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スキに忠実であることが世界を幸せにする

小説版「天気の子」を読了。

映画ではわからなかった設定や登場人物の心情をより深く理解することができて、今すぐにでももう一度映画版を観たくなっている自分がいる。

ちなみに、小説版、映画版ともに新海誠氏の作品であり基本的に同じ内容だけど、メディアの特性で小説版でしか知ることのできないディテールがあるのだと、新海監督自身があとがきで触れていた。クロスメディアで好きな作品に触れると、間違いなく作品への愛がますます深まる。

そういえば子供の頃、宮崎駿監督の「ルパン三世 カリオストロの城」が大好きで、小説版を買ったことで作品の世界にさらにハマったことを懐かしく思い出しもした。

◎映画「天気の子」を観たのは公開終了間際だった

「天気の子」は、「君の名は。」の新海監督の最新作ということで、上映の始まった夏に観に行くつもりにしていた。でも、なんとなく行けないまま年末になり、その時点の僕にとっては、観れなかったら仕方がないかなという感じの作品となっていた。

そんな時、ある40代の男性(以下、H氏)が「天気の子」についてfacebookで毎日熱く語りはじめたのだ。

H氏は、様々な人が集う交流会や勉強会にもフットワーク軽く参加するパワフルな人で、僕も一目置いている人物だ。結婚もしていて、中学生の娘さんもいる。そんな彼がどハマりし、すでに映画館に十数回通っていて、それでもまた観にいきたいという「天気の子」。

そしてある日、いよいよ「天気の子」の上映が終わってしまうという投稿を見かけた。あのH氏がそこまで入れ込んでいる作品で、自分ももともと観に行こうかなと思っていた映画がもうすぐ映画館で観れなくなるという事実を突きつけられると、選択肢は一つしかない。

梅田まで、朝、一人で観に行った。

結果、映画の世界に僕もすっかりハマってしまった。世間から何ヶ月も遅れて、だけど。

H氏の「天気の子」愛をようやく理解した僕は、先日会ったH氏から小説版をお借りし、さらにその世界にハマっていこうとしている(笑)

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◎作品から感じる爽快さ

ストーリーについてはここで改めて説明しない一方で、ネタバレ的なことも書いてしまう。そこを了解していただいた上で…。

作品は、新海監督ならではの美しさが全編に溢れている。そして、雨が降り続く東京が舞台なのに、作品から受ける印象は全くジメジメなんてしていない。映画を観終わって、小説を読み終わって、感じる気分は爽快さ。東京には雨が降り続けているというのに。

東京に雨が降り続くことになったとしても大好きな人(陽菜)を選んだ主人公(帆高)の行動は、社会や他人にとってどうだろうという迷いはなかった。そして、僕をはじめ多くの観客は、そんな主人公の選択を共感を持って見ていたのだ。

それは、何がどうなろうと自分が好きなものを選択する勇気と清々しさへの共感によるものなのだろう。誰かを、何かをスキという感情に基づく行動は、それだけで理由なしに人の心を撃ち抜くものなのだ。

◎聖地巡礼もしてしまった

すっかり作品のファンになってしまった僕は、先日の上京の際に作品の重要な舞台である田端駅にも立ち寄ってきた。

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改札を出るとすぐに始まる坂道はまさに映画に描かれていた通りで、ラストシーンではこの坂の上で陽菜が雨の中で祈っていたのだ。何があるでもない風景だけど、映画のシーンを思い浮かべてその場に立てばそこは特別な空間だ。その日はいい塩梅に東京の空は雲に覆われていて、「天気の子」っぽく素敵だと感じた。

晴れていなくて良かったと思う時点で、完全にやられている(笑)

◎スキの力

「天気の子」という映画のヒットは、スキという感情に対する人々の共感力を改めて教えてくれたのではないかと思う。天気と引き換えに帆高が陽菜のことを諦めていたとしたら、東京の空は晴れたかもしれないけど、僕たちの心はどんより曇ったままだったことだろう。

自分のスキに忠実な行動こそがみんなを笑顔にして、世界に幸福をもたらす。誰かが誰かのために犠牲になることなんて一切必要ないのだ。

世界とは、自分を通して認識するものであり、一人ひとりが自分の中に持っているもの。その世界を鮮やかな色彩の中で生きていくためには、自分にとって絶対的に譲れないスキは譲ってはいけないのだということを「天気の子」という作品から感じた次第だ。

偏愛、万歳!

そんな作品に、滑り込みで出会わせてくれたH氏の「天気の子」愛にも改めて感謝したい。

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