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2021=初めての育児・育休の1年 - 振り返りと気づき

2021年は私にとっては初めての育児・育休の一年。このカオスだった一年をどう総括し消化すべきかなかなか整理がつかなかったけど、文章にすることで少しだけ見えてきた。

端的に言って2021年というのは今までの人生とはすべてが違う!わけだけど、それは何かと言うと、自分は一貫して「ケアする人」であったということだと思う。

歴史年表を見るとき、そこには名前のつけられる「キーとなるイベント」だけが記述されている。だけどその渦中にいる人たちは、〇〇事件のその瞬間だけを経験しているわけではなくて、連続性の中にそのイベントはあるわけだよね。

赤ん坊の物語を記述するとき、「○ヶ月 ハイハイを習得」みたいに書いたりするけど、赤ん坊は急にパッとそれをできるわけでなく、その前にいくつもの段階がある。育児では数々のイベントにつながっていく出来事の折り重なりを日々経験していくことになる。

それはもうすごい頻度と濃度と勢いでドドドッと畳み掛けてくるので、一つ一つ記憶にとどめておくことができない。あまりに連続しているので出来事をメモすることも難しいし、仮にメモしていたとしても後からリアリティを持って思い出すことができない。

また、その物語の最中に主人公が感じることと、そばでそれを目撃している人の感じることは当然違う。目撃者は自分自身の解釈を多分に投影しながら、その歴史的瞬間の連続を味わっていく。

つまりケアする人はある面で目撃者であるわけだが、育児の更に特殊なのは、対象者との距離が非常に近く、またそれがずーっと続いていくことだ。ケアする人自身の物語と、ケア対象の物語は限りなく接近し、終わることのない筋書きが永遠と付け足されていく。
これは、育児や介護などでしか得られないとても特殊な経験であると思う。

自分はこの一年、ケアする人であった。それは赤ん坊の生活と学習をそばで手助けしながら成長を見守ること、それが自分の中心的な役割になるということだ。今まで本質的に自分以外のために生きたことがあっただろうか?


だけど、それは自分が主人公の物語がなくなってしまうことを意味するわけではない。

育児を経験すると自分は主人公の座から降りてしまったかのように考えてしまう人がいる。だけど他人の人生は生きられないから、これはやっぱり同時に本人の物語なのである。

育児を通じて自分が変わっていくこと。育児のなかに自分の新しい面を発見すること。家族が変化したり、新たな人間関係が生まれること。育児からの学びを他へ活かしていくこと。

それはとてつもない財産で、自分の物語においても重要な「転」となる可能性を秘めている。


私自身もほんとうにたくさんの気づきやら学びがあった。

ここからは自分主語の、2021年のハイライト?を書いてみたい。

①眠い
②平常心を保つ訓練中
③夫婦関係、コミュニケーションについて考える
④いい会社/サステナビリティに関するコミットメント
⑤ジェンダーギャップへの想い
⑥リノベへの反省

①眠い

睡眠は一年間思い通りになる事がない。週末に思いっきり寝てすっきり、みたいなのが許されないのは育児以前とギャップが大きいことの一つ。夜中に「ねえねえねえねえねえ」と永遠呼ばれてメシを要求される。場合によってはそのまま1時間以上起きてることも。さらに朝はとっても早起き。昼寝は大切だが寝てほしいときに寝てくれなかったり。赤ん坊とともに寝ればいいのだが、寝たすきに自分のしたいことをするのもとっても大事なのでそこは譲れない。寝たいだけ寝れないこと、これは過眠症診断されてる私にとってはとても辛いことで、世のお母さんお父さんマジ頑張ってて偉すぎ!と今だからこそ心から思うのである。

②平常心を保つ訓練中

平常心を乱される出来事が、育児以前と比べものにならないくらい日々起きる。とくに大変なのは、ごはんまわり。テーブルや床をめちゃくちゃに汚すのはあまりなんとも思わなくなったけど、せっかくご飯を作ったけど食べない、好き嫌い激しい、食事中に立って逃げようとするとかは、いかにオッケ~とできるかの闘いである。他にも、料理中で手が離せない時にわめき散らかしたり、寝るのにすごく時間がかかってようやく寝たと思ったのにまた起きてしまったときとか…。ここで心の揺らぎを最小限にできる力が身についたら、仕事で思い通りにならないこととかにももっとおおらかに対応できるような気がするんだ…だから訓練中。

③夫婦関係、コミュニケーションについて考える

育児以前にほとんどケンカをしなかった私たちも、衝突することが増えた。それは、今までなんとなくで良かったことが、そうもいかないことが増えたから。自分たちは何となく価値観も近いものを持ってるなんて思っていたけど、実は価値観は真逆ぐらいに違うし、性格も違いすぎることに気がついた。もちろんそれは悪いことじゃない。人はみんな違うのは当然のことだから。
違う人間同士が一緒に生活していくのに、向き合うべきはコミュニケーションの仕方についてである。2021年はコミュニケーションについてたくさん考えた年でもあった。

実はもともと人付き合いがうまくできない私にとってコミュニケーションは長年の関心事項であるわけだけど、昨年は外部のコンテンツも含めて様々な気づきをもらった。

そしていま思ってることとしては、もっと腹を割って話したほうが良い場面がたくさんあるということ。これは家族に限らずなのだけど、日本人は察し合う文化のせいで言葉にしないことが美徳とされたりする。

組織でもよく見ることだが、不満を溜め込んで裏で吐き出して、拗ねて、大元にぶつからずにでも誰かに聞いてほしいって思ってる。これは私も心当たりがあることだけど、ただの面倒くさいこじらせちゃんじゃん?

日本人は対話が苦手らしい。お互いに意見を臆せず言う。異なっていてもお互いにまず聞く。それから、妥協点を探っていく。当たり前に思えてこれが結構難しい。
意見を言わずに自分が我慢すればいい、そしたら波風立つこともない。それはそうかもしれないけど、それは長期的にも心地良い道なの?

移動生活をする狩猟採集民や牧畜民なら、「一旦引っ越してしまえばいい」ということもあるとか。そうしてほとぼりが冷めるのを待つ。でもそう簡単に関係性をリセットできなくて、長ーく一緒にいる相手なら?私は今とことん話し合う道を選びたい。いや逆に引っ越すのもありかもしれないけどね笑

参考
平田オリザ『わかりあえないことから』
Podcast&書籍『働くことの人類学』
松村圭一郎『くらしのアナキズム』ミシマ社


④いい会社/サステナビリティに関するコミットメント

2021年の1月から、「いい会社」の認証/ムーブメントであるB Corpのハンドブック翻訳ゼミに参加し、「いい会社」について学び考えてきた。
会社が利益を追求しながら同時に地球環境や働き手や関係するコミュニティに対して誠実で良くあるためにはどうすべきかということが自分自身の中でも重要なミッションとなった。それまでも私は社会を良くするために自分はどう立ち回るべきかを模索してきたわけだけど、B Corpはより具体的な道筋を示してくれたように思う。つまり、社会を変えるステップとして会社を変えていくという道筋を。

とはいえ、理想の姿はより明確になりつつあるものの、実現には困難がつきまとうのも事実。2022年は実行の年にしていきたい。

⑤ジェンダーギャップへの想い

今回育休は長くとり、自分が育児を主導する形を積極的に選択したわけだが、それが逆転しても私は全然いいと思っている。むしろそのような事例を積極的に作るべきだと思っている。

男性が稼いできて女性は家庭、という時代が続いてきた。今もその感じは普通にそこらに蔓延している。空気というのは変えるのがとても難しい。

みんな役割を逆にしろなんて言わない。家庭それぞれで好きなやり方を選べばいい。でももし逆にしたら?女性より男性が長く育休をとってみたら?という可能性についてはみんなが想像できるようになったらと思う。

女性の方がキャリアと家庭との間で多く悩まなくてはならないことなんて絶対ないはず。

今までの普通からの転換は必ず痛みを伴う。難しいんです実際。でもそれは社会全体で乗り越えていかなければならないこと。

ギャップをなくしたいだけなのに、嫌な顔をする人はまだ多い。もしかしたらそれは当然の反応かもしれないけど。社会の膿が存在していることをより多くの人が自覚できれば社会は変わる。だけどそれを待つまでもなく積極的是正は必要だと考えます。

と、自分はリベラルでフェミニストであると自覚した2021年でもありました。

⑥リノベへの反省

まだ引っ越してもいないのに反省が多すぎるリノベ。多すぎて書けないし、引越し前にネガティブになるのもよくないので書けない。これからリノベや家づくりをする人は個別に聞いてください(笑)できた家を正解にしていけるようがんばろう。


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とまあ、こんな感じでございました。正直仕事を一年半も休むとは思っていなくて、時間ばかり経ってしまうことに焦りも感じる。だけど決して何も前進のない時間ではなくて、自分の中に学びを肥やし続けてる。2022はそのアウトプットの年となるだろう。復帰まであと少し。残りの期間で育休の総括をしていこう。

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