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231221_現在地(いつだって今のあなたで十分であり、変わっていくあなたがいい)

来年、海外に行きたいと思っているんです。

そう思い始めたのはちょうど一年前の12月。予想外に大きな仕事が一つなくなり時間ができました。
「どうしようか」と考えた時に思い出したのは、2018年末にパリ、フランクフルト、バルセロナを訪れた時のことと、そのひと月後の2019年1月に台湾を訪れた時のこと。

目に入る字面も、耳に入る言葉も、もちろんわからない。
それ以外の音も、匂いも、いつも受け取っているものとまるで違う。
そんな中で寝起きし、なんとかコミュニケーションを取り、ものを買い、食事をとり…と、時間にするとたった数日間のことだけれど、私の中に鮮烈に、色濃く、残りました。

(全然完結していない(おそらく完結しない)けれど、ヨーロッパや台湾を訪問したときのことを過去にいくつか書いています)

「時間もできたし(収入はなくなるんだけど)、また海外行きたいな」
と思い始めた時は数日の旅行をぼんやり想像していたのですが
「海外に行きたいな〜」
って言いふらしていると「なんで行きたいの?」「どこ行きたいの?」と訊いてもらう場面が何回かあって、そのうちに「旅行」に行きたいわけじゃないと気が付きました。
わたしは海外で「生活」を送りたいのです。生活者になりたいのです。

ほら、メタ認知って言うじゃないですか。

メタ認知(メタにんち、英:Metacognition)とは、「メタ(高次の)」という言葉が指すように、自己の認知のあり方に対して、それをさらに認知することである。メタ認知という概念の定義やその活動は分野によって様々であるが、心理療法や認知カウンセリングをはじめ、ものごとや経験に対して正しい理解を行えているかなど、自分の認知行動を正しく知る上で必要な思考のありかたを指すことが一般的である。

Wikipedia より

わたしは何かの事象があったら、一旦自分の意思はそこから抜いて、その事象について客観的に要点を洗い出して分析したり、他の人がどのように思うか整理したりします。そこから「いまはこういう状況ね」「じゃあいまの最適解はこれかな」と、状況把握や次の一手を考えます。
…という人間だと認知しています。
同時に、一旦抜いた自分の意思や意見はどこにあるのかいつも迷子になっているとも認識しています。
「一旦抜いた」と言ってるけど、一旦抜くも何も、そもそも自分に意見があったのか甚だ疑問に感じることも少なくありません。いまだに、スタバに行ってめちゃめちゃメニューに迷うこともあるんですから。(それを意思や意見と呼ぶのだろうか)

自分のことも含め、つねに一歩引いて事象を観察している自分も、わたしの意見はどこですか迷子の自分も、全部大切なわたしであることに間違いはありません。
いままでも、今日も、これからも、その時の自分に欠けているものは何一つない。
いつだって、人は十分であることは不変の事実。

でもね、同時に、変わりたいとも思う。
意見はどこですか迷子のわたしは、色んな物事を”いい側面”から見ることができる。意見迷子のわたしだっていい。
その上で、
こうがいい、が自然にわいてくる感覚も得たい。頭ではなく身体で生きていきたい。
もっと「わたし」を生きたい。

最近、心底そう思うのです。

このことと、海外で生活者になりたいことがどう結びつくのか、正直全然わかりません。
「ヨーロッパでは一人ひとりの意見が求められるというから、そういう地に身を置くことで自分の意見を持つことに慣れていきたい」という説明をすることはできます。でもそんな、1+2=3みたいなことではないんです。
とは言え、いまここに並列で書こうと思ったのですから、何かしらのつながりを感じているのは事実です。

わたしが思う「生活者になる」というのは、ある程度の時間を過ごすこと。時間、ではなく期間、と呼べるくらいの長さ。

「海外行きたいな」から「海外で生活をしたい」と言語化できるようになったときに、ある友人が「ワーホリ使えんじゃないの?」と教えてくれました。
ワーキングホリデーについては「聞いたことある」程度の知識だったので調べてみると、取得できれば就労しながら1年間滞在することができるビザで、申請は31歳の誕生日を迎えるまでとありました。

2024年の夏に、31歳の誕生日を迎えます。
一年前に海外に行きたいと思ったわたしは一年後どこにいるんだろうか。
音も、匂いも、慣れないどこか遠くの国の生活者として日々を重ねているんだろうか。

終始まとまりのないこの文章を書き始めるきっかけになった、ツイッターに流れてきた動画で今日は結びにします。
ね、って笑う教授が好きです。



この度は読んでくださって、ありがとうございます。 わたしの言葉がどこかにいるあなたへと届いていること、嬉しく思います。