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誰もいない食堂で食べた、人生出発オムライス!

私がまだ二十代で看護師に成り立ての頃、自分が選んだ精神科病院の業務内容が、余りに点滴や注射、経管栄養などの手技的なものが少なく、他科の病院で働くかつてのクラスメイト達からの近況報告を聞くたびに、何だか自分が看護師としてのスキルに遅れをとっているように感じて、休日に精神科ではない、内科系のお年寄りが多く入院する、業務の流れが緩やかな病院に、手技的スキル向上の目的で、アルバイトに行った経験があります。

そこは60床程度の小さな病院でしたが、食堂の食事が本当に美味しい病院でした。おそらく患者さんへの配食も美味しかったと思います。

そんな病院でのアルバイト中のある日、病棟のお風呂場から介護ヘルパーさんが、慌ててナースステーションに飛び込んで来ました!

「すいません!○○さんがお風呂の機械から落ちてしまいました!」

これは一大事です!どこか骨折してないか?頭は打ってないか?私とそばにいた看護師長さん(60代女性)とで、急ぎお風呂場に向かいました!

外見上は出血や酷い腫脹は見当たりません。意識もしっかりしていますが、この時は既に寝たきりで、声掛けに反応はできますが、会話というレベルの疎通まではできない方です。血圧もやや高いようですが、危険な値ではなかったように思います。

師長さんが当時の状況を確認しますと、機械式の浴槽に浸かる為に、リフトの機械に乗ってもらうのですが、そのリフト移乗の際に、しっかり身体が乗りきってからでないと普通はリフトを動かさないのですが、身体固定が不安定なままリフトを動かしてしまい、少し高い位置からズレて、「ドボン」と浴槽に落ちるように浸かった。ということで、その際にあるいは頭部を浴槽の上端で打ったかも?という経緯でした。

本来であれば病院内にあるCT検査で、急ぎ頭の状態を診るのですが、その病院には当時、そんな立派な設備はありません。近くの総合病院に救急車で運んでもらい、同じ検査をすることになります。

「ごめんやけど吉津単くん、救急車乗ってあっちの病院行ってくれる?」

まあ、そういう流れになりますよね…
事故した本人は、介護ヘルパーさんですから、相手方の総合病院に出すサマリー(経緯説明)的なものは、同じ医療職種である私が書くことになります。もちろん異常があり、そのまま入院となれば、そのお年寄りのご家族さまに説明するのも、たぶん私になるでしょう。

師長さんがその調整に各所に連絡を入れている間に、私はサマリーを書き、ヘルパーさんはお年寄りに服を着せます。

言っている間に、救急車が病院の前に着きます。一応お年寄りは、タンカに乗せられ救急車に運ばれます。私は救急隊員に事情を説明しながら、救急車に乗り込みます。不安そうな顔で師長さんと事務長さんが見送ります。たぶんですがこの時、二人はお年寄りのことが不安なのではなく、看護師に成り立ての私が、「しっかり仕事ができるのだろうか?」と不安だったのだろうと思います。もちろん、当人(私)が一番不安です。

あちらの総合病院に着くと、待機していた細身の女性看護師さんが、次々に質問してきます。私はその勢いに押されながらも、一つ一つ答えていきます。

「で、頭は打ったんですね?」

「打ったかもしれないんですけど…」

「いや、打ったの?打たないの?」

「打ったような感じです…」

「ような感じって、あなた看護師でしょう?」

さすがに救急の看護師さんです。おそらくベテランの方なのでしょう。同業の看護師とはいえ、いい加減な仕事振りには容赦がありません。

すかさず彼女は、運ばれて来たお年寄りの頭部を触り、何か耳元で話し掛けると、医師かレントゲン技師でしょうか?男性スタッフに向かって、「意識問題なし、頭部腫脹はありません」と叫ぶと、私を押し退けて、検査室にお年寄りを運び消えて行きました。

私は救急の待ち合いで、次々に運ばれる患者さんや、その対応をする看護師さん達を見ながら、今の自分と、この先の自分、どんな看護師に自分はなりたいのか?と、自問自答をし始めました。

「どれだけ頑張っても、私の性格上、私はここで働く程のスキルは身に付かないだろう」。

検査の結果、頭部に問題はなく、師長さんが帰りの為に予め手配していた、車いす介助用のワゴンタイプの福祉タクシーに乗り込み、帰路につきました。

タクシーの中で、私に悔しい気持ちがこみ上げて来ました。「私はクラスメイト達に及ばないのか?」と…

自分の病院に到着すると、お年寄りの病室への誘導は、他のスタッフに任せて、私はナースステーションに戻ります。そこには、慌てて駆けつけたお年寄りのご家族さまが、待っておられました。

大体の経緯は師長さんから既に聞いていたようで、私は検査結果だけを報告する形となりましたが、何せ向こうで完全に自信を無くしております。しどろもどろの酷い説明ではなかったかと思いますが、ご家族さまは、「病院への付き添いがあなたで良かった。」と言われました。

私は狐に摘ままれたような気分でしたが、ご家族さまが言われるには、確かに技術的なものは他の看護師より見劣りするという前提付で、「それでも、入室、退室のカーテンを開閉する際に、しっかりと挨拶が出来ていたのは、彼だけだから」と…

ご家族さまが静かにベッドサイドに付き添っている時、いきなりカーテンを開けるや、ふんぞり返りながら、病室にズケズケと入って来るような看護師もいる中、彼だけは違ったと言うのです。ご家族さまは、「今回、もし問題があれば、この機会にこの事も含めて、怒りを爆発させるつもりだった。」と話されました。

ご家族さまが帰られた後、師長さんは私にこう言われました。

「いくら看護師としての手技的な技術(スキル)が優れていても、人を不快にさせていては、良い仕事をしたことにはならないのよね」と。

私は別に立派なことをしたと思っていません。恥ずかしさの余り赤面していたと思いますが、その時、お腹が大きな音をたてて鳴りました。時計を見ると14時を回っています。

「もしかしたら、食堂は既に終わっているのでは?」

私は一礼をすると、急ぎ食堂に向かいますが、やはり食堂は終わっていました。「すみませーん」と厨房の方に声を掛けると、「はーい」と返事があり、中年の白い調理服を着た男性が出て来ました。

「今日、職員定食を頼んでいたんですけど…」

「あんた遅すぎるわ!そんなんあるかいな!」

「でも、注文してたんで…」

「でも、ないもんは無いからな!」

そんなやり取りをしている途中、厨房の内線が鳴りました。

「調理長、事務長さんから電話です」

私は食堂で交渉の続きをすべく、電話の終わるのを待ちます。そうすると、戻って来た調理長と呼ばれる男性は、先程とはうって変わって、にこやかにこう言います。

「あんた、なんか大変な仕事して来たんやて?それを早く言うてくれな!」

「ちょっと待ってや、ちゃちゃっと作ったるからな!」

それは、師長さんが事務長さんに検査の結果を報告に行った時に、気を利かせた事務長さんが、電話を厨房に入れてくれたものでした。

そしてしばらく待つと、大きなオムライスが出てきました!私はそれを大事そうに持つと、景色の良い窓際のカウンター席に座り、誰もいない食堂で、一人ガツガツと食べました。

それは、玉ねぎの甘さが染みるように効いたケチャップライスで、チキンではなく牛肉が混ざり、噛めば肉の味が口の中でグッと広がります。固めに焼かれた卵の包みが、私好みのビジュアルをしています。

その余りの美味しさに、自分が今日一日考えていた看護師のスキルのことなど、どうでも良いことのように思えました。そして食べ終わる頃、私は一つの結論(出発点)に達しました。

「見る人は見てくれている。急ぐ必要はない、私は私らしく精一杯、ゆっくりと進めば良い」。

その後、私は本業の精神科病院で看護研究の担当者となり、他にも様々な委員会なども持つこととなり、多忙でこちらの病院に来る回数は減りましたが、それでも師長さんは嫌そうな顔もせず、その後しばらく掛け持ちをさせてくださいました。

あれからオムライスが食堂のメニューに出ることはありませんでしたが、それに負けない美味しいメニューが、時折アルバイトに訪れる私を励ましてくれました。今でもあの時食べたオムライスの味は、私にとって忘れてはならないものですし、忘れることはありません。


終わり