなしがらみで、
もやもやを1人で抱え込んでいる人は、
ぜひ、利用してほしいと思う。


私は、あまりにも鬱状態がひどく
メンタルクリニックに行ったところ、
双極性障害だと診断された。

これから、精神病院で検査をすることで、
もしかしたら薬物療法をする必要があるのかもしれない。
躁状態のたのしい私が消えてしまうかもしれない。
など、色んな不安があるけれど、
一緒に頑張ろうと言ってくれるカウンセラーや、
周りにいる大好きな人たちに支えられながら、
自分と向き合っていこうと思う。

なんて、記録。
そういえば、昨日から躁状態であまりにもハイなので、
文章書けなくなるかも…。

それはそれで悲しいけど、
気晴らしにまた文章を書きに来る予定。

それでは、また。
最後まで読んでいただきありがとうございました。


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