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インド旅行記③(BHU訪問、インドの神に何を祈るのか)

2023インド旅行記:目次はこちら

(前回までのあらすじ)
必死のパッチでバラナシの路地を抜けて、ゲストハウスに到着。最初はちょっと不安だったが、受け付けをしてくれたおじさんもどうやら良い人のようだ。


通された部屋も、古くてテレビこそないものの、綺麗に手入れされ静かで落ち着いていて、田舎の親戚の家に来たようなくつろぎ。壁は青く、かわいらしい黄色い花が描かれた陶器のプレートが付いたフックが備え付けられている。窓からは穏やかにガンガーが見え、遠くの大きな木では沢山の猿たちが思い思いに寝たり座ったりして過ごしているのが見える。窓を開けると、吹き込む風がレースカーテンを揺らし、汗でじっとりと湿った肌に心地良い。屋上に上れば、雄大なガンガーを特等席で間近にゆっくり眺められるという、これまた素晴らしいロケーション。
件の猿の大木の下にはまた別のゲストハウスのような建物があって、猿達はここの屋根でも休んでいる。スタッフが棒のような物を持ってきて猿たちを追い払おうとしているが、屋上の猿たちは一向に気にしていない様子。静かで、牧歌的な空気。
デリーでは少し辟易したところもあったが、ここバラナシでは気持ちよく過ごせるかもしれない。

シーツの柄もかわいかった
窓からはガンガーが望めます

とりあえず荷物を下ろし、これからすぐにバラナシ・ヒンズー大学(以下BHU)に向かわなければならない。この大学で日本語教師として働かれている方に伝手があり、日本語を学ぶ学生さんとの交流にお誘い頂いたのだ。

とりあえず通りに出て、乗り合いのオートリクシャーで少し南側の「ランカ」まで行けばいいらしい。しかしながら、果たして私に乗り合いリクシャーとそれ以外の区別がつくのか?それにランカ方面行きはどこから乗ればいいのか?分からないことしかない。親切なゲストハウスのおじさんに聞いても、大体同じような情報しか得られない。ええい南無三!と大河に身を投げ出すような心持ちでゲストハウスを出た。

屋上からのガンガー、手前の木が件の猿の木。

先ほどは迷路のようだった路地も、一度方角が分かってしまうと意外とすんなり大通りに出られた。相変わらず気を抜くと牛糞に足を踏み込みそうだし、狭い路地を容赦なくオートバイが走りぬける悪路ではあるが。

さてランカ行きのリクシャーは…と次なる課題に身構えるも、すぐ傍のリクシャーの横で「ランカ!ランカ!ランカ!」と叫んでいる運転手らしき人がいる。手を挙げて「ランカ!」と言うとそのままリクシャーに乗せられて、他の現地のお客さんも次々と乗って来て、あれよと言う間に乗り合いリクシャーでランカに向かうこととなった。「渡りに船」とは正にこのこと。ベンガリートラに、ランカ行きのリクシャー。

初めて乗るオートリクシャーは、サイドに庇も覆いもなく吹き込む風が心地よく、また道沿いの人々の生活の真横をダイナミックに進んでいく景色がとても興味深い。同じリクシャーやバイクが並走する時など、耳打ち話すらできてしまいそうな距離感。道端には行商の人達が各々の品物を売っているし、その横では牛や野良犬がゴミに鼻を突っ込んで食べ物を漁っている。みんな生きてるなぁ、とそんな風景に目を奪われていると、15分ほどでランカに到着。

これくらいの距離感でビュンビュン行きます

私が辿り着いた「ランカゲート」というのはBHUの入り口に位置するゲートで、この「ランカ」というエリアは、私の宿泊するガンガーのダシャーシュワメードガート(バラナシ最大の沐浴場)やベンガリートラのあたりからは少し離れた、別の繁華街のようだ。ゲストハウス近くの観光地的な街並みに比べ、ランカの方が生活に根差した店が多いように思う。やはりBHUも近いので学生が多いのか、ノートや教材などを売っている店もチラホラ見かける。

ランカの通り① お食事エリア
ランカの通り② 雑貨屋さんエリア

昨日夕食を食べたデリーのパンジャーブ料理屋とは違って、モダンで瀟洒な、若者受けしそうなカフェで知り合いと待ち合わせ。このカフェでは軽食にとチキンサンドを頼んだが、200ルピー(≒350円)ほどで分厚いサンドイッチ4つと山盛りポテトフライとサラダが出てくる。おいしかったが、ひどく満腹になってしまった。それに飲み物はマサラ・コーラなるものを頼んでみたのだが、完成された味のコーラに種々の香辛料で酸味や辛味や塩辛さが足されていて、何とも表現し難い味だった。次に行くことがあれば、何があっても絶対に普通のコーラを頼みたいと思う。

おしゃれな若者で賑わってました。あとクーラーが効いてた!
名状し難き飲み物

私がサンドイッチを平らげるのを待って頂き、その後BHUへ。なんと先ほど乗り合いリクシャーでやって来たランカゲートの先は、もうBHUの敷地らしい。更にゲートから校舎までも相当の距離があるので、そこからまたリクシャーに乗らないといけないとのこと。流石「アジアで1番敷地が広い大学」の名は伊達ではなさそう。敷地内は緑が生い茂っていて、敷地内のどこかに有名な寺院もあるようで、ゲートからは学生でない一般の人々もバンバン入っていく。

BHUの歴史は古く、また相当な数の学部・学科があるらしい。校舎の建物もやはり相応の歴史を感じさせ、節々の塗装は剥げ、いたる所にヤモリが這っている。BHU日本語倶楽部の皆さんが活動している部屋も、扉は重厚だが内部は天井にファンがあるのみで、壁にはやはり大ぶりのヤモリが鎮座していた。
ヤモリって、すべすべしててかわいいですよね。

キャンパス内はとにかく広くて緑が沢山、というかむしろ緑の割合の方が多かったと思う

日本語を学ぶ学生さん達は、皆それぞれに一生懸命日本語を使って話しかけてくれて、とても親近感が湧く。話しているとやはりそれぞれの個性のようなものも朧気ながら立ち上がってきて、一層の親しみが湧いてくる。

一方で、日本語が喋れることなんて私はたまたま日本に生まれたからできているだけで、いち学生としては自分などより彼らの方がよほど優秀なのだから、と自分を戒めつつ、できるだけ平易に対等な立場でお話しすることを心掛ける。お土産に持って行った和柄の手拭いもとても気に入ってくれたようで、はるばる持ってきて良かった。

日本語倶楽部の活動後、有志で学校敷地内にある「ヴィシュワナート寺院」を案内してくれることになった。バラナシには「ヴイシュナワート寺院」が2つあるらしく、学外のもう一つの方が有名らしいが、学内のこちらも現地住民からは親しまれているとのこと。
寺院の門前まで至ると、そこからは学生さん達が、日本語でお寺のことを何から何まで説明してくれる。お土産に売っているものは何なのか、何故鐘が沢山掛かっているのか、入り口に立っている像は誰か、はたまたこのレリーフの示している光景は何なのか。

BHU敷地内のヴィシュナワート寺院

寺院は白い大理石造りで、靴を脱いで入ると冷たい石の感触が足裏に心地良い。陽も暮れてきた構内には風が吹き抜け、清浄で涼しげな心持ち。学生ではない地元の方と思しき人々も、思い思いの場所で宵の口を過ごしており、何ともゆったりとした時間が流れている。聞いていたとおり、人々の生活に根ざした場所であることが見て取れ、とても良い空気感。

床がひゃっこかった

しかし私が何よりも驚いたのは、この学生さん達のヒンズー教に対する見識の深さである。ここはシヴァ神を祀った寺院だけあって、様々なレリーフなどの意匠はヒンズー教に関わるもの、また当地の歴史に関わるものが多かったのだが、皆どのレリーフを見ても即座にそれが何であるのかを、日本語或いは英語を使って、私のような部外者に丁寧に説明してくれる。果たして我々が仏教寺院や博物館に行って、それがどんな逸話を持っていてどんなシーンを表しているのか、ここまできちんと説明できるだろうか。ヒンズー信仰というものが、いかに深く彼らの裡に根付いているかを感じずにはいられなかった。

シヴァ神の威容を誇るレリーフらしい

またそれを裏付けるように現れたのが、シヴァ神の力の象徴であるリンガ(※)が置かれた、寺院奥の正方形のスペースだった。

※リンガ:男根をモチーフにしたシヴァ神のエネルギー、威光を示すモチーフ。バラナシではそこかしこで見かけることができる。

中央にはシヴァ神のリンガが鎮座(チン座)し、そこに参拝者たちが、売店で買った捧げ物をこぞって神官の下男のようなおじさんに渡している。
おじさんはその捧げ物の白濁したヨーグルトのようなものや葉っぱや花びらを、リンガに注ぎ、振りかけては洗い流し、また注ぎ、振りかけては洗い流し、を延々と繰り返している。

この人は毎日毎日洗い続けるのか、或いはシフト制なのだろうか

空間にはどこで鳴っているのか分からないが単調なお経(マントラ)が鳴り響き、参拝者はあるいは熱心に祈り、あるいは自分の捧げものをリンガに供えてもらうべく、おじさんに詰め寄っている。
しばらくすると本職の神官みたいな人達が現れ、リンガの周りに座ってお経を唱え始めた。これに伴って参拝者達もリンガの周りに座り込み、瞬く間にこの小部屋は足の踏み場もない程のすし詰めになってしまった。
お経の朗々とした響きは日本と似たところもあるが、大きく異なるのは要所要所で神官も参拝者も一同に手を上げ、「ハーレーハーレー!!!!」と空気も裂けんばかりに叫ぶところ。皆タイミングがピッタリと揃うのも凄い。やはりお経を聞くにしても、我々のような何となくのポーズではなく、皆本当に神々のことを想って聞いているようだ。

私はこのヴイシュナワート寺院のリンガでの祈りに立ち会って、如何に北インドの人々にとって、ヒンズーの教えが切実に身に迫るものとして深く根付いたものであるかに気付かされたように思う。この場にいる全員が深くシヴァ神の大いなる力を信じ、それに大なり小なり縋ろうとしている、熱く滾るような信仰のエネルギーを感じた。そう、インドの人々の信仰は、日本の寂滅思想のような諦めの信仰とは正反対の、熱狂的なエネルギーに満ちたものであるように思った。

ほんとに皆急におっきい声出すんですわ

リンガの小部屋には四方それぞれの壁に通路があり、それはまた小部屋をぐるりと囲む廊下に繋がっているのだが、とあるお爺さんは、決して小部屋には入らず、廊下の位置から一定のリズムで手拍子を鳴らし続け、しばらくするとまた別の通路に移って手拍子を鳴らし続けていた。何だかよく分からないが、あれも已むに已まれぬ神々への信仰心の迸りを、彼なりの行動に表したものなのだろうと思う。ここバラナシにはサドゥーといって、一生右手を上げたままにしておくとか、茨の上でしか寝ないことなんかによって神々への献身を表す人々もいる、と本で読んだことがある。コスパや効率なんて考え方とは反対の、論理を超えた、剥き出しのパッションそのものが体を突き動かすような信仰の形もあるのだろう。

全マシトッピング状態のリンガ

小一時間もそこでお経を聞いていただろうか。その間もずっと学生さん達は、一つ一つの所作の意味や私が楽しめているかどうかについて、日本語と英語のちゃんぽんで話し続けてくれていた。本当に良い子達だったと思う。

その後も寺院内を散策し、石畳の隅でBHUの音楽コースの学生がバーンスリ(インドの古典的な笛)を吹いているのを聞いたりして過ごす。夕暮れの涼しい境内に笛の音が静かに響き渡る空気感は、本当に素晴らしいものだった。

今がいつの時代なのか分からなくなるような感覚

しばらく笛の音に聞き入っていると、今度は何やらそこら中に響き渡る大音量で、複数の太鼓を打ち鳴らす音が聞こえてきた。ちょっと尋常ではない音量に驚いていると、これはこのお寺の定例のお祈りだと学生さんが教えてくれる。確かに、火の灯った蝋燭を何本も挿した燭台を掲げた神官が、大音量の太鼓衆を引き連れて神々の像を練り歩いている。それぞれの像の前で立ち止まり、燭台を揺らして祈り、また次の像へと向かってゆく。この間も勿論太鼓は大音量で鳴り響き、間欠的に、分裂症的な法螺貝が吹き鳴らされる。これはなかなかその場にいないと凄みが伝わらないと思うが、本当に音量が尋常ではなく、「発狂」という言葉がしっくりくるような、とてつもないエネルギーだった。この寺院ではこんなことを日に何度も行っているらしい。
太鼓は日本の鼓のように両側に打面のあるものだが、回転させるように振ることで紐に結わえられた重しが打面を叩く仕組みになっていて、この機構のおかげで少ない力で最大限の音量が出せるよう工夫がなされていた。

命の危険を感じるくらい大きい音だった

最後に屋外に出て、シヴァ神のペットである牛のナンディニ像に立ち寄った。これは耳元で願い事を囁くと叶えてくれるという霊験あらたかなものらしく、なるほど参拝者も順番に並び、熱心に何事か囁きかけている。また学生さん達がそれを丁寧に説明してくれ、更には自分達よりもまず私を、と押し出してくれた。

しかしながら正直なところ、私はこの時、「これは私の神様ではなく、彼らの神様なのだ」という思いを禁じ得なかった。あんなに熱心に祈り、その逸話の数々を肌に馴染むものとして受け入れる信仰は、私にはない。彼らがこんなに熱心に思っているものに対して、私が生半可な気持ちで何をお願いすることができるだろう?彼らの心底の好意に応えるものを持ち合わせていないようで、これほど親切にもてなされながら、私はまるで孤独な闖入者のような心持ちだった。

そう、もしこれが彼らの神であるのならばと、私は彼らの日本語の上達とこれからの安寧を、ナンディニの耳元に囁いた。

何かを信じることは、それだけでとても尊いことだと思う

お寺の外に出るともうすっかり辺りは暗くなっており、何か軽く食べるものを探したが屋台はあらかた店じまいしてしまっていたので、皆で露店のアイスとパ二プリ(※)を食べた。

※パ二プリ:球形のカリッとした生地を割って、豆カレーと酸っぱいハーブ水をその場で入れたものを、わんこそば的に何個も頂くもの。生水を使うので旅行者はお腹を壊しやすいらしい。

灰色の青春を過ごした私に、アイスを齧りながらキャンパスを歩く日が来ようとは
パ二プリってこういうやつです

帰りはまたランカからゲストハウスの近くまでリクシャーに乗り、たどり着いたゲストハウスのベッドで、泥中に沈み込むように眠った。

(インド旅行記④に続く)


ナタラージャのシヴァだと思うが、顔がハヌマーンみたいだった
捧げものとヴィシュヌ?
捧げものとハヌマーン
露店のアイス屋さん
パ二プリの屋台
色々なリンガ

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