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映画 【怪物】 感想文

・ネタバレあり
・引用しているセリフは自分の記憶から引っ張っているので語尾などの細部は不確かです



2回見た。
1回目を見た後、居ても立っても居られず2日後に2回目を見に行った。
心にずっしりと重く残る。

「誰かにしか手に入れられないものは幸せとは言わない。みんなが手に入れられるものが幸せ。」
こんな言葉を言われたらもうたまらない。
誰だって幸せになっていい。
それが幸せというものだ。
一緒に楽器を吹くシーンで涙が出た。
怪物の鳴き声のよう。

このお話には嘘がたくさん出てくる。
湊と依里は、嘘を言い合うけどすぐに嘘だと明かして本心を伝えあう。
けど2人は、親や大人に対してついた嘘は明かさず自分の中にどんどん積もらせていく。
校長先生みたいに、嘘を飼って生きていく人もいる。
けど彼らはそういう大人にはならず、嘘なく2人で駆けていく。
尊くて悲しい。

純愛映画だと思った。
心が締め付けられる。
幼い恋心が本当に切なくて尊くて。
全部わかってから見ると、出だしからもう辛い。
お母さんがいじめかと思うほどの子どもの異変は、恋だった。
誰にも言えないし、自分でも戸惑うような恋。湊にとっては、親にも先生にもクラスメイトにも隠し通さなければならなかった恋。

ジェンダー問題やLGBTQを取り囲む問題が細やかにたくさん描かれていた。
当たり前に、今の世の中にまだまだはびこっているもの。
「湊が結婚して家族を持つまでは頑張るってお父さんと約束したんだ」
「普通の家族でいいの」
「男の子は花の名前知らない方がモテるって」
「花の名前知ってる男は気持ち悪いって?」
「男らしく、握手して仲直り」
依里が女子と仲良くすると茶化してきたり、キスキスと言って性的行為を強制してくるクラスメイト。
異質さを売りにして、いじられる事で人気を得ているトランスジェンダーのタレント。
依里の性的指向を頑なに拒否する父。

こうやって一つずつ確実に彼らの道が塞がれてゆく。
ほんの小さな一つ一つ。
それが雪だるまのように大きくなって全ての道が塞がる。
彼らが安心できる場所はあの電車の中しかなくなってゆく。
こんな世界で、どうして男の子を好きになったと言える。
誰に言える。

「花の名前なんて…」のときに、それを受けて「暗いのを怖がる男はモテないよ」って冗談言えるところが依里の気高さだなぁと思った。
依里は、強く気高い。
クラスメイトのほくろの悪口を言えと言われた時に「思ってないから言えない」と言い切る姿は神々しかったし、湊も依里のそういう気高さに惹かれたんじゃないかと思った。
それでもその裏側にある弱い依里にもちゃんと気づいてて。
「ぼくは星川依里くんですか?」
依里も、そういう所を見抜いてくれる繊細な湊が大切で愛おしかったんだろう。
こんな美しい純愛、本当に切なくて辛い。

ひとつひとつが尊くて切なくて。

「今日ごめん」「今日ごめん」
の時の、2人だけの秘密を共有してる表情もすごい。2人で片方ずつ靴履いてぴょんぴょんするシーンの尊さ。

「怪物だーれだ」
で依里に会えると思ってトンネルに出てきたらお母さんだった、しかも依里がそれやっていた絶望。

水筒の泥も、彼らと大人の絶対にわかりあえない境界線みたいだった。
あんな水筒を見たらいじめられてるんじゃないかって思ってしまうよ。
まさか、2人だけの秘密の場所を守るためだったなんて。

髪切るところもそう。
あんな場面に出くわしてしまったら、心配して当たり前じゃないか。
でも湊にしてみれば理由なんか言える訳ない。
きっと髪に触れられて嬉しかったんだよね。
そんな自分に戸惑っているなんて。
言える訳ないんだよ。

序盤の、テレビ見ながら喋ってるシーン。
「よくこんなの騙されるね」というお母さんに対する「テレビで見てるから嘘だってわかるんだよ」という、湊の言葉が重い。

ああすればよかったのかな、
という分岐点はあった気がする。たくさん。
でもそれは客観的に見ているからそう思うだけで、自分が当事者のときにそういう見方をできるかはわからない。

例えばお母さん。
「誰?誰に言われたの?」と問い詰めるけど、誰、と言われたら、人の名前を答えるしかなくなる。誰かの名前を言わなきゃ終われない。絞り出した嘘。
あの時、答えを求める質問ではなく、言えることからゆっくり話して、っていうアプローチをしてたら違ったかもしれない。
でも普段から「普通の家族を持って」と言ってくる親に、心の一番奥にある本当の事は言えない。
豚の脳だと言ったのは星川くんの父親、言われてるのは星川くん。
クラスでいじめられてるのも星川くん。
そんな事言ったら、なんで?ってなるもん。
星川くんが男の子を好きだからなんて言える訳ない。そこでもし親から同性愛を否定する言葉など出てきたらと考えただけでも心が絶望に押し潰される。
それでも、湊は助けを求める無意識のサインは出していたと思う。
豚の脳という言葉は事実。もしそこをもう少しだけ踏み込んでいたら。

例えば先生。
トイレから出て来たのが麦野だったから、麦野が犯人だと思った。道で転んだ星川がなぜ転んだかまでは辿り着けなかった。自分がたまたま見たその瞬間の光景だけで、自分のバイアスに沿った物語を脳内で作ってしまう。
「麦野くんは星川依里という子をいじめてますよ」とまで思っていたならもう一歩踏み込んで湊と向き合って、本当のいじめは他の児童たちによるものだと気づいて、それを解決できてれば違ったかもしれない。
担任だけじゃない。校長や周りの教員も、もっと踏み込んでいれば違ったかもしれない。
でも踏み込めなかった。
いじめの解決なんて、そうやって言うほど簡単なものじゃない。そこまでの覚悟が先生にあったのか。

怪物だーれだ。
「私だって怪物じゃないか」
と思った。

噂話が2回出てくる。

1つめは、ママ友が言う、ガールズバーに先生がいたという噂。
ふつうに信じてしまった。
噂なのに。
学校からほど近いガールズバーとか行っちゃう人なんだと思ったから、もうそれ以降はそういう目で見てしまっていた。
噂が広がってキャバクラに夢中になってる事になってた時も、ふつうに信じてしまった。
ふーんそうなんだって。

2つめは校長先生のこと。
職員室で保利先生の同僚が噂として話す。
ふつうに信じてしまった。
噂なのに。
あの校長ならやりかねないとか、たいして校長のことなんにも知らないのに決めつけて見てしまった。
ふーんそうなんだって。

まわりの偏見や思い込みのせいで逃げ道を失っていく子どもの物語を見ながら、色眼鏡で人を見ることを当たり前にやっている自分を目の前に突きつけられた感覚。
私も怪物だ。

出発の音がして、彼らは2人だけの自由な世界に行ってしまったのだろうと思う。
それでも、もうそうなった方が彼らは幸せなんじゃないかと思ってしまった。
現実的に、火を着けたのが依里ならそれを一生背負って行かなければならないし、湊も嘘で先生の人生をめちゃくちゃにしたことをずっと背負って行かなければならない。
けどそれも彼らの精一杯の限界行動だった。
咎めたくない。
ならいっそ、あんな笑顔で永遠にいられたなら。

でも、その幸せしか手に入れられない世界なんて辛すぎるじゃないか。
なんで子どもたちがこんなに苦しまなきゃいけないの。
どうして堂々と自分たちらしく生きることができないの。
けど今の世界はきっとこんな世界なんだ。
この世界を変えるために、私には何ができるんだろう。と思った。

3回目も見に行こうと思っている。

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