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インド旅行記④(タブラレッスン:Are you happy now?)

2023インド旅行記:目次はこちら


この日は早く目が覚めたので、まずは水シャワーを浴びる。インドのシャワーは水が基本のようで、私の部屋にも給湯器のようなものは付いていたが、とうとう最後までお湯は出なかった。しかし温水を浴びたところでどうせまたすぐに暑いので、水でも何ら問題なし。

窓の外には毎朝リスが来てました

シャワーの後は、朝食を探して通りへ。
路地を抜けて少し歩くと栄えている通りがあり、そこここの屋台で様々な食事を出している。どれにしようかとウロウロしていると、日本語を話す怪しげなインド人達に何度も声をかけられる。『地球の歩き方』などから学んだ知識だと、こういった人達は最終的に「うちのお土産屋に…」となるらしいので適当に気のない返事をしていると、諦めたのか去っていく。しかしながら、その内の一人がいつまでも私に付いてくる。「どこから来たのか」「何歳か」「今日は何をするのか」と矢継ぎ早に訊かれるので曖昧に答えていると、名店だという朝食屋台を教えてくれて、なんだかんだと注文までしてもらってしまった。
南インドの軽食、ウッタパムという小さめのお好み焼きのようなもので、バターをたっぷりと使って焼かれたそれは、緑色のサワークリームのようなソース?カレー?を付けて食べるととてもおいしい。私が食べていると日本語を話す彼はやはり「私の知り合いのお土産屋に…」と言い出し、お土産屋には行かないが朝食のお礼くらいはしないといけないな、と思っていると、こちらの思いはよそに、今度は通りかかった別の日本人に話し掛けだした。この通りを根城にして、通りかかる日本人に片っ端から声を掛けているようだ。私と同じようにその日本人もウッタパムを注文してもらったようで、流れで一緒に道の脇に立って食べることになった。

名店(屋台)のウッタパム

その彼は年の頃20代前半といったところで、滋賀県から一人で来たらしい。声を掛けてきたインド人に開けっ広げに何でも話す彼に、「もう少し警戒感を持った方がいいよ」と言おうと思ったが、日本語インド人の手前、言い出すタイミングが見つからずにいると、サクサク食べ終えて去ってしまった。
純粋に旅を楽しむ彼の旅路をやや心配に思う一方で、私も折角異国に来ているのだから警戒ばかりしていないで、彼のように胸襟を開いて何にでも飛び込むべきなのではないか、という思いが胸の裡をかすめた。
その後、滋賀県から来た彼とは会うことはなかったが、一方でムケシュという日本語を上手に話すインド人の彼とは、この後何度も会うことになる。

ウッタパムの屋台。奥に座っている人は皆お客さん。

ホテルに戻り、何とはなしに屋上からガンガーを眺めていると、他のホテルでも同じようにガンガーを眺めている人たちがチラホラいる。多くは白人で、バラナシ行きの飛行機でもそうだったが、この街ではデリーよりも白人を多く見るような気がする。内面世界を探求するヒッピー精神旺盛な人々にとって、ここバラナシは今でも一つの有力な目的地なのかもしれない。
あちらの建物の屋上では若いエスニック系の女性が熱心にダンスを踊っていて、それをスマホでガンガーをバックに何度も撮影している。チックトックにでも投稿するんだろうか。私の隣の部屋に滞在しているのも妙齢のフランス人女性で、午前中はいつも廊下にヨガマットを敷き、テレビ電話をしながらヨガをしている。それに時々たどたどしくシタールを爪弾く音も聞こえてくるので、もしかするとシタールも習っているのかもしれない。私にもタブラがあれば、屋上でいい感じの写真を撮ったり部屋で練習ができるのにな、と思った。

ウッタパムの後はこのお兄ちゃんのチャイを飲みました

タブラという北インドの古典音楽で用いられる太鼓をご存じだろうか。大きいものと小さいもの二つで1セットで、非常に豊かで多彩な音色を奏でることができる。
私は中学生の時に何となく買った『インド古典パーカッション  超絶のリズム』というCDでタブラの洗礼を受けて以降、タブラに強い憧憬を抱き続けていたのだが、なかなか先生に出会う事ができず、種々の楽器を経て、最近ようやくタブラを習うことができるようになった。私が今回バラナシを訪れたのは、お会いできた先生がバラナシ派の薫陶を受けた方だったというのも大きな理由の一つである。
そして今回、バラナシ在住の方にバラナシ派タブラ奏者の先生を紹介頂き、短時間ではあるがレッスンを受けさせて頂けることになったのだ。

タブラ!なんという美しいフォルムか

いつまでもボーっとガンガーを眺めているわけにはいかない。ベジタリアンだという先生のために厳選して日本から持参したお土産を持って、またリクシャーでランカへ向かう。落ち合った知人と一緒に向かったランカゲートからほど近い先生のスタジオは、綺麗で近代的なオフィスのようだった。しばらくすると先生も到着。彼はおじいさんが非常に有名なシタール奏者であり、その血を受け継ぐ彼も、演奏のために世界中を飛び回る素晴らしいタブラ奏者。しかしながらそんなにスゴい人にも関わらず、非常に明るく、私にもとてもフランクに話しかけてくれて、人柄も大変に素晴らしい方だった。

最初はタブラについて、演奏における基本的なスタンスや重要な要素などを教えて頂き、次は具体的ないくつかのフレーズについて教えて頂く。私は現在、日本の先生からは小さな動きで叩くことでいかに素早いフレーズに対応するか、といった方向で教わり、また練習しているが、ここバラナシ流派はダイナミックな音量調整こそが肝であり、手の平全てを使ってバシバシいかんかい‼とこちらの先生からご指導頂く。現在日本で習っている方向性とは少し異なるが…と日本の先生の顔がよぎったが、バラナシに入ってはバラナシに従え、ということでこの時だけはバシバシいかせて頂きました。

路地にはタブラを叩くガネーシャが。タブラの認知度の高さが窺える。

この先生に教えて頂いていて印象に残ったのが、折に触れて「Are you happy now?」と何度も聞かれたことだ。ひとつの音が綺麗に出た時に、或いはひとつのフレーズが叩けるようになった時に。私は最初、何故そんなことを聞くのかよく分からなかったが、私からすれば、大好きな太鼓をその本場インドで、しかも思い入れのあるバラナシで著名な演奏者から直接指導を受けることができているわけだから、幸せでない筈はない。その都度「Yeah!!」とか「So happy!!」と答えていたが、その後の話を伺っていると、先生はどうも私の精神の在り方について尋ねられていたようだ。

先生曰く、タブラを叩くことそのものに喜びを感じていなければ、良い演奏ができる筈はない、と。これは確かにそうかもしれないと思った。私も音楽は大好きだが、最近は耳にした音楽の良し悪しや歴史的・時代的な意義、技術の拙劣について考えることはあっても、音楽を奏でること、もっとシンプルに音を鳴らすことの根源的な楽しさについて考えることがとても少なくなっていたように思う。タブラを練習する時ですら、技術の効率的な習得ばかりに意識が向いてはいなかっただろうか。インド音楽のラーガ(調性のようなもの)とは心の色を表すもの、と別の方に教わったこともあったが、まさに、自分が今どういった感情を腕に乗せてタブラを叩くのか。それはこれからも常に考え続けなければならないことであるように感じた。

”Are you happy now?” ”Yeah!!”  の様子

私はタブラを叩いてると、他の打楽器や弦楽器のように力や気持ちをストレートにぶつけるのではなく、身体に覚え込ませた技術を頭の中で感情とは少し距離のあるところで運用して、意識はいつもクールに保っておくような不思議な感覚になることがよくある。これはタブラ以外ではなかなか味わうことのない感覚だ。
そんな中で何かが表現されるのだとすれば、それは何か直接的に、私の個人的な悲喜こもごもの感情を表すのではなくて、もっと根源的な、澄み切った心の底からじわじわと湧き上がってくるものであるような気がする。昔ボアダムズの山塚アイがインタビューで、「お金があってうれしいとか、健康でうれしいとかっていうのは、それが無くなってしまうことへの恐れの裏返しでしかない」「自分はそんなことじゃなくて、もっと根源的な喜びを表現したい」といった趣旨のことを言っていたことを思い出した。

ボアダムズといえば「恐山のストゥージズ狂」ですよね

結局、先生とは「Are you happy?」「Yeah!!」のやり取りを何度も繰り返し、私の心からのハピネスが先生にも伝わったものと思いたいが、時間いっぱいまで様々なフレーズを熱く教えて頂けた。これは本当に幸せな時間だった。ご紹介頂いたバラナシ在住の知人には本当に感謝したい。まぁきっと、先生と本格的に師弟関係を結んでずっとタブラだけに取り組むとなると、また辛いことも沢山あるのだろうけれど。リップサービスだろうが、先生が最後に「君は飲み込みが早い。次は最低でも1ヶ月は居なさい。」と言ってくれたのが嬉しかった。

バラナシで教えて頂いた先生と

先生に何度もお礼を伝え、お土産も受け取って頂き、お暇させて頂く。後から聞いたところによると、お土産も喜んで頂けたようだ。
気がつけば、太陽も天頂高く昇っている。少しくお腹が空きましたね、ということで、紹介してくれた方と近くのビリヤニ屋さんへ。ここはその名も「バラナシ・ビリヤニ」(※)で、私はそもそもビリヤニが好きなのだが、ここのマトンビリヤニも大変美味しかった。滞在中にもう一度来て別のメニューも食べたいと思ったが、結局叶わずじまいでした。

※ビリヤニ:一般的なカレーのようにご飯やナンなどとルウ(グレービーソース)が分かれていない、炊き込みご飯のようなカレーの一種

「バラナシ・ビリヤニ」のマトンビリヤニ

その後同行者の方から、親切にもタブラを探すべく楽器巡りをご提案頂き、再び私の宿近くのゴドーリヤ辺りまでリクシャー移動。
迷路のようなガンガー沿いの路地を練り歩き、点在する楽器屋さんや工房を巡る。しかしながらこの時は「国境を越える苦労を経ても買って帰りたい!」と思える逸品には出会えなかった。

一方でガンガー沿いの路地は観光客向けにお土産店が多く存在していて、それらを覗きながらブラブラ歩くのも大変に楽しかった。私は180ルピー(≒300円ちょっと)で小さなハヌマーン像と、シャツ、ズボンをそれぞれ200ルピー(≒360円)、700ルピー(≒1300円)で買った。
シャツとズボンを買ったのは若いお兄ちゃんがひたすらミシンを踏んでる衣料品店で、ここの品はどれも本当に良かったと思う。シャツが安価でしっかりしていたのは勿論のこと、ズボンは700ルピーと現地の相場からするとやや高かったのだが、陳列棚とは別にハンガーでミシン横に掛けられるのを見て、何の気なしに値段を聞いたところ、このお兄ちゃんがこのズボンはいかに自分の技術の粋を込めて作ったかということを嬉々として語り出し、そんな風に熱い気持ちをぶつけられてはこちらも訳知り顔で平然とはしてはいられず、彼の熱意に惚れ込んで買ったような塩梅でした。でもこのカーキ色の柔らかい麻のような素材でできたズボンは本当に良いもので、日本に戻ってからもずっと履かせてもらってます。あのお兄ちゃんは元気だろうか。

これは別のシャツ屋のおっちゃん

路地を歩いていると強い雨に降られてカフェに避難したりしながらも、この日は路地を南から北まで縦断して終了。大通りに戻り、ゴドーリヤという大きな交差点からランカへ戻る知人をお見送りしました。朝のタブラレッスンから午後の楽器屋巡りまで、この方にはもう何から何まで本当にお世話になりました。ありがとうございました。

知人と別れてからは、ゲストハウスまでの道すがら見つけた書店に入り、英語で書かれたタブラ関連の本を買う。もっとタブラの歴史について知りたいのだが、英語ですら手に入る情報がほとんどない。この書店にも、教則本のようなものばかりしかなく、唯一前半部分に歴史的な経緯が少し書かれているものを買った。やはりヒンディーを勉強せねばならんのだろうか。
今思い返すとこの日は夕食らしい夕食を食べていなかったが、そんなことも気にならないくらい満ち足りた気持ちでゲストハウスに戻り、素晴らしいタブラレッスンのことをゆっくりと咀嚼しながら、やがてトロトロと深い眠りに就いた。

(インド旅行記⑤に続く)


夜の大通り:ゴドーリヤの交差点
ここがゲストハウスへの路地の入口。何度迷ったことか。
夜の路地はこんな感じ


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