シングルマザーと障害者と自己責任

「20代シングルマザー」

「身体障害者」

この2つと一緒に語られる

「自己責任」


ここ最近、いろんな人と会って自分の中の「自己責任論」が変化してきている。そして、社会一般として「自己責任」で片付けられていくこれらの問題について言及してみる

20代でシングルマザーになっていても、それをなんとも思わず、養育費も貰わず、女手一人で幼子を育てている女性と知り合った

彼女の口からは、誰かを頼ろうとする意志は全く感じられず、経済的にも精神的にも自立した、大人の女性としての凛々しさが、そこにあった
20代前半にも関わらず、ホームレス生活をし、社会になんら生産的な影響を与えていないぬーすかとは正反対である

彼女の影響で、シングルマザーに対する考え方が変わり、実際にいろんな人と話してみることとなった


20代でシングルマザーになり、経済的に困窮してしまう人たちは実際にいた
ただ、そうなってしまう前の段階で、親族の誰かに助けを求められず、精神的に自立が出来ていないことがほとんどだ

「そんな、自立も出来てない状態で子供作っちゃうのは自己責任だろ、自分でなんとかしろよ」

日本にはこんな声が多くあるように感じる
実際自分もちょっと前まではこう考えていた


しかし、それはあまりにも現場を知らない人の声だ
そして同時に、自分が育ってきた環境の豊かさを自覚していていない人の偏見だ

助けを求められるだけの親族がいるから「自己責任だ」と言える
精神的に自立できるだけの環境で育ってきたから「自己責任だ」と言える
そして何より


自分の身に子が宿ったことがないからこそ「自己責任だ」と言えるのだ


彼女らは、自分の責任だということは重々感じている
それでも、経済的に困窮してしまう現実があるのだ

一点張りの「自己責任論」を掲げても、それを言っている本人が気持ち良くなるだけのオナニー発言にしかならない



身体障害者の人がいる

先天的、後天的、身体的、精神的関係せずなんらかの障害を持っている人たちだ

彼らの生活の中での大変さは、ぼくら健常者には伝わらない
なぜなら、ぼくらにとってここは問題なく過ごせる社会だからだ

それに対しても、先ほどと変わらず

「社会に求めるんではなく、自分で何か工夫しないと。自己責任だよ、自己責任」

そんな声が聞こえてくる

そもそも、障害とはなんなのか?
身体に不備があることなのか?
いや、違うだろ
その人が思う通りに行動できない環境の方に障害があるんだろ

それを、自分にとっては障害がない環境だからと言って、その環境を負荷に感じる人たちに対して自己責任による解決を求めるのはどうだろうか

英語話せないのに海外行って
「ペラペーーラ、ペラペラペラ、ペーラペラペラ?」
「え、ええ?? ちょっとすみません、わからないです、、
ソーリー、モアスローリー、プリーズ?」
「ペラペラ?ペーラペーラペラペラぺラ!ペーラーペラ、ジコセキニン、ダヨ?」
と、言われたらどう思うだろうか

「この国、すごい嫌な感じ!
もうちょっと配慮してくれてもいいじゃない!」

と、プリプリと怒り出したくなるのではないか
でも、しょうがないだろ。喋れないのは君のせいだし、社会は君のためにあるんじゃないんだから、自己責任自己責任。



シングルマザーの件にしても、障害者の件にしても
そもそも自己責任という言葉を使うときの主語が間違っていると思う

自己責任は自分に対してのみ使う言葉で、これを他人に対して使うのはどうも違和感がある

自分が困難な時や大変な時に「この件の責任は自分にあるんだ!」と、自身を戒め、努力を放棄しないために使うならわかる
ただ、他人に対して「その件は君の自己責任なんだから君がなんとかしなよ」という文脈で使うものではないだろう


誰かが大変そうな時は、「それって自己責任でしょ?」と思考を放棄するのではなく、「自分には今この場で何ができるのか」を考えた方がよっぽど生産的だ


そんな考え方に変わった、今日この頃でした

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?