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ディスポーザーに消えたフレンチトースト

先週、ロバート・オルドリッチ『特攻大作戦』という映画を見ていたら、主な俳優のうちの一人に見覚えがある気がした。他の映画で見たことがある。でも、名前は知らないし、どんな作品のどの役だったかも思い出せない。調べると、ドナルド・サザーランドという俳優。出演作リストを確認してもなかなかピンとこなかったが、何度か見返して、ようやく思い当たった。ベルナルド・ベルトルッチ『1900』だった。非常に残忍な農園管理人で、小作人たちをいたぶり子供を虐殺するという役柄だった。

サザーランドの出演作の中に、『普通の人々』(監督:ロバート・レッドフォード)がある。以前から見たかった作品だが、この印象的な俳優が出ているとは知らなかった。しかも、メインの人物。それは見るしかない。
ごく普通の幸せな家族が、長男の死と次男の自殺未遂をきっかけに変わっていくというストーリー。家族以外の重要な人物として、次男の精神科医が登場する。面談のシーンが何度かあり、次男や父親の心理的展開の描写を助けている。筋書きは意外なところがないが、登場人物の心情に引き込まれる映画。

アメリカの映画を見ていて、食べ物の扱いの素っ気なさが印象に残ることがある。テーブルについて食べ始めたと思ったら、会話の雰囲気がまずい感じになり、すると食事をやめてさっさとお皿を下げてしまう、というような場面はよく見る気がする。おなかは満たされたのだろうかと、いつも思う。
この映画では、たとえば、冒頭の朝食シーン。母親が次男の好物のフレンチトーストを作ったが、次男は食欲がないと言う。すると、母親はそれをすぐに流しに捨ててしまう。トーストはディスポーザーに吸い込まれていく。
食卓は、この母の人物を表すものになっている。彼女は、家族だけの夕食でもテーブルをきちんと整える。悲劇を否定して完璧な人生を保持したいと思っているのだが、そのために次男とも夫ともうまく行かない。そのこと自体を、彼女は受け入れられない。調理中に大皿を割ってしまった時には、「きれいに割れているから、くっつけられる」と言う。

次男と父親は、精神科医の助けもあり、長男の死を受け入れていく。
ただ、視点が父親寄りだとは思う。息子の死という出来事に対して、この映画の母親のように振る舞うことも対処法の一つではある。目の前の次男とうまく付き合えないことは悲しいけれど。


ほかに、最近見た映画(備忘のため):
キンブ・オブ・コメディ(マーティン・スコセッシ 1982)
ファウスト(ヤン・シュヴァンクマイエル 1994)
アリス(ヤン・シュヴァンクマイエル 1988)
椿三十郎(黒澤明 1962)
サブウェイ123(トニー・スコット 2009)
スティング(ジョージ・ロイ・ヒル 1973)
リバー・オブ・グラス(ケリー・ライカート 1994)

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