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トラウマとは、何であるか:映画『溺れるナイフ』の感想

率直にしんどさがあった。これは十代の自意識以上の領域が描かれている。その領域とは、関係性の乱れの中にある、属人的な苦しみであり、当人が乗り越えるべき、または共にあるべきものとして格闘せねばならぬものである。不確定さと理不尽の渦からやってくる苦しみは腹落ちさせることが難しく、なかなか、どうにかできるものではない。不慮の事故や、トラウマなど、そういったものである。そういったハプニングを、現代の十代が抱え、乗り越えようと足掻く映画であった。
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映画では、その苦しみを’呪い’と形容した。呪いという言葉にはどうしようもなさが孕まれている。第三者性が感じさせるものである。または不気味さである。この形容詞は、私はあまり好きではない。それよりも、トラウマや十字架という言葉の方が好きである。まだ、どうにかできる余地があるからだ。または、背負える類のものであるからだ。呪いでは、まるで解除という概念があるかのように感じる。そうではなく、解除などそもそも不可能なのである。この現実を心から軽蔑したとしても、それが’元に戻る’ということはあり得ないのである。いつまでも苦しみが続くとしても、馴染ませていくしか、結局のところ方法はない。劇的な変化は、必要ないのである。そういったものとして、捉える’べき’であると、私は考える。その上で、志向性を強めていくべきなのである。
疾風怒濤の時代もいつかは終わる。その最果ては...。そう、Life is goneである。
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トラウマとは様々である。もっとも語られることの多いトラウマとは戦争であると考えている。ロストジェネレーションと呼ばれる時代に生きた人々である。彼らは、苦しみの中で生をどのように全うしたであろうか。その生き様が、私たちにヒントを与えてくれる。
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私たちには様々なMEMEが残されている。まずは、文化的な遺伝子を継承するのだ。

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