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FAに対して思う事

日本におけるFAとアメリカにおけるFAというものは同じものとして扱われがちであるがそのスタンスは全くと言っていいほど違う。
アメリカではFAというものは選手当然の権利であり、行使されて当然のものとされている。
一方日本では誰もが行使されて当然と思いながらもかなりご褒美として見られていることが多い。

日本でFAを特別なものとして扱うものは2016年、当時広島カープに在籍していた木村昇吾選手がスタメンでの出場を求めてFA権を行使したときによく表れていただろう。
「セルフ戦力外」とインターネットを中心に多くのファンが彼の権利行使をあざ笑ったか。
これはwikipediaにも記載がある。(木村昇吾)
私は彼がFA権利行使をしたとき「やっと日本のFAも新たなステージに入ったか」と思ったものの、結果としてしまえばそうではなかった。まだ育成枠のなかった時代、ドラフト11位という全くといっていいほど期待されていない場所からどうやってFA権を取得選手がいたのか。そう思うと今でもこの件は心底思い出したくない事象だ。

しかしなぜ木村昇吾選手がFA権の行使を「セルフ戦力外」と揶揄されたのか。
それは成績だけの問題というわけでもない。当時の彼の年俸は4100万という安い年俸ではなく、移籍と共に保障が発生してしまうためにそのリスクを負ってまで手を挙げる球団はいないだろう、という先の見えたものであったから、でもあった。
年齢の問題もあったが、年齢とチーム戦力の埋め合わせはあまり関係ないのでここは聞かない。NPBでも門田博光や山崎武司といった大ベテランが本塁打王を取った。

日本においてはFAというものには権利と制約の二つが発生するため使うにしてもリスクが生じる。

1,アメリカのFAはどういういきさつで生まれたか

そのために多くのファンが「保障撤廃」を訴え、つまるところアメリカ式のFA制度を採用してはどうかという意見を出す。
原則的にFA権というものがない。FAという制度がある、というほうが正しい。
原則ロースター40人という枠しかないMLBでは球団が選手を保持する期間が長引いてしまい様々な問題が発生してしまう。そのために選手の権利をメジャーロースターに6年いた選手を自動的に自由契約にする、というものだ。
勿論所属球団にはFA直前に再契約の期間を設けるため、そこで契約を結んでしまえばFAはされない。そこで契約をし直さないプレイヤーが他球団へと契約の意志ありとしてオフの期間各チームの契約合戦が始まるのだ。
言い換えれば再契約をしない、または球団からされない場合は自動的にFAとなり、他球団と契約できれば円満に、そのまま契約できないまま他国に流れたり独立リーグに入ったり、という選手もいる。
一部の大物選手がFAで大騒ぎになることがMLBでは度々あるが、その陰ではどこからも契約をもらえず人知れず他チームに流れる選手もいるわけだ。(もちろん大抵はその前に球団からリリースされたりするのだが)

このような流れになったのは1975年のモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)に在籍したデーブ・マクナリーや、ロサンゼルス・ドジャースのアンディ・メッサ―スミスらが起こした定義に等しい。
それより前というのは原則的に選手は球団の持ち物であり、トレードであろうが減俸であろうが選手は球団の指示に従う必要性があった。
それを破ったのが二人である。

世間では両者はフリーエージェントの基礎を作ったといわれているが彼らもまたエースピッチャーであったことを忘れてはならない。
デーブ・マクナリーは75年時点で184勝していた投手であり、300勝はいかなくとも200勝以上は優に勝ち越せていた投手だ。それこそ元々所属していたボルティモア・オリオールズではジム・パーマー、マイク・クェアーなどと共にオリオールズ黄金時代の一角を築いていた選手だ。
しかし74年ケン・シングルトンとのトレードで契約に不満を持ち、契約なしのままチームに帯同、最初に三連勝こそするものの4月27日のメッツ戦で7失点5自責点で敗戦投手、そこから出る度に敗戦が続きそのままリリースされた。
アンディ・メッサ―スミスも75年までに112勝した投手といえばフリーエージェントの歴史に参加しなければもっと成績を残せた選手であったといえる。彼の通算は130勝。75年は彼が29歳であったことを考えれば惜しい通算成績になった。
フリーエージェント誕生に至ってはこちらが分かりやすいので付記しておく。

40年前の今日、MLBを変えたフリーエージェント(FA)制度時代の幕が開いた(豊浦彰太郎)

しかしここで勘違いされがちなのが彼らはフリーエージェントという制度を勝ち取ったのではない。
どちらかといえばこういった権利不施行のまま選手がメジャーリーグでプレーすることを取りやめたい機構側の譲歩に近い形で制度が生まれたのである。
それを黙って賛成するほどオーナーたちも人がいいわけではない。フリーエージェントになった選手を今のように再契約してきたわけではない。FAになった選手と契約せず、契約しても冷遇したりと「FA≒悪」という構図を見せつけようとしたために選手会から反発されてしまい1981年ストライキが慣行されていく。
そして多くの修正を加えながら今日の在り方に至っていった。

ちなみに1981年のストライキに巻き込まれた選手はNPBにも影響があり、サンディエゴのファーストであったランディ・バースはスタメンになりつつも成績を残せなかったため翌年シーズン途中にテキサス・レンジャースにウェイバー公示。その年のうちにマイナー落ちしてしまい、新しい契約先を求めて日本に渡っている。つまりこのストライキがなければやってきた外国人もかなり違ったものであったことが予想される。

今年話題になったプロテクトリストの和田毅投手の移籍に関しても1984年のホワイトソックスに移籍したトム・シーバーで同じような案件があるなど紆余曲折を得ているのだ。
つまりアメリカのフリーエージェント制度というのは、1970年代後半から80年代前半までいた多くの選手を巻き込みながら、その血文字で紡がれていった、文字通り勝ち取った制度と言える。

2,アメリカのFAをそのまままねしていいのか

著者の意見を言ってしまえば現行のような歴史手順を踏むアメリカのフリーエージェント制度をそのまままねしてしまえばいいかと言われたら否定するだろう。
それは二点にある。

まずMLBにおける選手枠の在り方がロースター枠40人でそれ以外はクラブチームに属していながら契約している傘下マイナーチームの判断性にゆだねられるような、多くの野球選手のいる土台ではないところが一点目だ。
どれだけ選手がいてもメジャーリーグには原則的に40人×30チームの枠をかけてあまたの選手が争う。そこを埋める選手はいくらでもいるのだ。一つのポジションに10人いれば多いような日本の風土と全く合わない。

二点目は必ず発生する保障の問題がある。
現在でも山川穂高選手や和田毅選手をめぐる保障問題で球界が揺れに揺れているが、彼らのいきさつは別にしても70人という大所帯を持つクラブチームで取っただけ、取られただけでは取る側にリスクが少なすぎる。
現行では一定の年俸の選手に対して選手であったり金銭であったり保障を設けることで対処しているが、これを取っ払ってしまった結果どうなるのか。

そうでなくとも近年やっと育成枠というものが生まれ、メジャーのような形が生まれているがそれでも一球団の保有枠は70という制限がある。
ここが変わらない限り日本という風土を考えた時アメリカとは別の問題が発生する可能性が高い。
チームによって選手保有数にブレが生まれてしまったり、FAで多くとった選手を二軍でほぼ飼い殺しみたいなことが起きる一方でFAにほとんど参加せずにとられっぱなしなチームがこれ以上に発生する。
こうなると球団格差が顕著になり控えですらそのチームでなければスタメンであるような選手が控えに回らされたりする一方で、本来は中継ぎや抑えで活躍させたい選手が先発に出ずっぱりになったり、一軍で活躍できる実力もない選手の代わりにレフトに先発ピッチャーが配属され、ピンチになったらマウンドに上がる、といった高校野球みたいな光景がいつ生まれてもおかしくない。40人という狭い枠であるからこそアメリカではその均衡が保たれている側面があり、二軍を有することができるほど選手枠を持つ日本ではそのやり方が適切と思わない。

保障に関して言えばアメリカのように「ドラフト指名権の譲渡」をいう人がいるが、果たしてそれもどうなのか。
アメリカのように20人以上指名するわけではない。プロスペクト一人減っても30~40人のうち一人でも出てくればいい、というようなワールドサイズのおおらかさを日本では賄えない。一人指名できないことはそれでも致命的になるのだ。
そうでなくとも日本では今まで以上にドラフト会議が興業化している。SNSを中心にドラフト候補と呼ばれる多くのアマチュア野球選手を追いかける人々がその動画を載せている。
それほど大きく膨らんだ市場に参加しない、と言ってしまえばどうなるか。人的保障の入替以上に大きな反発が待っているだろう。

以上から現行維持の立場を取っている。

3,日本の野球史にある多くの魅力的な物語

とはいうものの、日本のフリーエージェント制度は同じ流れではないもののその血脈を継いでいるものがある。
1947年より施行された「10年選手制度」だ。
プロ入り以降10年以上同一球団に在籍した選手に贈られるもので、それにはボーナスの支給であったり、球団への自由移籍、引退試合主催などを行えたのだ。
まだアメリカにフリーエージェントの気質がなかったころである。
厳密にはフリーエージェントの元ではなく、十年選手への報償というものであった。かの金田正一もこの制度を使ってサンケイへ親会社が変わることを見越して国鉄スワローズから読売ジャイアンツへ移籍している。

この制度は途中で撤廃されているものの、現行のFA制度への風当たりはここに近い。
ただこの制度が運用されていた頃は選手の保有数であったり1950年代後半から登場した二軍などで選手が少なくても成り立っていた時代であり、それに伴って選手と球団の関係にも変化が生じ、前述の金田以降選手の移籍は起きていない。

時代があるとはいえ、フリーエージェントのさきがけみたいなことを日本がやっていたことを忘れてほしくないと思うのは野球史を学ぶ私にとっても思うところだ。なにも全てがアメリカに遅れているわけではない。アメリカよりも先に行っていることも多々あるのだ。

しかしファン心理はいまだにこの頃の感覚に近い。
10年選手で球団移籍できるほどの選手でなければFAには価値が低い。木村昇吾のようにスーパーサブのような選手にFAの価値を見出すことの難しさがある。
一流、と呼ばれる選手以外では使用すらためらわれるのがこの扱いだ。
個人的にはこの状況だけは打破してほしいと考えている。四番とエース以外には門戸の解放されていないFA制度はやはり価値は低い。ポスティングもある昨今、アメリカに行くための切符の一つ扱いされている現行もあまりよく見ることができない。
球団の言い切る強権にそのまま従うのが正しいとは思わないが、選手の我儘勝手な理屈を聴けるほど私は素直でもない。

事実上のトレード、みたいな現行のフリーエージェントは私は嫌いではない。
そこで開く花もあれば、そこでしぼむ花もある。そういう野球人生にこそ人の一生のような重みが詰まっている。生きるというのはそういうものだ。
そこにもう少し改良を加えていく必要性はあると思うが、これでよく回っているのだから一々否定する気にもならない。
巨人から広島に行った一岡竜司が広島で活躍することによって「沖データ学園」という単語がどれだけ出たか、それによる経済効果がもたらされたか。活躍は一年だけだったとはいえ、低迷していたオリックスに馬原孝浩の存在はどれだけ輝いたか。
巨人のエースと呼ばれながら西武に赴いて多くのファンに慕われた内海哲也は西武のコーチを一年勤めあげた。
うだつの上がらない成績のままオリックスから人的保障を受けた高宮和也は阪神タイガースでどれだけ華々しい活躍をしたか。

一方で川邉忠義のように多くのいさかいを起こし、プロ野球に見切りをつけて球界を去ったもの、トレード、FA、人的保障を経験し、それでもプロ野球にしがみついた藤井秀悟、外れながら一位指名をされ、くじで外れた球団へ移籍することになった岩崎翔。

そこに多くのドラマがあったことを忘れてはならない。
それを否定する必要も権利も、ないはずだ。

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