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新証言:首相官邸に迫ったロシアスパイの手口(下)

内閣情報調査室のA氏を欺き、日本政府中枢の機密情報を奪おうとしたロシアのスパイ。その手口を取材するため、私はアメリカに飛んだ。取材に応じた元KGB工作員が、米国人になりすます「背乗り」という手法を暴露。さらには、アメリカ社会を分断する情報攪乱(ディスインフォメーション)工作の実態も明らかになる。

国家の中枢を、時間をかけて篭絡していくロシアのスパイ。
最大の工作対象はアメリカだ。

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■竹内明ワシントン中心部にあるこのロシア大使館です。道を隔てた反対側、三階建ての家、ここがFBIの監視拠点。この監視拠点から、地下にトンネルが掘られ盗聴に使おうという計画もあったということです。

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ロシア大使館周辺の路上には、出入りを監視するカメラが数多く取り付けられていた。大統領選介入疑惑を受け、アメリカ政府は、スパイ活動に関わったロシアの施設を次々と閉鎖するという対抗措置に出ている。

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そのひとつ、メリーランド州にあるロシア大使館の保養所。私たちが取材に行くとアメリカ国務省の警備要員が厳戒態勢で管理していた。

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スパイたちはトランプ大統領周辺にどのようにして接近したのか。私たちは諜報機関の裏の手口を熟知する人物に会うことができた。

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ジャック・バースキー氏。旧ソ連KGBの元スパイだ。1979年、29歳の時にアメリカへの潜入を命じられ、FBIに摘発されるまでの18年間、特殊な手口でスパイ活動を行なっていた。

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■元KGBスパイ ジャック・バースキー氏ワシントンDCの大使館にいるスパイが、ジャック・バースキーという人物の出生証明書を手に入れました。私はこれをもらい、公的な身分証明書を申請しました。図書館のカードに始まって、運転免許や社会保障カードを手に入れて仕事を始めました。こうして私自身の存在を合法化したのです。

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死んだアメリカ人になりすます「背乗り」と呼ばれる手口を使って、
ニューヨークで市民生活を始めたのだ。

■元KGBスパイ ジャック・バースキー氏写真を見ると本物のジャック・バースキーは、とてもハンサムな子供でした。脳腫瘍で10歳のときに亡くなったときいています。

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これは本物のジャック・バースキーの墓。1955年に10歳で亡くなった子供だった。

バースキー氏のように他人になりすますスパイは「イリーガル・エージェント」つまり、非合法スパイと呼ばれるという。アメリカ人になったバースキー氏は大学に入学、スパイ活動を始めた。

大学で政府機関に就職しそうな学生を探していたバースキー氏、FBIの捜査の手を警戒し続ける日々だったと語る。

■元KGBスパイ ジャック・バースキー氏誰かが自宅に侵入したかどうかを確認する方法があります。出かける前にこの引き出しが4ミリあいていることを測っておきます。毎晩帰ってくると、また測って確認するんです。こうすれば誰かが引き出しを開けたかどうかわかります。これが通信用のラジオだとします。こうやって置いた位置を測って、誰かが触たかどうかを確認するんです。

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大学卒業後は大手生命保険会社に就職。結婚し、子供も生まれた。ごく普通の市民生活を装いながらスパイ活動を続けたのだ。

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■元KGBスパイ ジャック・バースキー氏
二年おきにモスクワに呼ばれました。期間は一ヶ月とか、6週間くらいです。そのたびに、もっと重要人物に人脈を広げろ、と圧力を加えられました。秘密を知る人物か、政府高官に食い込めと言うのですが、大変難しいことでした。

指示された標的は、共和党系のシンクタンクと大学の教授。獲得した情報は、大使館にいる連絡役のスパイに特殊な方法で渡していた。実際にやってもらった。

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元KGBスパイ ジャック・バースキー氏
Q)これはなんですか?
A)石膏の粉です。これがいいんですよ。乾燥が早いんです。

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中に物を入れて、石膏の塊を作ると 庭の土を集めて・・・周りにつける。

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■元KGBスパイ ジャック・バースキー氏
ほら、見てごらん。岩のように見えるし、奇妙だけど、木の破片にも見えるでしょ。

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出来上がった塊を車で運び。道路脇の草むらに投げた。

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■竹内明
今、バースキーさんが落としたのはこの塊。普通の石と見分けがつかない。周りに土がついている。これは何なのか。

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■元KGBスパイ ジャック・バースキー氏これはデッドドロップのための入れ物です。機密データの入ったUSBメモリを入れることができますし、大きくして、現金とか偽造パスポートを入れることもあります。直接に会わずに仲間のスパイに大事な物を渡すためのものです。置いておけば、仲間が取りに来るんです。

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この「デッドドロップ」を行う前には、決まった場所に暗号を書いたという。
バースキー氏が建物の角を曲がったその時。

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元KGBスパイ ジャック・バースキー氏Q)どうやって書いたの?A)チョークです。道路から見える場所。車で止まれば見えるところに書きます。死角で書くのが大事です。A:たとえばこれ、赤い丸は、危険が迫っていることを知らせる暗号です。

これはFBIが、本物のロシアスパイを隠し撮りした貴重な映像だ。

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スパイ同士がすれ違い様にカネや情報を受け渡す様子。

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公園を歩く男。これはデッドドロップの瞬間を捕らえた映像だ。スパイは橋の下に置かれたものを取りに来ているのだ。ロシアのスパイたちは電話やメールの傍受を恐れ、こうした連絡手段を今も使っているという。
結局、バースキー氏は、FBIに摘発された後、情報をすべて提供、アメリカに定住することを許された。現在は、妻子とともに静かに暮らしている。

■元KGB秘密スパイ ジャック・バースキー氏Q)多くの亡命者がKGBに暗殺されてきましたが?A)はい。KGBは裏切り者をロシアに連れ戻すか、メキシコまで連れ去ってから、殺します。ですから私も暗殺を心配しました。今、誰がロシアの諜報機関を動かしているか考えて下さい。KGBで働いていた人や、KGBで訓練を受けた人たちです。つまり、何も変わっていないのです。ロシアはソ連と同じ道を歩んでいます

KGBのスパイだったプーチン大統領はロシアのテレビなどで、たびたび自国のスパイたちを讃えている。

■プーチン大統領長年にわたって家族を捨て、国を離れ、祖国のために献身することは誰もができることではない。それが可能なのは、選ばれたスパイたちだけだ。私はスパイたちの幸せを望み、スパイたちが私のこの言葉を聞いていることを願う。」スパイ活動を堂々と推し進めるプーチン大統領への警戒はアメリカで強まっている。

国家安全保障会議のスタッフだったジェイミー・フライ氏は、ロシアが最近活発化させている新たな諜報活動を研究している。嘘のニュースをネット上で拡散させるディスインフォメーション、つまり「情報攪乱工作」だ。

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■元国家安全保障会議・ジェイミー・フライ氏たとえばロシアは、大統領補佐官がジョージ・ソロスにコントロールされているといったユダヤ陰謀論をネット上に流しています。ロシアと相反する立場の人物を攻撃するための嘘のニュースを広げるのです。

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フライ氏が所属するシンクタンクは「ハミルトン68」と名付けた新たなシステムを立ち上げた。ロシアの600のツイッターアカウントを監視し、今、ロシアがどんなニュースを拡散しようとしているか、上位10の話題などがリアルタイムで表示される。
上位には極右系ニュースサイトの記事・・・。偽造された嘘のニュースもツイッターで拡散されている。

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■元国家安全保障会議・ジェイミー・フライ氏人種や宗教など、アメリカ人を分断し、対立を煽る情報を拡散させています。これはロシア政府がコントロールする作戦で、プーチン大統領が承認しています。これは欧米の民主主義を弱体化させるための攻撃なのです。

ロシアによる偽ニュースの拡散は、大統領選挙期間中、クリントン氏の攻撃に利用された。今後、日本が標的になる恐れもあるという。

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■元国家安全保障会議・ジェイミー・フライ氏
ロシアが他の民主主義の国も狙う可能性があります。たとえば領土問題で日本などに情報攪乱を仕掛けてくる可能性もあります。選挙でロシアに都合のよい候補を勝たせるために、対立候補者が攻撃されることもあるかもしれません。

プーチン大統領が、冷戦時代さながらの諜報活動を続けるのは何故なのか。報道特集はその真相を知る人物を訪ねた。

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元KGBの大佐オレグ・カルーギン氏。アメリカに亡命した大物スパイ・・・・
KGB時代のプーチン大統領の上司だった人物だ。

■元KGB幹部 オレグ・カルーギン氏プーチン氏はサンクトペテルブルグで、私が副支局長を務めていたときの部下でした。数百人の部下のひとりで、顔もはっきり覚えていません。なぜなら、当時のプーチンはたいしたことのない男だったんですよ。

カルーギン氏自身も在米ソ連大使館の「報道官」の肩書きでスパイ活動を行った。日本を訪問した経験もある。アメリカ大統領選介入疑惑について聞くとこう答えた。

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■元KGB幹部オレグ・カルーギン氏ロシアはあらゆる主要国の選挙に干渉してきました。どこの国に対しても、です。中でも特に、アメリカの選挙には影響力を持とうとしてきました。

選挙介入のために、プーチン大統領が偽情報の拡散工作を行うのは、当然だと元大物スパイは語った。

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■元KGB幹部オレグ・カルーギン氏
情報攪乱は、ソ連時代から諜報機関の伝統的な手法です。
偽情報を作る専門の部署がありました。偽の書類を作成して、日本やインドを経由して、拡散するのです。世界中で情報攪乱工作を行うことでソ連は強くなったのです。
(Qこれはロシア諜報機関ではごく普通の作戦ですか?)
そうです。そのとおりです。

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終わり(解説を後日アップします)