浪人時代の話



私は高校卒業後、1年間浪人生活を送った。浪人生活は本当に辛いものだ。予備校は都心の駅のすぐそばにあるため、通学時はキラキラした大学生を横目に通わなければならない。SNSをのぞけば新一年生となった同級生達が、楽しそうな写真をアップしている。

私は浪人時代、高校の友達であるY君と同じ予備校に偶然通うこととなり、彼とそのほとんどの時間を過ごした。彼はとても変わった人だ。彼は高校1年生の時、最初は目立つタイプではなかった。そんな彼が男子陣から脚光を浴びたのは学校祭の打ち上げの時だった。店員さんがかなりのギャルであったため、私たちは小さい声で「チャラいねぇ」と呟いていた。たまたま隣の席に座っていた彼は、今まで自分から何か行動を起こすタイプではなかったのだが、いきなり大きい声で「チャラいねぇ!」と店員さんに向かって叫んだ。きっと彼もそんな大きい声を出す予定ではなかったのだろう。彼自身含めみんなびっくりして一斉に下を向いたが、数秒後彼は男性陣の人気者となった。

彼は仲良くなると徐々に変人さを露わにしてきた。しかし彼の変人さは女性陣は全く知らない。何故なら彼は仲良くなったごく一部の男性陣の前では変な行動をとるが、それは他の人には気付かれないギリギリのラインを攻めて行っていたからだ。彼は授業中手オナラをして、思ったより大きな音が出た時は、「おい」と言わんばかりの顔で私の顔を見つめ私のせいにしてきた。

彼との浪人生活はとても楽しかった。正直勉強は辛いし、授業も楽しくない。溜まりに溜まったストレスを彼と一生懸命発散した。
私たちは日課として、帰り道にロフトの文房具コーナーに寄り、試し書きの紙にびっしりと「愛」という感じを書き綴り、それを見た女子高生が「わ!愛がたくさんある!」と反応したのを見て、「よかった。今日も沢山の人に愛を与えられた」と2人でホクホクした気持ちになってから帰宅していた。
そんな彼と1番よくやっていたことがある。それは予備校のエレベーターで2人きりになった時、できる限りの奇声と奇行を扉が開くギリギリまで行うという、いわゆるチキンレースだ。危なかったことは何度もある。扉が開く直前で「キェー!!」とY君が奇声を上げてしまったために、扉が開くのを待っていた女性たちが、「今変な声聞こえなかった??」とすれ違いざまに会話していたこともあった。
しかし一度もバレていない。私たちは完璧だ。私たちに敵うものはいない。そう思っていたある日のこと、その日もいつもと変わらず二人でエレベーターの中奇行と奇声を上げていたのだが、ふと上を見上げた瞬間に発見してしまった。そこには監視カメラがついていたのだ。不覚だった。一気に羞恥心が体を駆け巡り、私たちはドキドキしながらその日を過ごした。

翌日、予備校の先生から呼び出しがあった。別で彼も呼ばれていた。恐る恐る呼び出された教室のドアを開けると、先生はとても心配した顔で私を見つめていた。「最近どう?体調は問題ない?精神的に辛かったりしない?大丈夫?」とほぼカウンセリングのような内容だった。
「いいえ、大丈夫です…。」そうひたすら呟いて私は約10分間のカウンセリングを終えた。部屋を出て教室へ戻る際彼と会った。彼はとても恥ずかしそうな顔をしていた。たぶん彼はふざけた姿を仲良くない人に見られたのが初めてだったのだろう。その日も帰りはロフトに寄って、試し紙に「愛」の字をびっしり書き埋め満足してから帰路についた。

結局無事私も彼も第一志望大学の受験に失敗した。そして同じ大学に進学した。最初は会って話をしていたが、別のサークルに入り徐々に会わなくなっていった。今はどこで何をしているだろう。1人で奇行や奇声を上げていたとしたらとても可哀想だ。一緒にエレベーターで奇行や奇声を上げるために、久しぶりに彼に連絡を取ろうと思う。

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