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【短編小説】鶏豆花 ―宴のために招かれた少女―

 洒国さいこくの王宮の外れに立つ小屋には、月に一度の特別な宴が催される日にしか使われない厨房がある。
 その小屋には一人の料理人の男が住んでいて、普段はただ養鶏や蔬菜の栽培をして暮らしている。

 朔遥さくようがそんなやや怪談めいた場所に連れて来られたのは、まさにその特別な宴を控えた日のことだった。

 宴席で出される料理に必要な食材の少女として、朔遥は王宮に運ばれてきた。
 朔遥は小屋に住む男に食肉として捌かれ、帝国の支配者でもあり神でもある大帝のために開かれる宴の膳に上るのだ。

 しかし朔遥が小屋に着いてまず通されたのは、厨房や屠殺場ではなく、漆の剥げかかった机と二脚の椅子が置かれた狭い居室だった。

「これ全部、私が食べてもいいの?」

 小さな窓から差し込む陽の光が、目の前の食卓に並んだ数々の豪華な料理を照らしている。

 朔遥はその状況をすぐには飲み込めず、椅子に座ったまま料理人の男を見上げて尋ねた。
 紅梅の刺繍の施された鴇色の襦に深緋の裙を合わせて白銀の帯で結びまとめ、翡翠のかんざしで髪を飾った朔遥はまだ小柄な十四、五歳で、座った椅子の高さでは絹靴を履いた足が床に届かない。

「ああ。皇帝の宴で食される女人の最後の食事は、女人を捌く料理人である私が用意する慣わしになっている。これはすべてお前のために作ったものだ」

 瑞奉ずいほうと名乗った男は、牡蠣油で風味豊かに炒められた青菜の載った皿を置きながら、朔遥の問いに答えた。
 質素な木綿の服を着た瑞奉は朴訥とした態度の青年で、その日に焼けた彫りの深い顔は何を考えているのか察しづらかった。

 食卓には青菜の油炒めの他にも緑豆入りの餡のかかった茶碗蒸しや、味噌で和えた落花生と牛肉の煮凝りの盛り合わせ、蒸した白餅の添えられた豚肉の角煮など様々な料理が並べられており、中には手が込み過ぎていて朔遥には何であるのかわからない品もある。

(私みたいな人間にこんなご馳走を用意できるなんて、洒国は本当にすごくお金持ちの国なんだな)

 習慣や儀式の一部だとしても華やかすぎる料理に目を奪われながら、朔遥は薄い粟粥しか口にしてこなかった自分の取るに足らない身の上を強く思い起こした。

 朔遥は皇帝への献上品として派手に飾り立てられ、辺境の王の治める土地から都へとその他の特産物と共に馬車で運ばれて来たが、元々は貧村に生まれ、親の手によって奴隷商人に売られた存在であった。奴隷として売買されてすぐに年若い供物として購入されたため、目の前の卓に並んでいる献立はまったく見慣れないものばかりだ。
 しかしどの料理も素敵に艶めいて良い匂いがする品々なので、朔遥は驚き息を飲む以上に食欲を刺激される。

「そうなんだ。じゃあ遠慮なく、いただきます」

 見知らぬ場所で見知らぬ男に出された食事ではあるが、何にせよ明日には自分が屠られることを理解しているつもりの朔遥は、素直に瑞奉のもてなしと説明を受け入れたことにして匙を手に取った。

 背が高く無愛想な雰囲気の瑞奉は、少々の圧迫感を与えながら朔遥が食べ始めるのを黙って見ていた。

 朔遥はまずは一番手前に置かれていた鶏団子の入った羹を食べることに決め、その湯気をたてている椀の中をすくって口元に運んだ。
 鶏団子はおぼろ仕立てになっていて、散らされた香草と赤い枸杞の実と共に澄んで透き通った湯にふわりと浮いている様子は、まるで白い花のようだった。

 かすかに漂う魚介の出汁の香りを吸いこみ、朔遥はゆっくりと匙の中身を口に含んだ。
 その瞬間に卵白で固められた鶏のすり身が舌の上で優しくほろほろとほどけて、湯と溶け合ったことで生まれる重厚な旨みが口の中に広がる。
 そのあまりにまろやかで繊細な味わいに、朔遥は言葉を失った。

(これが美味しい、なんだ)

 今まで食べてきたものがすべて不味かったと思うわけではないが、初めて知った美味しさに二口目も食べずに黙る。
 朔遥は、貧しい味覚しか持たない自分には身に余るほど、用意された食事は素晴らしいものだと思った。
 だから皇帝に食される食材としてこの洒国に送られなければ一生食べることができなかったであろう美味に、自分は幸運であると考えるべきなのだと思った。

 だが懸命に喜ぼうと思っても何故か、朔遥の心は嬉しさとは別の熱いもので満ちていく。
 朔遥はその昂ぶりを抑えて、理由を考えた。

 そうしてやっと感じた痛みは悔しさであり、もっと他の幸福についても知りたかったという未練が自分に残っていることに気付く。

 朔遥はずっと狭い世界に生きてきたので、故郷の村と奴隷市場、そして貢物として載せられた馬車以外は、この瑞奉の住む小屋しか知らない。
 奴隷として生き続ければもっと辛いことが待っていたのかもしれないが、それでも何も得ていない子供のまま死にたくはなかった。

(やっぱり私はご馳走をもらっても、この鶏団子みたいに食べられるのは嫌だな)

 またなるべく考えないようにはしていたが、朔遥は実際に肉を食べたことで自分が明日には腹を開かれて食肉として扱われることを想像してしまった。
 そうすると慣れない派手な衣を着せられた胸の奥がひやりと冷えて、少し前までのある程度割り切った気持ちにはなかなか戻れそうになかった。

 考えれば考えるほど抜け出せない迷いの中で朔遥が何も言えないでいると、横に立っていた瑞奉が上から見下ろして覗き込み尋ねた。

「口に合わなかったか?」
 あまり感情はこもっていないが少しは不安そうな口ぶりに、朔遥は気遣おうと思ったわけではないものの咄嗟に首を振った。
「ううん。すごく美味しかったから、味わってた」
 その反応に安心したらしい瑞奉はかすかに微笑み、朔遥の頭を軽く撫でて隣に座った。

「そうか。ならゆっくり食べろ。この食事が終わったら、あとは絶食して待つだけだからな」

 絶食の中で待つことになるのはもちろん、瑞奉が朔遥の息の根を止めて捌くそのときだ。朔遥は屠殺前の豚と同じで、死ぬ間際の時間は水しか与えられない。

 朔遥はふいに手を触れられて、一瞬だけ迷いを忘れて瑞奉のささやかな笑顔だけを見た。
 だが食材として命を終える朔遥に対して彼が同情しているのか、それとも何も考えていないのか、瑞奉の輪郭の濃い横顔の心の内はわからなかった。

「うん。そうする」

 朔遥は反感と罪悪感が混ざった感情を抱きながらも結局は従順な瞳で頷いて、二口目の鶏団子を食べた。さっぱりとした塩味でまとめられた羹は、味わうほどに美味しさが染みた。

(せめて後悔のないように、食べ納めならちゃんと食べておこう)

 絶対に食べきれないほどの量で食卓に載った品々を見つめて、朔遥はやがて訪れる最後を少しでも良くすることだけを考えようと自分に言い聞かせた。

 朔遥は売られて買われ、そして捌かれ食されて終わるだけの存在である。
 愛したり愛されたりするような機会は、あまり与えられなかった。

 だが少なくとも朔遥は、瑞奉がこの狭い部屋一杯に並べて振る舞ってくれた煮凝りや膾などの味は知ることができる。

 きっとそれだけでも十分に恵まれたのだと何とか納得した気分になって、朔遥は今度は豚肉の角煮を蒸した餅で挟んで取って食べてみた。角煮の甘辛いたれが生地にしみこんで、かぶりつくとふかふかと温かくて美味しかった。

 隣に座ってぼんやりと目を閉じている様子からは想像しにくいが、さすがに大国の王宮で雇われているだけあって瑞奉の料理はどれもこれも絶品だった。

(こんな風に素敵にしてもらえるなら、少しは……)

 生きたままというわけではなくともやはり、食材として捌かれて食べられるのは怖い。
 だが朔遥は、瑞奉が自分を素晴らしい料理に仕立ててくれることだけは信じた。



 今回はさまざまな世界観の物語を集めたオムニバスとしての応募ですが、この話の相手役・瑞奉のような人物をレギュラーキャラにして、いろんな生贄の少女が登場するシリーズも書いたことがあります。


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