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自分と「関係のない」人に、どこまで関与できるのか。「ロメオ・ダレール 戦禍なき時代を築く」

最近は、ICT/Techやビジネス(特にスタートアップ)等のトピックでアフリカが語られることが多いので、

過去の歴史・紛争・開発・援助的なトピックばかりnoteに書いていると時代錯誤感があり不本意なのですが(早く前者の領域深掘りしたい...!)、

過去の歴史を学ぶことは大事だし(何より好きだし)、インプットは今は書籍をメインとしているので、ぐっと我慢。

今回読んだのはこの本。

ルワンダでジェノサイドが発生していた当時、国連平和維持部隊で司令官を務めていたロメオ・ダレール氏と、伊勢崎賢治氏の対談本。

(ちなみに伊勢崎氏の「国際貢献のウソ」という本は学生時代に読んでめっちゃ共感した。今でも本棚にある。オススメ。)

この対談本を読んで、考えたのは、


人は、自分とは「関係がない」人や出来事に対して、どこまで関心を持ち、時に手を差し伸べることができるのか。

ということ。

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命の価値

 「ルワンダには何の戦略的な価値も資源もない。ただ人がいるだけです。すでに多すぎるくらいの人間がね。」(p.14)

上記は、ジェノサイド発生当時ルワンダを訪れた、某国使節団代表の言葉だそう。

ルワンダは国際社会から見捨てられ、ジェノサイドによって多くの人命が失われた(ルワンダのジェノサイドについてはこちら)。

しかし、その一方で当時、旧ユーゴスラビアには多数の軍隊を送りこんでいました。アフリカの黒人よりも旧ユーゴスラビアの人びとのほうが重要だとするのには、何か理由があるのでしょうか。(...中略...)わたしたちは人道を最優先していて、そのように振舞ってはいます。しかし、実際にはサハラ以南アフリカを援助するためにわたしたちが犠牲を払うことは、全く優先されていないのです。アフリカは最も低い優先順位で、数にうちにも入っていないのです。(p.15)

命の価値に大小優劣はない。

ただ、現実には、救われる人命と、見捨てられる人命がある。

「大切なことは、何よりもまずルワンダの人びとも人間であるというこの厳然たる事実に日本の人びとが向き合うことです。ルワンダの子どもも日本の子どももこの地球に置いて同じように重要だということを責任をもって行動で示すことです。これは道徳心の問題です」(p.64-65)

上記、ダレール氏の言葉は、正しい。

私たちは同じ人間であり、人命の価値は同様であり、助け合いは、大事である。

ただ、こうも思う。ダレール氏は「道徳心の問題」とまとめているが、そのような道徳心を、みんながみんな持って、実際に行動に移すことは、できるのだろうか。

今、自分がカフェでのほほんコーヒーを飲みながらnoteしてる間に、世界の各地で悲しい出来事が起き、困っている人がいる。

今「紛争」というワードでニュース検索をかけてみる。

FACTFULNESS的に、世の中のネガティブな部分ばかりに目が行くのはアレかもしれないが...)

たった5分で、色々と出てくる。

自分はたった今この瞬間まで、

アフガニスタンで今年の夏に多くの市民が亡くなったことを知らなかったし、

ナイジェリア北西部で紛争が起き、多くの人が家を追われていることを知らなかったし、

シリア情勢の詳細もよく分かっていなかった。

自分は今「知った」が、では上記の出来事に対して、具体的に何か行動ができるか(したいか)、というと、答えに窮する。

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こう思う。

たとえ人がダレール氏が言う「道徳心」を持っていようと、世界のあらゆる出来事に関心を持って行動するには、限界がある。

そもそも、見ず知らずの人や、自分には「関係のない」世界に対して、どこまで関心を持って、行動を起こせるのだろうか。

人は、自分とは「関係がない」人や出来事に対して、
どこまで関心を持ち、時に手を差し伸べることができるのか。

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充足と繋がり

「自分とは関係がない人や出来事に対し、関心を持ち手を差し伸べること」が本質的に良いのか否か、すべきか否か、は、さておき、

上記ができるようになるには、2つ条件があると思っている。

① 自分自身が充足していること。

自分のリソース(お金・時間・感情)は有限である。

自分自身が充足していないと、他者にリソースを振り向けられない。もしくは継続できない。

まず第一に、リソースの絶対量が必要で、絶対量を増やさないといけない。

② 対象との間に何らかの関係性があること。

リソースが十分にあり、個人として充足したとしても、余剰リソースは自分と関係がある人・事柄にまず振り分けられる。

人で言えば、家族・恋人・友人・親戚・ご近所さんなど。

事柄で言えば、ニュースで見た、国内の台風・地震の被災地など。

人は、自分に関係がある、もしくは関心がある人や事柄にしか、リソースを投下しない。

また、もう一つ認識すべきは、関係性や関心の濃淡は、人によって異なるということ。

遠い親戚よりも、友人を大事にする人もいるし(逆もまた然り)、

日本のホームレス問題よりも、海外の難民問題たちに関心を持つ人もいる(逆もまた然り)。

(だから、国際協力に励む学生に対して「なぜ日本国内にも困っている人がいるのに、海外の人を助けるのだ」といった批判がたまにあるが、それは本質を見誤っていると思う。)

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なお、関係性には、2つの種類が存在する。

1. 利害関係

実利的な繋がり。自分の利益に関係するもの。ビジネスの関係のような。

2. 共感

心理的な繋がり。気持ちの面での繋がり。感情に訴えかけるもの。仲間意識。

1994年のルワンダは、上記の1・2が足らずに、国際社会から見捨てられた、とも言える。

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この先の深堀はまた後日。

インターネットで世界がつながる今、関係性を張り巡らせたり、全世界の人と「(心理的な)関係性を作る装置」みたいなものやサービスが作り出せないかなー。

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