【 ゼロ地点 】

#脳オペ成功 #コイルとステント入った#lgA腎症#なんのために#問いかけ止める#分岐点#人生の分岐点#価値観



オペ前の価値観・こだわりが思い出せないというか…。

なんと表現したらいいのか…。

目的も目標もなくても、いつも、わたしは、最適で最善で最高だというか…。

おぎゃぁと生まれてから幼少期は、目的も目標もなくても、いつも、わたしは、最適だった。

引き寄せようが、引き寄せまいが、振り返れば、いつも、最適で最善になっていたなって思えるのですよ。

良いも悪いも、頭の中で想像した通りの現実は起こっていた訳で。

顕在意識・潜在意識、それ以上の深く自分でも認識できないような無意識下の全ての頭ん中で、想像してたものが、具現化されてたなぁ〜。

そんなことは、引き寄せでもなんでもなくて、ただ、そうなっただけ…。

それが、最適で最善で最高で、何も間違っているものではなかったなぁ〜。

こんな風に気付けたのは、当然、今までの自分の内面と向き合って来たからこそ。

ありのままの今・現在を
丸っと受け容れる。

なんの疑いもなく。

それが自然となった。

この感覚は、とても大きな分岐点。
確実に、人生における分岐点。

正解でも間違いでもなく、
ポジティブでもネガティブでもなく、
引き寄せたとか引き寄せないとかでもなく、
ただ今がある。

ただそれが大事。

ゼロ地点に立ったというか。

いつも、今、出来ることの中で、もがきながらも、必死に選択してきたことは…。

わたしの出来ることのすべてで…

それしか出来ないということの中で…

それしか選べなかったとしても、

その選択を必死で受け入れて実行したから今があるわけで…

だから、いつも、今・現在は、それが最善でしかない。

今・現在の積み重ねで過去になる。
今・現在を築き上げるから未来になる。

未来は、瞬く間に、今になり、
今が光の速さ如く過去になる。

今・現在、必死でもがいて選択した行動や言動が、それしか出来なくても、出来ないからこそのことで、そう考えると、それはその瞬間の最善な選択だった。

未来からその過去を振り返ると、
「ああすれば良かった。あんなことしなかったら良かったのに。」
と思えるけど、

未来にそう思えたとしても、今、その瞬間には思いつく限りのことしか、いっつも出来ない。

それはつまり、

無意識に、きちんと、その瞬間の最善を行っているからに過ぎない。

だから、いつだって、特に、過去は、最善でしかない。

未来は、今を最善だと認識出来ると、今が知恵となり、未来では更に、選択肢が増えることになり、結果、未来も最善である。

なんだか不思議とそう思う。

ネガティブとポジティブの感覚が、広がったというか、底上げしたというか…。

これからも、色々な出来事が起こり、
さまざまな感情が出ることになるだろうけど。

ゼロ地点を知ったので、
どちらにも固執することなく、
囚われ過ぎず、
フラットに戻ることが、簡単に出来るだろうな。

そんな気がする。

気がするだけかもしんないけどね。

どうなるかは、これからのお楽しみってことで…。

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