父親が首を吊った


最初に書きますが、自殺未遂になった父は今入院していて、生きています。

自分を整理したくて書きます。あとは家族について悩む人へ、少しばかり助けになればと。


秋田県の山奥、町からは外れた集落然としたところで男三人兄弟の末っ子として育った父。地元の学校に通い、高校卒業後にそのままスーパーの店員として就職して定年まで勤め上げた。母から聞いた話だと火事があったようで幼い頃の写真などは残っていない。

休みの日になれば「どこか行くか」と聞いてくるような人で、とにかく外が好きな人だった。田舎のスーパーの店員なんて20万そこらの給料だったろう。母も専業主婦で裕福とは言える家庭ではなかったから、決まって山とか川沿いとか、親戚の家だとか、お金のかからないところに連れて行かれた記憶がある。

一度、冬の雪山の奥で木の手入れをしたいからと連れられて、木こりに行った時は本当に死ぬかと思った。身長180ほどある自分ですら腰まで埋まるような積雪の中を朝から夕まで歩いた。帰ってから入った風呂の温かさは未だに忘れられない。

温かいといえば、温泉にもよく連れて行ってくれた。熱い湯が好きな人だったから、湯が熱めなところばかり連れて行かれて、小学生くらいの頃はその熱さが苦手だったけれど、段々熱い湯の良さがわかってきて、温泉も好きになることができた。

ジョリジョリ攻撃~と言いながら、髭をこすりつけてくるのが本当に嫌だった。いつからかやらなくなったのだけれど、思春期になる頃にはああいうのがウザがられる父親ってものなんだろうと解釈するようになった。


ありきたりなただのウザイ自分の父親。そんな自分の父親には大きな問題がある。ギャンブル依存だ。診断をもらっているわけではないけれど、典型的な例だと思う。かなりの頻度で帰ってくるのが23時のような遅い時間があった。仕事が終わってからパチンコに行くのが趣味だったらしい。

中学生の頃、母が妹と自分を連れて車を出した日があった。父親が昔からパチンコに行っていること、借金をしてまでパチンコをしていることなんかを話された。父方の祖母が死んだ時の遺産で一度借金を返した、その時にもう二度とこんなことしないと誓ったそうだが、現実はそう上手くいかなかったようだ。ちなみにこの頃一度だけ自殺未遂をしているらしい、死のうと思ったけど死ねなかったらしい。

このままどこか遠くへ行こうか、そんな提案をされたような気がするが、その日は家に帰った。この日のことはあんまり覚えていないけれど、暗い車内をオレンジ色の街頭に照らされ、悲しそうな母の顔だけが鮮明に思い出される。

自分が大学生になって、また父親の借金が発覚した。見慣れない請求書が届いたのがキッカケだったと思う。母は子供が手がかからなくなったら離婚するつもりでいた。自分は大学の卒業が間近だったが、妹はまだ高校生。資格も何もない母が離婚して子供2人を支えていくにはまだ大変な時期ではあったが、離婚に踏み切る形になった。父が定年退職を迎える時で退職金を分けて別れられることも要因ではあったが。



離婚後の父親は本当に酷い生活だったと思う。一軒家にぽつんと独り。20年いた家族は家に帰っても誰1人いない。明かりがあったはずの家からそれがなくなるというのは書きながら想像しているだけでも悲しくて自分まで死にたくなるから、「仕事をしている時は楽しいけど、家に帰ると死にたくなる」と言った父親の気持ちは頷ける。おかえりもただいまもない。温かい食事も、足音も、話し声も。ありとあらゆる生活音が消え、自分とテレビの無機質な音だけが部屋に響く。


自分は看護福祉学科という学科卒の看護師だ。社会福祉と看護についてそこそこに勉強した。一般的な看護師よりは社会福祉についての考えが備わっていると思う。

家族は社会を構成する最小単位である。高校の現代社会だか、大学で習った社会福祉概論だかは覚えていないが、そんな文章が頭に残っている。言及すればちょっと違っていて、正確には家族は社会機能を持つ最小構成である。だと思う。

つまり、父親がギャンブルから脱却できなかったのは家族にも落ち度があると自分は思っている。父親はギャンブルに依存しているのは明白だったから、病院に一度連れて行っても良かったと思う。もっと真剣に家族会議で話し合っても良かったと思う。なぜパチンコをしてしまうのか。ストレス解消なのだとしたら他に解決方法はないか。そもそも何がストレスなのか。

全部ただの後悔でしかない。離婚が決まってから何回か風呂で泣いたことがある。離婚という言葉が自分の中であまりにも重かったからだ。もっと向き合うことができれば、こんなことにはならなかったんじゃないか、全てなぁなぁにして、まぁなんとかなるだろうと、家庭の事情から目を背けてきた自覚があったから、”普通の家族”になれた未来ってなかったのかなと思うと、どうしようもなく悲しくなってしまう日があった。

学問を知ったことで、自分は父親を偏見なく見ることができている。だからたまに連絡をとって会ったりもしていた。大学卒業が近づいた頃、会って飯を食いに行った。父親の車が変わっていたのでどうしたという話をしていたら、また借金が・・・という話だった。さすがに金銭的な問題は解決する術がなかったので、自己破産を進める程度の話で終わったと思う。その日の別れ際「お前たちには迷惑をかけないようにはするから」と言って別れたのが最後に会った時。

そして、現在。普段通り勤務していたら病棟に直接電話がかかってきた。父親が首に縄をかけた姿で見つかった。精神科の病院に入院させるつもりだから、あとでそちらの病院から電話が行くと思いますので、出られるようにしておいてください。と。

不思議と心が落ち着いていたのは漠然とそうなる気がしていたから。「お前たちには迷惑をかけないようにはするから」と聞いた時から、この人の最後は自殺なんだろうと理解してしまっていた。父に対しての情はあるが、家族をないがしろにした罪は確実に存在していて、母と妹を大切にできなかった人を許せなかった。あとは単純に面倒を見ることになったら面倒くさいから自分で自分にケリをつけてくれるならそれでもいいと思っていたから。

短い遺書と、縄を首にかけてはいたが、縄のあとのない綺麗な体で見つかったようだ。おそらくだが、死ぬつもりがなかったんだと思う。以前に自殺未遂した時と同じだからだ。死ぬふりをすることで、これが自分の反省ですと見せたいところが実際の目的なんじゃないかなと自分自身は厳しめな予想を立てているが、本当の深層心理は本人でないとわからない。単純に人との繋がりが欲しいのか、失った家族を取り戻したいのか、もっと別の目的があるのか。

自分は今、転職の手続きの最中で大変に憂鬱なんだけれど、近々顔は見に行けたらいいなと思って日程の調整をしている。


長く書き連ねてきたが、もしも読んでいる人の中で『家族』について悩んでいる人がいたら聞いて欲しい。

家族を大事にしようだなんては言わない、結婚相手なんて赤の他人だし、親子だって遺伝子的な繋がりがあるだけ。それが事実。家族は大事とか家族はくそくらえとか、環境とか立場でどうとでもなる。家族の形ですら人それぞれだから。

そうして理解している自分自身は、やっぱり家族っていいもんだと思っている。事実では無情な関係なのに、家族というだけでなんだか大事な気がしてくる、すごいエネルギーを感じる。だから、ちょっとでも家族を大切にできる人が増えればいいなと思う。

少しだけ、ほんの少しだけ優しさを持って、相手を理解してあげて欲しい。そして寄り添ってあげられたら、それは素敵かなと思います。


自分を磨くことに使わせていただきます。得たものは人に還元することがモットーです、noteや仕事の質を上げるために使いたいです。