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「100万回生きたねこ」で泣けなかった理由

ドラマ「百万回言えばよかった」に絵本「100万回生きたねこ」が出てきました。みなさんもどこかで聞いたことがある有名なタイトルだと思います。

この絵本は20年以上前、自分がまだ20代なかばのときに友人から猛プッシュされました。すぐに図書館で読んだもののピンとこなくて、自分の読解力が低いのか?と落ち込んだ記憶があります。

内容もほぼ忘れているので、40代後半のいま読めば違った印象があるかもしれないと図書館で借りてきました。

あらすじ(内容にふれています)

主人公はタイトルどおり「100万回生きたねこ」です。この猫、2ページ起きに死んだり、生まれ変わったりを繰り返しています。

飼い主は水夫だったりサーカス団員だったりするのですが、猫は生まれついた環境や飼い主のことが嫌いだったりします。猫が死んで飼い主が号泣しても、とっとと次の人生(猫生)に転生してしまいます。

このあたり、犬の輪廻転生を描いた映画「ぼくのワンダフルライフ」と比べると、非常にそっけないんです。


猫の死にざま

流れ矢にあたったり、海に落ちたりと事故死が多い猫なのですが、室内飼いの老婆のもとで老衰死する展開がはいります。

が、これでも猫は転生します。室内飼い→老衰死というのはたいていのイエネコにあてはまるパターンです。愛情をもって飼っているので、飼い主としては成仏してほしいとこなのですが、とっとと転生しちゃいます。

猫が死んで飼い主は号泣するのですが、猫サイドは薄情なものです。

自分の人生を生き始める

後半になると展開が変わり、野良猫になります。百万一回めにして野良猫デビューです。遅咲きすぎるくらいです。

この猫、まわりのメス猫たちからはなぜかモテモテで「おれは100万回も死んだんだぜ!」と変なことでドヤってます。自分大好きのいけ好かないやつなんですよね、こいつ。

それがある日、クール系の白いメス猫と出会います。猫がどんだけイキがっても「そう。」と必要最低限の言葉しか出しません。たたずまいといい、いい女です。

クール系色白美女

やがて二匹は結ばれます。数匹の子どもが生まれ、子どもたちも成長して巣立ちします。やがて妻ともども年老い、妻に先立たれて猫ははじめて号泣します。100万回泣きます。

そして猫も妻のそばで死に、それからはもう生きかえりませんでした。

どうしても飼い主目線で見てしまう‥‥

テーマ的には、愛されるよりも愛したいマジで(KinKi Kids)ということなんでしょうか。それはわかるのだけども‥。

猫を保護し、去勢手術をして完全室内飼いをしている身からすると淋しいものです。

現在同居中の愛猫

これだけ溺愛しているのだから、嫌いにならないでおくれよ。さぞやり残しがある風に生まれ変わらないでくれよ、とそればかり思ってしまう。物語のテーマはさておいて。

子供向けではなく大人向けだと思う

なんども生まれ変わり、猫生を再スタートする設定はいかにも東洋思想的ですが(輪廻転生)ヨーロッパでも「猫は九生をもつ」なんて言われているようですね。犬にくらべて猫は神秘的なイメージがつきまとうようです。

主人公の猫を、人間に置き換えて考察してみました。
猫は王族やサーカス、泥棒の家などちょっと特殊な環境が多いです。そこではあたえられた役割をまっとうするのみで、自分の人生を生きているとはいえません。

一人暮らしのおばあさんや小さな女の子に飼われたりするのですが、そこもまぁ、不自由なんでしょうね。

で、野良猫になります。野良猫というのは、実家とのわだかまりのない上京したフリーターのような状態ですよね。

たくさんの女に目移りするものの、一人の相手に真剣に恋をし、妻と家族を溺愛するパパになり、やがて年老い、愛する人を看取り、人生をやりきった感を得ます。

悲しい話ではなくハッピーエンド

最後の一文、

ねこは、もう、けっして生きかえりませんでした。

で、悲しい話としてとらえる方も多いのでしょうが、ぼくはこれハッピーエンドだととらえています。

いままでの百万回の猫生では飼い主のことが嫌いだったりするので、人生に価値はなかった。
だからやり残した感があって、転生しちゃうんですね。

最後の猫生では本当に価値あるもの(自分よりも他人を愛す。家族を愛す。etc)を見つけ、真に満足したからこそ、安らかに眠ることができたんですね。

現代にそぐう内容かわからないが…

この物語。人生におけるイベント、恋愛、結婚、出産、子育て、子の巣立ちを経なければ、人生をやりきっていないというメッセージにもとれる。

と解釈しているレビュアーさんも幾人かいました。

この絵本の初版は1977年とだいぶ古いものなので、現代とはだいぶ世情が違いますね。

少子化、生涯未婚率もこれだけ増加するとは想像もできなかったと思います。

いまでいう恋愛スキルの低い人たちも、見合い結婚するのが当たり前の時代でしたもんね。

いまは多様化の時代なんで、野良猫以降のパートは、自分の思う理想の人生像に置き換えてみるといいんじゃないでしょうか。

で、結局、飼い猫のことを考えてしまう(ふりだしにもどる)

一人暮らしの淋しい時代に、捨てられている子猫を保護し、家に連れ帰った経験があります。

はじめて飼った猫(子猫時代)

交通量の多い都内で、半外飼いをすると事故死する可能性が高いし(車以外にも変質者とかいるし)去勢手術をしたのち、完全室内飼いでした。

いつも自分の膝に乗ってゴロゴロとリラックスしていたのですが、ちょっとした罪悪感もありましたよ。

こうやって自分に懐いているけれど、ほんとうはもっと別の人に拾われたほうが幸せになれたのだろうか?

外の刺激的な世界で、恋愛や子育ての幸せを味わいたかったのじゃないだろうか?

だって、しょうがないやん。と割り切ろうとしつつ、罪悪感はくすぶり続けていました。

完全室内飼いに納得しようとしている自分としては、飼い猫を可愛がっているとはいえ、猫にたいして不自然なライフスタイルを強制しているのかなと、モヤモヤしてしまうんです。

あまり猫が好きじゃない人のほうがおすすめではないか?

この絵本の本来のテーマとは別の部分でいちいち引っかかってしまうので、飼い猫を溺愛している人には薦めづらい本な気がします。

猫のそっけないところが気高くていいよね! という方にはお薦めかもしれません。

飼い猫とイチャイチャしている自分としては、主人公の猫があまり好きになれなくて……。

100万回も人間に飼われていたのなら、一回くらい泣いてくれよ、薄情もん……
などと、どうしても思ってしまうのです。小さい人間ですよね、自分……。





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