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インド旅行記②(デリー→バラナシ)

2023インド旅行記:目次はこちら

ヘトヘトになっていつの間にか眠ったはずのニューデリーのホテルで、朝5時には目が覚めてしまう。疲れは取れたのか?そんなことすらもよく分からない。冷水シャワーを浴びて、朝ごはんが買えないか外に出てみる。
この時間ではさすがに街もまだ充分に目覚めてはおらず、道端では昨日の露店の営業そのままに横になって眠ってしまった人だとか、何か良く分からないけど今そこで起きたようなおじさんが道端で歯磨きをしていたりする。

上半身がでっかいおじさんがいました

そんな中、朝早く道端で人の良さそうなおっちゃんが道端でチャイを売っているのを見つける。いくらか聞くと、50rpとのこと。高くない?と訝しむと、正しくは15rpだった。おっちゃん、疑ってごめんなさい。正直なところ、朝6時半からボるんかい!と思ってしまいました。デリーは人の心をガサガサにしてしまう。20rp札しかないと言うと、パンとのセットになった。

カリカリのパンとチャイ

屋台の前には解像度ガビガビの映像キャプチャを印刷したものが貼ってあって、話しを聞くとこれはどうもおっちゃんお気に入りのムービースターらしい。記念におっちゃんの写真を撮らせてもらって見せると、ムービースターのポスターが入ってないから撮り直し!とのこと。車道まで出て、遠目から全身を撮る。今度はおっちゃんも納得してくれた。パンは棒状のクロワッサンみたいなやつで、温かいチャイは沁みるように美味しかった。

おっちゃんも納得の一枚

さてホテルに戻り、これからバラナシ行きの航空便に乗るため、また空港まで戻らないといけない。チェックアウトを済ませ、メトロのニューデリー駅に向かう。昨日チェックインの処理をしてくれたお兄ちゃん達は、いつもロビーのソファや床で寝ているようだ。客をベッドで寝かせ、自分たちはその辺でごろ寝。宿賃を払っているとはいえ、何となく申し訳ない気持ちになる。払うか払ってもらうかの立場の違いは、運でしかないと思う。

昨日の教訓があるので、今日は問題なくメトロの駅まで到達できる。しかし今度はセキュリティチェックに行列ができており、これで30分ほどロスしてしまう。やはりインドでは何事にも、殊に時間に関しては、十分すぎる余裕を持たなければならないらしい。また昨日はクレジットが使えたのに、今回は現金を求められた。仕組みがよく分からないが、「仕組み」という恒常性や再現性を前提とした概念すらも、日本的な、もっと言えば西洋的なものなのだろうか。今回も自分の見る限り、乗客はインド人のみだった。

そういえばメトロの駅を目指して街を歩いていると、マンホールからリスが出入りしているのを見かけた。どうやらそこをねぐらにしているようだが、マンホールの中にはゴミや土が詰まっていて、小動物が通るほどの隙間しかない。これは一体、この近代的な街においてどんな機能を担っている穴なのか?私には想像がつかなかった。

開いてなかったけど映画館もありました

出発時刻の1時間半ほど前に空港に着くも、チェックインやセキュリティチェックなどの諸々の手続きで小一時間を取られ、結局搭乗口に着いた途端に搭乗が始まるような塩梅。帰りはもっと早く、3時間前に着くくらいの心持ちで向かわないといけないだろう。

バラナシ行きの便は、機体自体は小さいながらも小綺麗で、成田→デリー便に比べてCAさんの愛想も凄く良い。成田から搭乗してくる海外旅行者よりも、国内旅行者に対する感情の方が温かかったりするのだろうか。
少し逸れるが、インド人が同胞であるインド人に対する態度と、外国人に対する態度の大きな違いについても、この後旅行中にも度々不思議に感じることがあった。私がリクシャーに乗ろうとすると、毎度毎度まず交渉から入って、お互いに納得できる落とし所を探らないといけない。何なら降りる時も、お釣りをちゃんとくれ!と口論しないといけなかったりする。しかし一方で、地元民は小学生なんかも普通に子供だけでリクシャーに乗っていたり、買い物帰りのマダムも普通に二言三言告げるだけで乗っていってしまう。単に取れるところから取ろうとしているだけなのか?それともそのひとつ前にナショナリズムがあって、インド人からは取らないが、外国人からは取ってやろう、という気持ちもちょっとあるのだろうか。「中国人お断り」と書いてある日本の飲食店みたいなこと?これはついぞインドの方に聞いてみる機会も、それが聞けるくらいに仲良くなったインドの方もおらず、謎のままだった。

バラナシ行きの便はやや小さい機体でした
ポーランド航空の機体もあった。定期便があるのだろうか。

今回のバラナシ行きのフライトは、白人が多かった。全体で150人くらいの搭乗客のうち4割ほどが白人で、日本人は10人ほどいたと思う。一席空けた隣には乳児を連れたお母さんが座っていて、赤ちゃんを私との間の席に寝かせている。

今回は離陸後暫くすると、200mlの小さい水と何やらラップサンドが配られる。中身はパニール(チーズ)たっぷりのカレーで、とても美味しい。容積の9割以上がパニールなんじゃないか、というほどのボリューム。生地が緑なのは、ほうれん草を練り込んであるんだろうか?ベジタリアンが多いインドだと、やはり彼らも食べられて満足感のあるものとなると、パニールが有力な具材なのかもしれない。

デリーに帰る時もこれを頂きました

私が貰ったものはラップの生地がパッケージの包装を巻き込んでいて、苦労して開けると手がベタベタになる。私もインド二日目なのでもう特に驚きはしなかったが、インドの人たちは、この「巻き込んでるな」と殊更に認識することすらないんじゃないだろうか、とふと思う。

写真撮るほど気にしちゃう

此経 啓助の『アショカとの旅』(1978、現代書館)では、意識を下に尖る円錐形に例え、実際に彼が一緒に暮らしたインド人少年アショカは円錐の先端にあたる「いまここ」に集中することが難しいようだ、というイメージモデルが語られていた。日本人である私の意識はこういう円錐の先端部、微に入り細を穿つところにまで入っていきやすい一方で、例えばインドの人たちの認識が日本人とは真逆の広い方に長けているとしたら、その広い方の境目のあたりには、彼らには一体何が見えているんだろうか。

『深夜特急』インド編に出てくる人の本です

山野一のインド神話漫画「ムルガン」には、火山から生まれた神様ムルガンが交合を12万年続けたとか、岩の上に432万年座っていた、といった記載があったが、そんな途方もない時間感覚は、もしかしてこんなところに由来するのか?とも思った。日本の仏教においても、那由多や不可思議といった計量の意味をなさないほどに巨大な数の単位があるが、これもインド由来のものなのだろうか。しかしそのあたりの感覚は、我々日本人には認識できないものなのかもしれない。知れば知るほど信じられない領域に達している北インド古典音楽のことを考えると、このラップの巻き込みにこそ、その秘密を垣間見たような気がした。或いは、気のせいだったのかもしれない。

山野一「ムルガン」
『混沌大陸パンゲア』(1993,青林堂)
ちゃんと隠れてるからセーフ!

また、たった2度の搭乗で概論を語るのは不正確かもしれないが、インドでは航空便でも割りと適当、いや融通が効いていて、赤ちゃんを座席で遊ばせたり、搭乗ドアが閉まった後は勝手に席を移動していたりするように思った。この隣のお母さんと赤ちゃんも移動してきたし、その前に隣にいた兄ちゃんは親父さんの隣の席に移ったみたいだし、その親父も隣が空いたから、と息子を呼んだらしかった。正直なところ、全員中に入ったことがチェックさえできれば、自分もこれくらい自由でいいんじゃないかと思った。隅々まで遍く管理することにはそれだけである種の快感を伴うが、その甘みは時に専制をもたらすだろう。横になった赤ちゃんは、ずっと私の腿のあたりをやさしく触っていた。

しかし機内安全ビデオで、「離陸時には赤ちゃんを水平に抱かないで、縦に抱いておいてください」と言っていたのはどうしてだろう。何故向きを指定する必要があるのか?そういえば富士登山で高所に行った時も、山小屋で横になった途端に呼吸が苦しくなったことがあったが、どうやら横になると気圧の変化を肺がモロに受けるらしい。もしかすると水平だと、微妙な気圧の変化が赤ちゃんの小さな肺にも影響してしまうのかもしれない。

到着したバラナシはヌケの良い晴れやかな土地で、太陽が明るく、緑はそこここに生い茂り、大地は黄土色にどこまでも続いていく…といった気持ちの良い雰囲気だった。先程までのデリーとは、かなり空気が違う。デリーは昨日も今日も何となく薄もやがかかったような感じだったが、あれはスモッグなんかの影響があるのだろうか?或いは私自身の心象が反映されて、そう感じられたことも否定できないが。
空港を出て、プリペイドタクシーで1時間ほどかけて市街地へ向かう。プリペイドタクシーだと市街地まで800ルピー、Uberなんかを自分で手配するともっと安いらしい。

あんまり素敵な景観の写真を撮ってませんでした

デリーでもそうだったが、インドに来てまず驚いたのが、絶え間なくけたたましく鳴り響くクラクションだった。いつどの道を通っていてもクラクションをガンガン鳴らされて、「どうしてそこまで”どけ!”と言わないといけないのか」と少し嫌な気持ちになったりもしたのだが、しばらくすると「あれは特定の誰かに対する意思表示ではなく、ただ単に”私はここにいるよ”の存在表明なのだ」と理解するようになった。日本でも歩道のない道を歩いていて、後ろからエンジン音がすれば少しスペースを空けるが、あれと同じこと。そういえば昔、エンジン音の小さいプリウスは歩行者に気付かせるためにわざと別の音を出している、という話を聞いたこともあるし、かつてブーツィー・コリンズも「もう居なくなってしまった仲間たちに、”俺はまだここに居るよ”って言いたくてでっかい音でベースを鳴らしてるんだ」って言ってました。そういうことだと思います。

バラナシ空港でのお出迎え。よく分からないがきっと偉い人なのだろう。

そうやって、私もまた1つインドの慣習に順応できたと思ったものだったが、そこに来て、このプリペイドタクシーの運転手のお爺さん。
インドに来て初めて四輪車輌のタクシーに乗ったのだが、日本だとせいぜい出して50キロくらいの道を、普通に80キロ出してバンバン走る。車線の概念も希薄で、この道にはバイクもとても多いのだが、二車線道路でトラックとバイクの間なんかを、クラクションをガンガン鳴らして避けさせ、その間を強引にすり抜けていく。それでもバイクも動じずにシレっと最低限のスペースを空けたりしてるのを見ると、これが当地の普通のドライビングスタイルなのだろうなぁ。
前方の車輌を避けさせるためにクラクションをバンバン鳴らすのはまぁ平常運転なのだが、このお爺さん、「いやそれは鳴らしてもどうにもならんやろ」という極限まで混雑した状況や、スクールバスが右折待ちで動けないような状況でも、とにかく鳴らしまくる。もっといえば、自車が60キロ程度までスピードを落とさざるを得なくなると、とりあえずビービービービー!!と鳴らしているようだ。これは、このクラクションはもう”ここにいるよ”なんてものではなくて、”俺がいい気持ちで走られへんやんけ”という意思表明なんだと思う。そういう積極的なパターンのクラクションもあるらしい。
何かを理解したつもりになると、すぐにそれを上回る事態に出くわすことになる。きっとそれがインドという土地であり、旅の醍醐味なのだろう。

ゴミ箱は「濡れたもん」「乾いたもん」っていうざっくり分別でした

何とかバラナシの市街地に辿り着き、運転手のお爺さんに礼を言ってタクシーを降りる。しかしながら、途中まで一緒に乗っていて街で降ろした、あのおっちゃんの親戚みたいな男の子、あれは誰だったんだろう。次から次に訪れる規格外の出来事に、分からないことを分からないままに受け入れる度量が求められているように思う。

ここからは、歩きで予約しているゲストハウスに向かう。今回はガンガー(通は現地での呼び方に倣ってガンジス河のことを「ガンガー」と呼ぶのじゃよ)沿いのゲストハウスを予約したのだが、ガンガー沿いは迷路のような細い路地が複雑に入り組んでいて、車は到底入れない。グーグルマップを片手にウロウロするのだが、自分の位置表示とのラグや表示されていない極狭(ごくせま)の小道があったりして、本当に分かりづらい!結局10分程度の道のりを30分程かけて、汗だくになってゲストハウスに辿り着く。あれ、なんか昨日もこんなことなかったか。

こんな路地がマジで延々と続いてる。夢の中みたいだった。

辿り着いたゲストハウスは狭い路地に隙間なく林立する古い建物の一画にあり、不安に思いながら扉を開けると、中もかなり暗い。のそりのそりと奥から出てきたレセプションの親父にも一抹の不安を感じながら喋りかけると、この人、覇気はないもののとても親切な人のようだ。「バラナシは一部に観光客を狙う心ない人もいるが、基本的に親しみやすい人たちばかりで、おいしい食べ物や観光名所など沢山のものがあるので、楽しんで欲しい。あなたがバラナシを好きになってくれることを願う。」とのこと。なんなん、めっちゃいい人やん。
思えば、先程もゲストハウスを探してヒィヒィ言いながら路地を歩いていて、急にラフな格好の爺さんに「ジャパニーズ?」と声を掛けられたことがあった。デリーだとこういうのは必ず良くない勧誘だったのでちょっと構えて答えたのだが、どうやらほんとに道を教えてくれようとしているようだ。ゲストハウスの名前を告げると、「それなら真っ直ぐ行って右に曲がって、左に曲がったとこだよ!」と分かるような分からないようなことを教えてくれた。
こういうことはこの後もちょくちょくあって、別の時にも外出先から戻りゲストハウスへの路地を歩いていると、殊更細い道に入った時に何か「ハロー!ハロー!」と声を掛けられたような気がした。が、あまり気に留めずにそのまま通り過ぎてしまって、ようやく道を間違えたことに気付き戻ると、さっきのハロー!の声元の爺さんが「Yeah,yeah. This way.」と教えてくれたこともあった。何故私の行くところが分かるのか?と不思議な気持ちになったが、まぁ観光客が行く方面の相場のようなものがあるのだろう。
デリーでは話しかけてくる人皆が自分を騙そうとしているような気分になったものだが、一方で、ここバラナシの路地で話しかけてきたそのお爺さんは、私に話しかけることで一体何の得を見込んでいたというのだろう。そこにあったのは欲得の感情ではなく、純粋な未知への好奇と、温かい善意ではなかったか。ここバラナシは、デリーとは少し違うのかもしれない。絶え間なくやってくる出来事、押し寄せる情報の目まぐるしさにやや狭隘な思考に陥りかけていたが、そんな風に思えるようになってきた。

(インド旅行記③に続く)


何やらありがたいバラナシ空港のオブジェ
バラナシのガンガー沿いでは一般的な風景
このチャイ屋にはおっちゃん達がいつも集まってた
食べかけで申し訳ないですけどラップの中身はこんな感じでした。だいたいチーズ。
この人がブーツィー・コリンズ

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