不便な本屋はあなたをハックしない

不便な本屋はあなたをハックしない(4)日本における二つの円――「大きな出版業界」と「小さな出版界隈」

「不便な本屋はあなたをハックしない」目次
(序)
(1)本屋としての筆者
(2)「泡」と「水」――フィルターバブルを洗い流す場所としての書店
(3)独立書店と独立出版社――「課題先進国」としての台湾、韓国、日本
(4)日本における二つの円――「大きな出版業界」と「小さな出版界隈」
(5)「大きな出版業界」のテクノロジーに、良心の種を植え付ける
(6)全体の未来よりも、個人としての希望を
※「不便な本屋はあなたをハックしない(序)」からお読みください。

一方、台湾や韓国のそうした状況から日本を照らしてみると、取次大手二社の協業や、書店の統廃合やグループ化が起こっているとはいえ、まだ大手も多様性を保っていると感じる。何十年も続くビジネスモデルは衰えながらも未だ健在であり、書店がない自治体の数や、取次や書店の経営破綻などがたびたび全国ニュースとして報道されながら、その存続が業界の内側だけではなく外側からも願われる。また、あくまで筆者の観測範囲における印象でしかないが、台北やソウルと東京の電車を比べると、乗客の中で本を読んでいる人の数も、まだ東京のほうが多いように思える。日本にいると、本は限られた趣味の人のものではなく、広く一般に愛されていると感じる機会がまだ多い。

たしかに日本においても確実に、独立書店、独立出版社の波は起こっている。少なくとも筆者のSNSのタイムラインでは(それもかなり偏った「泡」の中での話ではあるが)、個人で書店をオープンする人や、独立して出版社を立ち上げる人などの話題がほぼ毎月、ときには毎週と感じられるほど流れてくる。けれど同時にチェーンの書店や大手出版社からも、新しい挑戦に関するニュースがたびたび聞こえてくる。

つまり日本においては、まだ台湾や韓国のような分断は起こっていない。イメージとしては、中心から周縁に向けてグラデーションのある二つの円があり、それらがズレた状態で重なっていて、その中にいろんなプレイヤーが分布している。どこからがこちら側、どこからがあちら側と線を引くことはできないが、異なる円の輪郭がそれぞれにぼんやり存在している。いったん、そのような全体像を思い浮かべてみていただきたい。

筆者は、日本にそのような二つの円が、それぞれの中心を持って存在していること、そしてそれが分断されずに重なり合い、複雑なグラデーションを成していることによって、台湾や韓国とはまた違う、独自の活気が生み出されていると感じている。以下、筆者のイメージする二つの円について書く。

片側の円はいわゆる「業界」であり、これを「大きな出版業界」としよう。
それは必ずしも大手書店や大手出版社だけで構成されているのではなく、中小の書店や出版社も多く含まれている。しかし「業界」に属していれば、あまり独立書店、独立出版社とは呼ばれない。そこでは「業界」自体の存続が、ひとつの命題として掲げられている。取次の流通データをもとに統計が取られ、書店のPOSデータをもとに市況が分析される。長らく全体の売上は右肩下がりであるが、その中身にもトレンドがある。

「業界」の書店はその個別の実績において、全体のトレンドと連動することが多い。「雑誌が売れない」と言われるころには実際に雑誌の売上減による影響が大きく、「文庫も売れなくなってきた」とされるタイミングで文庫が売れなくなってきており、「児童書はまだ堅調」といわれる児童書が実際にまだ堅調である。中小書店はさらに、大手以上に悩みも多い。売れ筋の商品は満数送られず、取次からの配送は遅れがちで、一方で頼んでもいない本が配本される。大取次を中心とした出版流通システムが経営上のインフラであり、同じように機能を維持し続けてもらわなければ困るので、適宜改善を求め続ける。

そうした書店に訪れる客は、一定の利便性、サービスの維持や向上を求める。生活の中でアクセスしやすい立地にあるほうがよいし、探している本があれば見つかるに越したことはないし、自分の興味関心に合う本に出会わせてくれるならばなおよい。働く書店員にとっては、話題性が高い本ほどそれを求める客も多いので、必要な数を確保することは重要な仕事のひとつだ。その立地、その場所で、客から求められる本を取り揃えること、書店としてサービスを提供し続けることに、強い使命感がある。店を維持するために数字を追いかける。本を売ることだけで成り立たないなら、雑貨を仕入れたりカフェを併設したり、イベントを開催したり出版事業を立ち上げたり、店周辺のエリア全体をプロデュースしてテナントから家賃収入を得たり、可能性のあるサイドビジネスには何でも取り組もうと考える。書店が元来持つ集客力もビジネスになる。大手書店のブックファーストがはじめた「リアル店舗で出品をしたい主にネットショップのメーカーに対して多くの委託販売店舗を提供」する取り組みなどは、わかりやすい事例だ。取次も、取引先としての書店を存続・発展させるため、積極的にそうしたサイドビジネスを後押しする。

「業界」の出版社は当然ヒットを狙う。多くの編集者は自分の足とインターネットを駆使し、話題となっている人やテーマに常にアンテナを張りつつ企画を立てることが求められる。ただ本をつくるだけでなく、どのようにフックを生み出し、世間の関心を引くかという戦略を並行して立てる。ファンコミュニティをつくり、主体的に動く存在として巻き込む。営業は、いかに書店でよい場所を取り、大量に展開してもらうかを考えて事前注文を取る。事前にゲラやプルーフを読んでもらうなどしながら、いかに書店員を仲間にし、盛り上げられるかを考える。また書店と同様、ウェブメディアやアプリを立ち上げたり、小売やサービス業に進出したり、権利ビジネスやエージェント業にさらに力を入れたりなど、その元来の編集力やコンテンツ力、著者とのネットワークを生かしたサイドビジネスを考える。書店や取次の力も、サイドビジネスに最大限に活用する。あくまで雑誌の付録という体裁をとりながら、美顔ローラーや低反発枕など様々な商品を売る宝島社の清水弘一氏は「僕らにとって本屋は最高の流通だと思っている」という

取次はそうして生み出された新刊を、注文のあった書店はもちろん、それ以外の書店に対しては実績をもとに自動で配本する。納返品の差額に対するパーセンテージが収益となるから、業界全体の売上の減少は、直接的に打撃をもたらしている。目下の課題は物流費の高騰だ。返品率が下がれば物流コストが下がるので、できるだけ無駄な送品も少なくしたい。売れる本を、売れる量だけ、書店に振り分けるのが理想だ。先の業務提携のリリースに見られる「物流の効率性」や「マーケットイン型」といったことばが、それを物語っている。そもそも長らく書籍は赤字で、そのぶんを雑誌の利益でまかなっていたことが公言されている通り、同じ本が大量に売れ続けるほうが構造的に効率がよい。

一方、もう片側の円を「小さな出版界隈」としよう。

その中心となっているのは中小の書店や出版社だ。彼らは台湾や韓国でいう独立書店、独立出版社に近い。取次を中心とした出版流通システムを使っていても、その依存度が高いところは「業界」寄り、低いところは「界隈」寄りに位置する。「界隈」の書店や出版社の多くは、1人から数人の小さな規模で、それを生業としているか、もしくは副業としている。

あるいは副業という意識さえなく、あくまで個人のライフワーク的に、もしくは純粋な趣味的に、本に関わる人たちもいる。同人誌やリトルプレス、zineと呼ばれる出版流通に乗らない本を発行している人、本にまつわるグッズやサービスをつくっている人、一箱古本市などのブックイベントに出店する人、本を紹介するブログやSNSアカウントを運営している人などだ。

彼ら自身がビジネスのつもりでないとしても、ビジネスをしている側から見れば無縁ではない。質の高い同人誌であれば、書店も仕入れて販売すれば利益になるし、ブログやSNSで自社の本が紹介されれば、出版社もそれを拡散すればよい宣伝になる。そうした個人も含めた全体を表現するにあたり、「業界」ということばは馴染まないと感じて「界隈」とした。

そうした「界隈」の個人には、普段はまったく本とは関係ない職業に就いている人もいれば、「業界」大手の書店や出版社に勤めていて、社内ではできないことを個人的にやっている人も多い。誰もが本好きとして「業界」に育てられてきた自覚もあるし、「業界」から生み出される本を扱ったり「業界」の書店に本を扱ってもらったりしている人も多いので、リスペクトも動向への関心もある。

「界隈」の書店は、たとえ「業界」同様に売上がきびしくとも、必ずしも「雑誌が売れない」といったトレンドとは連動しない。多くの場合、それぞれ違った課題があり、悩みも違う。世間で売れ筋だからといって、必ずしもその本を注文しない。多くは、自分たちが売りたいと思える本だけを厳選して取り扱っている。取次からの配送が遅れがちであったり、頼んでもいない本が配本されたりすることはあるが、客に迷惑がかからない限り大きな問題ではない。そもそも大取次とは契約しない、あるいはできない書店も多い。中小取次や直取引を駆使して商品を仕入れていたり、そもそも古本が主であったりする。

書店に訪れる客は、そこにいわゆる利便性は求めていない。欲しい本が決まっていればAmazonや大手書店で買えばよいから、店も客もそれぞれ違う価値をその場所に感じていて、求めるコミュニケーションの濃度も様々だ。働く側も、話題の新刊を揃えることが期待されていないぶん、それ以外の価値を提供することが仕事であり、その質を落とさないことに強い使命感がある。本を売ることだけで成り立たないなら、雑貨を仕入れたりカフェを併設したり、イベントを開催したり出版事業を立ち上げたりもするが、何をやる場合もその店らしいラインナップ、その店らしいやり方で、なんとか収支を成り立たせ、店を存続させようと考える。あるいは別の副業で赤字を補填したり、別の本業を持つことで収益を度外視して本屋であり続けようとしたりする。屋号を掲げていても実店舗は構えずに、普段はインターネット上で発信をしたり、通販をしたり、たまに週末の一箱古本市やブックマーケット的なイベントに出たりするのが主な活動である人も多い。

「界隈」の出版社(あるいは出版者)は、自分たちが世に出したい本だけを出す。多くの編集者は、個人的な関心のもとに、注目すべき人やテーマに常にアンテナを張りながら企画を立てる。ただ本をつくるだけでなく、決して多くはないが強い関心を持つはずの人々に、どのように届けることができるかの戦略を並行して立てる。営業は、いかに書店で適切な棚に置かれ、正しい文脈で伝わるかを考えて、応援してくれそうな書店員とコミュニケーションを取る。初刷部数はそれほど多くないので、取次から新刊配本として届く先も限られている。あるいは、そもそも出版流通には乗せずに、好きな書店やよく知る書店員からの注文を中心に、じっくり売っていく。書店で著者のトークイベントを開催したり、本好きが集まるマーケットに積極的に出店したりして、読者と対面する機会も重視する。

「界隈」においては、もちろん数字も重視されるが、数字だけが求められるようなことはない。あくまでこういう本を扱いたい、こういうふうに本とかかわりたいという意志を前提として、ビジネスをしている人もそうでない人も、著者も読者も入り混じっている。

ここまで述べた「大きな出版業界」と「小さな出版界隈」は、あくまで二つの円の輪郭をあらわすための典型だ。ある面においては「業界」的だがある面においては「界隈」的である書店や出版社もあることは承知の上であり、ご容赦願いたい。

あくまでそうした前提で、便宜的に大きく分けて考えると、売上は「業界」が圧倒的に大きく、中心にある取次による流通システムが崩壊しない限り、おそらく「界隈」と逆転することはない。けれど関わるプレイヤーの人数は、「業界」では減っている一方「界隈」では増え続けていて、少なく見積もっても人数は逆転に向かっているか、もしくはとっくに逆転して「界隈」のほうが多くなっていると感じる。

全体の売上が下がり続けているのにプレイヤーが増え続けているというのは、ビジネス的には不思議な事態である。おそらく、出版が純粋な製造小売のビジネスではないこと、本が単なる商品ではないことを示していよう。ともあれ、本や出版に関する話がメディアで取り上げられるたびいまひとつ腑に落ちなかったり、同じ本や出版に関する話をしているはずなのに全然かみ合わないようなことがたびたび起こったりするのは、このような二つの中心があるからではないか。

しかし、多様な本が出版されるほど知の世界が豊かであるように、本屋もまた、多様な形があるほうが豊かであるはずだ。これらの二つの円がそれぞれの中心を持ち、グラデーションの中に多様な存在が分布する状態は、「課題先進国」としての日本が示し得る、ひとつの希望のある姿だと筆者は考える。

先にも述べたように、台湾や韓国において筆者らを引きつける活気は、いわゆる「業界」的なものが日本よりさらに衰退していることを背景としている。正直、取材で興奮していた当初は、「業界」がリセットされた後の世界のように見え、それにある種の魅力を感じていたことは否めない。しかし日本の取次を中心とした出版流通網は知れば知るほど優れていて、やはりできる限り維持されるべきだ。

その崩壊は「業界」はもちろん、「界隈」にも小さくない影響を与える。欲しい本が手に入りやすい環境は、意志をもった個人によってうまく使われることで、後に述べる「水」としてのリアル書店づくりに大きく寄与する。「業界」がビジネスとして駆動する装置を片側で維持しているからこそ、グラデーションの交わりのなかに、台湾や韓国とは違った意味での多様性が生まれているのが、日本の本屋の魅力なのではないだろうか。

そのグラデーションの中には、自分とは大きく違うポジションの人、特に円の反対側で本に取り組む人のことを認めなかったり揶揄したりする人が、両側にそれぞれいる。自分の持ち場を愛し、真面目に取り組むほど、反対側の存在に対してある種の不真面目さを感じる、その気持ちもわからなくはない。おこがましいことは承知だが、筆者としてはその全体、その多様性をひとつの希望と捉えることで、そうした人たちが互いを肯定できるようになることを願う。

以降、ここまでに述べた「泡」と「水」、そして「大きな出版業界」と「小さな出版界隈」を軸に、もう少しだけ私見を述べることを続ける。

(5)「大きな出版業界」のテクノロジーに、良心の種を植え付ける へ続く

初出:『ユリイカ 2019年6月臨時増刊号 総特集 書店の未来

※上記は『ユリイカ』に寄稿した原稿「不便な本屋はあなたをハックしない」の一部です。2019年5月上旬に校了、5月下旬に出版されたものです。編集部の要望も踏まえ、しばらく間を空け順次の公開という形を取り、2019年8月にnoteでの全文公開が完了しました。
本稿以外にも多角的な視点で対談・インタビュー・論考などが多数掲載されておりますので、よろしければぜひ本誌をお手にとってご覧ください。

ユリイカ 2019年6月臨時増刊号 総特集 書店の未来
目次:【対談】田口久美子+宮台由美子/新井見枝香+花田菜々子【座談会 読書の学校】福嶋聡+百々典孝+中川和彦【未来の書店をつくる】坂上友紀/田尻久子/井上雅人/中川和彦/大井実/宇野爵/小林眞【わたしにとっての書店】高山宏/中原蒼二/新出/柴野京子/由井緑郎/佐藤健一【書店の過去・現在・未来】山﨑厚男/矢部潤子/清田善昭/小林浩【書店業界の未来】山下優/熊沢真/藤則幸男/富樫建/村井良二【海外から考える書店の未来】大原ケイ/内沼晋太郎


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