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『配達』 【ショートショート】

 大変なことになった。荷物が届かない。配達をお願いした業者のウェブサイトには、昨日の正午に荷物が届くと記載があったのだが、荷物は一向に届かず一日が経ってしまった。
 しかしどういう事だろうか。今までこんな事はなかった。これは非常にまずい。というのも、最近のいわゆるコロナ禍によって宅配サービスを大いに利用するようになった私は、ほとんどの生活消費財を宅配サービスによってまかなっており、その便利さに依存しきっていたのである。頼んだものは全て指定した時間通りに届き、外出の必要性が本当になくなっていた。しかし荷物が届かないとなると、家を出る必要があるではないか。家を出る事なく毎日を完結させることに慣れてしまった私にとっては、今更外に買い物に行くなど到底無理なことであった。慣れというのは人を変える。
 とはいっても配達を行なっているのも人間である。配達が遅れることだってあるはずで、むしろ今まで時間通りに配達してくれていたことに感謝すべきだと思った。もう少し待ってみよう。そう思って、また一日が過ぎてしまった。まだ頼んだ品物は届かない。もしかしたら、自分にミスがあるのかもしれないと考えて、サイトの登録情報を確認するが、一切の間違いはない。それはそうである。今まで同じように注文してこんな事はなかったのだから。
 業者に直接電話することを考えた。しかしこれは気が引けた。もし業者にこのコロナ禍に起因する何かしらのアクシデントがあり、その対応に追われていたとしたら、クレームの電話ほど迷惑で傲慢なものはないだろう。このコロナ禍で、人々のために懸命に働いている人たちに向かって、たかが配達が二日ほど遅れているぐらいで、荷物が届いていないなどというクレームを入れるほど私も想像力のない人間ではない。彼らへの尊敬の念と感謝を込めて、私はとにかく待つことにした。
 
 流石に我慢ならなくなってきた。頼んだ品物が届かないことで実生活に支障を来たしているというよりは、届かないということが気になり、ダクトの汚れのようにこびりついて頭から離れず、仕事をしていても、本を読んでいてもまったく集中できないのである。もうほとんど品物そのものよりも、届くということ自体が自分の中で大事になっていた。待つという行為はこんなにも辛いのか。既に予定の配達日から一週間が経過していた。

 ついに業者に電話しようと思った。申し訳ないが、もう待てない。業者に対する感謝の気持ちが、品が届かないことへの義憤を抑えていたが、今ではその抑止はほとんど効果を持たなくなっていた。それと同時に、背にゆっくりと刃物が迫りくるようなじりじりとした焦りがそれとなくあった。何だか変な感じがした。
 意を決して電話をかける。するとすぐに電話はつながった。
「はい、こちら〇〇運輸配達センターでございます」
 女性の声だった。
「あの、一週間ほど前に配達をお願いした品物が届いていないので、どういうことかと思いまして」
 義憤や焦りを悟られぬように冷静を装って落ち着いた声質で話す自分は、事務的な電話であるにも関わらず、不器用に感情が少し漏れていて、その人間味を自分で気持ち悪いと感じた。対して電話に対応する配達センターの女性の声はとても機械的で無駄がなかった。
「申し訳ありません、すぐにお調べ致しますのでお客さまのお名前とご住所、登録番号を教えて頂けますか」
一切の申し訳なさを感じない彼女の流暢な日本語に透かされたような気になって、腹が立つのを必死に押さえながら、聞かれたことに冷静に淡々と回答した。
「ありがとうございます、お電話はこのままで少々お待ちください」
電話を待つ間に、自動音声の最低な音質で『エリーゼのために』が流れる。これが変に私の焦燥感を煽るのであった。何度も繰り返されるメロディーが気持ち悪く、いつまでもこの音楽が流れ続けるのではないかと錯覚するほど、時間がゆっくり流れているように思えた。
すると急にぷつっと音楽が止まり、オペレーターの声がした。
「も、もしもし、お待たせいたしました。あ、あのですね、なんと言いますか、おか、おかしなことになっておりまして」
オペレーターは、先ほどの機械的な声質とは一変して息遣いを乱していて、声色が強張っているような感じがあった。
「おかしなこととはどういう事でしょうか、もう一週間も待っていて痺れを切らしているのですが」
 彼女の緊張した様子が私の癇癪を逆撫でて、私はそう嫌味たらしい言い方をしてしまった。
「ええとですね、あの、先ほど担当の配達ドライバーに確認しましたところですね」
勿体ぶるように言葉を区切って話す彼女に苛々しながら、
「ええ、だからどうしたんですか」
と強めに回答を急かすと、彼女は一息ついてこう答えた。
「既に品物は発送済みとのことです・・・」
「はい??」
「ですから、お客様が注文された品物は既に発送が完了しているとのことでした」
彼女の言っている意味がわからなかった。当然、ふざけているという感じではなかった。
「発送が完了しているって、実際に品物を受け取っていないんですよ私は、意味がわかりません。発送が完了している証拠は?証拠はあるんですか」
彼女は少しの沈黙の後こう言った。
「・・・ドライバーの話によりますと、品物は直接受け取っていただき、お客様のサインもいただいているとの事です・・・サインの確認も取れています・・・ですからそれをもってして発送は完了したとさせて頂いております・・・」
言葉が出なかった。先ほどまで業者に対して感じていた義憤は、排水溝に渦を巻いて吸い込まれる生活水のように、徐々に心の底へと消え去っていった。それに代わる形で、恐怖と不安が秋の夕闇のようにどんよりと胸を染めて、血の気が引いていくのを感じた。その動揺が電話越しに伝わったのであろう、落ち着いた声でオペレーターはこう続けた。

「失礼ですがお客様、お客様が最後にご自宅を出られたのはいつですか」


 背筋に悪寒が走った。脳の処理が追い付いていない中で、先に身体が反応し、じわじわと鳥肌が立ち始め、多足の虫が皮膚の下を這うようなどうしようもない嫌な痒みが体を襲った。手元が覚束なくなり携帯電話を落とした。次第に呼吸が荒くなって、どうにかなりそうだった。

最後に外に出たのは、いつだっけ。

 たまらず玄関へ走り出した。机の角に指をぶつけるが痛みは感じない。汗がべったりとした濃厚さをもって樹液のようにじわりと染み出していくのを感じる。
目を瞑って、玄関の扉をめいいっぱい開けた。生温い風が体を包み、感じる悪寒に拍車をかける。まぶたを透ける光が怖くてたまらない。一つ深呼吸をして、もうほとんど願うような思いで、ぐっと目を開けた。


 眼前の光景に、私はただ立ち尽くすしかなかった。自分が知っている外の世界はそこにはなかった。何が、何色をしていて、どんな形をしているかも表現できない、そこはまったくの認識が通用しない完全な「未知」だった。ただ呆然とそれを見ることしかできないでいると、自分に内在する怒りや悲しみや喜びなどの感情が自分の肉体から引き剥がされるかのように、徐々にその目の前の「未知」に引き寄せられていくのを感じた。それに私は何も抵抗することができない。抵抗する気も起きない。当たり前のように、それに従った。
 

 私はもう何も感じなくなっていた。これでもう私は、誰とも、何とも繋がることができなくなっただろう。しかし、どうせいずれはこうなるだろうと分かっていた。配達の品が届かず、ずっと不安や焦りがあったのは、これをそれとなく悟り、分かっていたからだ。

 今自分はどんな顔をしているだろうか。冷静にふとそう思い、洗面所の鏡に向かった。



鏡の目の前に立つと、鏡に写ったのは、全く知らない他人の顔だった。

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