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ドイツ語教師の敗北。

タイトルが少し強めの言葉になってしまったけれど……
週開け語学学校の授業で、まさにこれが起きた。


ここまでの出来事を簡単にお話すると……
通っているドイツ語の語学学校の先生が、先週半ばから新しくなった。
やや配慮に欠ける言動をする先生だけれど「ドイツ語をドイツ語で教える」という信念があるようで、前任の先生とは対象的に英語でされた質問にもドイツ語で返していた。
クラスはやや混乱したけれど、ここはドイツ語の語学学校だし、わからなければもっとドイツ語を勉強すれば良いと思っていた。


それなのに、だ。
週が変わって月曜日、急に英語の質問に英語で答え、ドイツ語の解説で理解できていない人たちに英語で説明を始めたのだ。

衝撃だった。正直めちゃくちゃ驚いた。
英語のネイティブスピーカーたちは水を得た魚のように勉強を再開した。
そして英語での解説がわからない人たちだけが、再びついていけない状態に戻った。英語話者とだいぶドイツ語の理解が進んでいる人しかついていけない授業になったのだ。


この変更が、英語話者イングリッシュスピーカーの人たちによる抗議が効いたのか、先生が文法を生徒に教える際にドイツ語だけで理解させることに限界を感じたのかはわからない。
そもそも進みが遅くなっていたので、遅れを取り返すための暫定措置の可能性もある。


いずれの理由にせよ、
ドイツ語のみでの説明に匙を投げたように私には見えた。
実質、ドイツ語教師の敗北だ。
ドイツ語をドイツ語で教えるという信念をもって始めたのだから、できれば最後まで貫いてほしかった。
なんなら、もとよりそんな精神もなく、気分でやっていた可能性もあったのではと思い始めている。「この仕事を愛している」とまで言っていた先生が、本当にそんな信念を持っていたのなら、たった数日でこんなにスタンスが変えられないのでは……とも思うのだ。


そんな急に路線変更した先生は、先生の指示を理解できていなかったことを伝えるジェスチャーとカタコトのドイツ語を使った私に「”分からない”をちゃんとこの言葉で伝えなさい」みたいなことをドイツ語で言ってきた。
しかしそれを急に言われても、知らない単語ばかりでは聞き取ることはできず、私は黙りこむしかなかった。
もちろん指示はわからないままだったので、求められたことができず、授業中のワークはボロボロだった。



ちなみに英語話者が英語で質問しても同様のことを言わない。
つまり、英語を使って「分からない」と伝える方が、必死にドイツ語をカタコトで使おうとする私よりマシということになったらしい。
衝撃的な路線変更に、私は言葉にならなかった。


そして私は今、ドイツ語の語学学校に通いながら「やっぱりドイツ語より英語を先に勉強したほうが良かったのかもしれない」と強く思ってしまっている。


今日の授業から、ドイツ語+ジェスチャーのあと、英語での解説か英語話者の質問によって英語での意味が確認される。
ほとんどの人があとの解説か確認をあてにしているので、ドイツ語+ジェスチャーによる解説が終わるのをあまり相手にせずじっと待っている。そんななか私は、ドイツ語解説とジェスチャーから意味を理解しようと必死になっている。
解説がある以上どちらかで理解できればいいのだけれど、後の英語解説によって理解する英語話者の方が、ドイツ語とジェスチャーで理解しようとしている私よりも、よっぽど内容を理解していることに虚しさを覚えてしまう。



とはいえ、今持っていないスキルを悔やんでも仕方がない。
明日以降同じようにならないようにするには、文法や単語をジャスチャーに頼らずさくっと理解できるだけの知識と、ドイツ語での文法解説に出てくる言葉の再確認と、先生のお望み通りわからないことを伝える言葉を覚えておくほかないのだろう。


私がドイツ語ではなく、英語で「わかりません」「何をすればいいのですか?」とすぐ言えるようにしておくという、ちょっとした反抗をしてみたい気もする。
でもそんなところで喧嘩を売りにいっても、後々虚しくなるだけだろう。現状から考えると、先生はとくに何も感じることなく普通に英語で答えてくる気もしていて、それくらいの反抗はなんの意味もなさない予感がする。



週明け早々本当にがっかりしたけれど、こういう失望と呆れと怒りがまざったようなものも、勉強を頑張るガソリンにするほかないのだろう。



さあ、そろそろ勉強を再開しよう。
明日はもっと、うまくやってみせる。



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