見出し画像

『本当の翻訳の話をしよう』 村上春樹/柴田元幸

(この本を取り巻く個人的な話)

その本は確か、当時付き合っていた女性を関空まで迎えに行くのに、待ち時間の暇つぶしで買った一冊だった。あまりいい別れ方をしなかったから、気まずい記憶の副産物的な扱いをして、実家に置いてきたのかもしれない。今ならそういった苦さを感じず、一冊の本として素直に読めるだろうし、買い直そう。

いま、寝転んで携帯を触っている恋人の横で読んでいる。人生は実にいろいろとあるものだ。

(この本の中身の話)

『村上柴田翻訳堂』の解説セッションとして収められている対談も含んでいるから、既読のものもけっこうあったのだけど、“翻訳”を主題とした一冊の流れのなかで読むと「他での対談との繋がり」のようなもの、あるいは一貫した考え方みたいなものが浮かび上がってきて、とても興味深く読めた。

本書はもちろん、外国語で書かれた小説を日本語に置き換える“翻訳”という作業を主題にしているわけだけれど、その内容は翻訳の場面のみに留まらず、日本語ネイティブとして日本語で文章を書く際にも、非常に参考になる(胸にとどめておくべき)考え方が多分に含まれているように僕は感じた。

いい翻訳とは何かというテーマでの対談に、印象深い言葉があった。「二度読ませちゃダメなんですよ。文章を分けてもひっくり返しても何してもいいから、一度で読ませないとダメですよね」。

(この本を取り巻く個人的な話)

あと、これはとても個人的な話だけれど、読書という行為はいつだってできるし、いつになってしたっていいと思った。この本については、僕は最初に単行本を手に取ったわけだけれど、当時の状況がうまく回らなくて最後まで読むことができなかった。ところが今、こうして文庫本で買い直して読み通すことができた。

当時は翻訳された小説をうまく読むことができなかったのもあって(途中のダッシュが意味不明だった)、ここで語られている小説の大半が未読だったし作家の名前も知らないし、対談の内容がまるで宇宙人の会話だった。ところが最近になって翻訳書が読めるようになり、好んで読むようになった。

たった数年前の話だ。翻訳書を苦手としていた頃からたった数年で、ひとは“読めるテキストの幅”を広げることができる。そのことは結果として、日本語で語られていながらも宇宙人の会話にしか見えなかった本書を、(ある程度は)自分のフィールドで理解することを可能にした。ちょっと感動すら覚えた。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?