『水槽の町』セルフレビュー

はじめに

数年前に、『沈丁花が枯れたとて』という作品を世に出しました。その後、戯曲の公開に合わせてセルフレビューをnoteに公開したんですけど、その中で『沈丁花が枯れたとて』にて描こうとしたことについて、こう記述しています。

(登場人物、筒井について)
今作の相対する価値観ABのBの方です。この世界ではBがマジョリティとされています。
結局の所、価値観ABのどっちが正しいんだって話なんですけど、ケースバイケースでどっちも正しかったり間違ってたりするんですよね。本作の世界における世論というのは、天秤がAにかなりの大差をつけてBの方へ傾いている状態です。いずれ時が経てば天秤はAの方へ傾いていくと思うんですけど

「沈丁花が枯れたとて」セルフレビュー

ぶっちゃけ本編中では、価値観Bの方がずっと優勢であり続けるので、見た人にとってもやってる人にとっても、この部分は「?」だったと思います。

もともとこの『沈丁花が枯れたとて』が「マイノリティばっかが損するのおかしくね?」という執筆当時高校一年生だったころの自分の思想が色濃く反映された作品です。

でも、大学生になり上演するにあたって、「いや、世の中そんなに単純じゃなくね?」という僕自身の価値観の移ろいによって、多少の加筆修正の末に世に出ることになりました。

本筋は一番最初に書いたものを元にしつつ、マイノリティが過剰に差別される世界を描きつつ、いずれマイノリティが過剰に保護される未来を匂わせながら物語を進行させたのですが……

当然、そんな後出しジャンケンみたいな要素が上手に観客に伝わるわけもなく、執筆当時の「マイノリティばっかが損するのおかしくね?」を出しつつ、中途半端に「いや、世の中そんなに単純じゃなくね?」が見え隠れする不安定な作品になってしまいました。

ですので、この『水槽の町』は「いや、世の中そんなに単純じゃなくね?」の部分を、もうめちゃくちゃ噛み砕いて伝わるように執筆した作品です。

本作の舞台である生閉には、だたろんという妖怪がいます。そういう言い伝えがあるとかではなく、もう普通に生息していて住民もそれを認知している状態です。

もちろん、そんなもんが近所にいたらおっかなくて仕方ないので、生閉の住民たちは、だたろんを疎ましく思っている状態です。平穏な生活のために、だたろんなんか、この町から消えればいいと思っています。この状態は『沈丁花が枯れたとて』と同じ、マイノリティが過剰に差別されている世界と同じです。

ですが、この状態は中盤の展開を境にひっくり返ることになります。ここから先が筆者の描きたいことの本筋になってくるんじゃないかなと思います。

今回、はじめて二幕構成に挑戦しました。そうすることで、価値観Aから価値観Bへの移ろいを表現したつもりですけど、どうでしょう?ちゃんと伝わっていたら幸いです。

本稿では、登場人物ひとりひとりに焦点を当てて、筆者が考えたことをざっくばらんに書いていこうかなと思っています。人物全員がそれなりに意味を持って登場してる(当たり前ですが)ので、それなりに書くことはあるはずです。そこまで好んでくれている人がここに辿り着くかはわかりませんが、『水槽の町』を読み解く手がかりになれば幸いです。

今更ですが、水槽の町はここで読むことができます。この記事を読む前に目を通しておくことをお勧めいたします。

登場人物について

結(だたろん)

主役です。でも主人公では無いなとも思います。本作は特定の主人公が存在しない群像劇のような形態を取っていて、人物同士の関係性が重要になってくるんですけど、結はその関係の中心にいる存在です。

結は妖怪なんですけど、あまり神秘的な存在では無いなと思います。これは、生々しいのが好きでそれしか書けない作者の手癖&実力不足が起因しているんですけど、それでも彼女を人あらざる者として描かなかった理由は清濁ひっくるめた所謂人間らしさというものに対する筆者の執着が理由なんじゃ無いかなと思っています。

というのも、結というキャラクター自体が、古めかしいフィクションにありがちな超清純なヒロインへのアンチとして想造されたものなんです。もちろん、そういう清純なキャラクターも魅力的だと思うんですけど、何せひねくれ者なもんで、そういうキャラクターに少し汚れを加えることで、(僕的には)すごい魅力的になるんじゃないかと考えたんです。

ですので、結は「心優しくて庇護欲を擽られるヒロイン」であり、その一方で「身の回りの面倒ごとから逃避し続けることで、周囲に不利益を与え続け、挙句の果てに自死という究極の逃避すら、その責任を他人に押し付けようとする無責任な人間」として物語に登場させることにしました。特に1幕においては。

彼女の境遇については、本人の手ではどうしようもないことも多いので、太字部分はけっこうな誹謗だと思うんですけど、河伝詩についての一連の黙秘は逃れようがありませんよね。

現在に至るまで、詩がどのような状況をどのような心境で過ごしてきたかを把握するのは、結にとって造作もないことです。だから、詩についての情報を得るたびに結は「ごめんなさい、ごめんなさい」って思ってたんでしょうね、心の底から。行動の伴わない心からの謝罪は、さぞかし彼女の精神を一時的ながら安定させたことでしょう。ふふふ、いじらしいですね。

そして、その間、田所仁成が何を思い、そしてそれを把握できる結は何を思ったのか。それは置いておくとして……

とにかく結は無責任な人間なんです。だからこそ、終盤にかけて結が能動的に行動を起こすってことには、強い意味が生じるんじゃないかなと思っています。それへのカタルシスを上手いこと演出できなかったのが、今回の課題です。

河伝詩

こちらもまた、主役です。主人公ではありません。

生閉という町の住民は、本当に調子の良い連中ばっかりです。状況によって、ヒソヒソ陰口叩いたり、石を投げたり、思いやりを持って募金をしたりしています。詩はそういう人たちの気まぐれに振り回されつづけた人物です。

さて、これは詩を演じた俳優をディスる意図は全く無いのですが、稽古段階に気付いたことは、僕は筆者はこの河伝詩という人物が嫌いということです。

出だしから、礼儀なんか実家に忘れてきましたみたいな態度で登場し、結を出合頭にディスり始めます。TPOを弁えろってのは、まず自分に言うべきです。基本的に誰に対しても上から目線で、給食費泥棒云々が無かったとしても周囲から孤立していたと思います。

詩は、仁成の発言から、給食費泥棒を理由に虐められていたことがなんとなくわかります。これが自業自得だとは思いません。でも態度が悪いのと虐められていることは関係ありません。どんな理由があろうとも人を虐めてはいけないのと同じように、虐められているなら何をしてもいいという訳じゃ無いんです

詩を演じた俳優は、こういう被害者意識に伴う攻撃性みたいなものを上手に表現してくれていたと思います。つまり、詩への誹謗はそのまんま、俳優への高評価へ繋がるわけです。

つまるところ、河伝詩という人物には全く魅力的でない(むしろそこが魅力なのかも)のですが、だからこそ物語上において存在意義があるんじゃないかなと思っています。

厚かましい話ですが、本作がハッピーエンドを迎えるにあたって、観客に対し「河伝詩を許すことができるか」という試練が与えられていると思うんです。

突然の引用ですが、amazarashiというバンドの曲で『百年経ったら』という楽曲があるのですが、その中でこのような歌詞があります。

世界一嫌いな人間と 世界一大事な人間を
一人しか救えない

だとしても迷うだろう そういうもんだ 人として
良心があってこそ 良心が傷むのだ

amazarashi『百年経ったら』

この曲を初めて聞いた時は「世界一大事な人間一択だろ」と思っていたのですが、ようはこの歌詞って「世界一大事な人間」を救うにあたってどれだけ葛藤できるかって話だと思うんですよね。
たぶんよっぽどぶっ飛んだ偽善者でも無い限り、「世界一大事な人間」を救おうとすると思います。でも、その「世界一嫌いな人間」を切り捨てることにどれだけ罪悪感を覚えることができるかってことが、人間としての証左になるという話だと思うんです。思ってばっかりですね、この文章。

つまり、全く魅力的でない人物である詩は、観客にとっての「世界一嫌いな人間」になり、かつそれでも最終的に彼女が救われるという展開に喜びを見出すことができるのであれば、作品の演出意図としては成功なわけです。

詩を許せるか否かということには、作り手の力量も関わってくることなんですけど、結局見る人の価値観もそれぞれです。なので、たとえ筆者が巧みに詩を可哀想な人物として描くことができたとしても、詩が嫌いな人は、もう絶対にその意志はゆるがないと思います。だから、あえて観客への試練という表現にしました。偉そうで申し訳ないです。

香山弥

『水槽の町』というお話は、最初から最後まで生閉という狭いコミュニティの中で進行します。弥は、そのような状況下で、生閉における常識やルールに対し、観客と同じ目線でリアクションをする役割を担っています。

そのせいで、弥自身のパーソナリティを掘り下げる場面が殆どなくて、筆者も何者なのかよくわかっていないのが現状です。

完成した作品を見る限りでは、
・達観した性格で
・身の回りの人間に対しての面倒見も良く
・わりと普通の感性を持っている
・良識ある汎用な人物
かなと個人的には思っています。見た人がどう思うかはわかりませんが……。

最終的に、いわゆる狂言回し的な立ち位置に落ち着きました。本当は家庭環境についての設定があったりして、第一稿では少し触れられていたりしたんですけど、物語上必要ないと思って割愛しました。

そういう意味では、かなり不遇なキャラクターで、申し訳ないと思っています。主に、演じた俳優に対して。

それでも、本作では珍しい、良い意味で裏表が無い素直なキャラクターで、見る人に不快感を与えない(と思う)魅力的なキャラクターだと思いますよ。他がろくでもない奴らばっかりだから余計に。

紙芝居屋

目の前の大きな問題事の解決策として、お互いに話し合い相互理解を促すことを落とし所にしている本作において、紙芝居屋は情報を伝える媒体(メディア)の象徴です。

たとえば、物語の冒頭に観客に対して、ここが生閉という場所であること、だたろんという妖怪の存在を説明します。また、その後に、弥に対しても同様の説明を行います。そして、だたろんがもつ能力の本来の使い方を思い付き、結に助言を与えるのも紙芝居屋です。

このように、彼女(あるいは彼。特に性別を定めていない)は紙芝居という媒体を通して、物語を伝えるという職業柄、『水槽の町』という物語の進行を助ける役割を持っているんですね。

さて、紙芝居屋というキャラクターが持っている役割についてはこのくらいにして、ここからは彼女のパーソナリティについて話していきたいと思います。

さて、結の項で、結は無責任な人間であると述べました。それは確かにその通りなのですが、この無責任という評価は本作に登場するほぼ全ての登場人物に当てはまるものなんじゃないかなと思います。もちろん、紙芝居屋も例外ではありません。

思えば、劇中の紙芝居屋は、台詞の中でこそ名言っぽいことを言っていますが、物語の進行において大きな影響を及ぼすほどの行動をしていません。せいぜい、枝剪に強い睡眠薬を提供した程度です。犯罪行為に手を染めようとする詩に対しても、強い言葉で止めようとしますが、それ以上の行動はありません。

恐らく、紙芝居屋は本人では彼らに対し真摯に向き合っているつもりなのでしょうが、それでもどこか他人事で無意識に踏み込みすぎないようにしているんじゃないでしょうか。

良い悪いじゃなく、人って基本的にそんなもんだと思ってます。紙芝居屋は結の次くらいに存在が嘘っぽい人物なんですけど、やっぱり血の通った人間にしたくて、こういう人間臭さを付け加えてみました。

品田

本作には上演に使用した完成稿の他に、だいぶ内容の異なる第一稿が存在します。品田と、このあと触れる星野は、その段階では登場していなかった人物です。

なんだかんだ言って、品田は一番良い人なんじゃないかなと思ってます。少なくとも、詩に対して手を差し伸べている訳だし。ただ言い方が良くなかっただけで。

品田の人間性に対して文句を付けるとしたら、やはり正義感の強さだと思います。品田は最初から最後まで、生閉の風潮に対して、疑問を持ち、あくまで中立の立場を保っています。たとえば、星野がだたろんに対しての不平を述べている時も、彼女を宥めるような態度を取っていたし、詩に対して手を差し伸べる素振りを見せています。

ですが、品田はその正義感故に、無意識に他人を見下してるんじゃないかなと思っています。詩はそんな品田の言動から、枝剪にはない嫌さを的確に嗅ぎ分けて、彼女からの手助けを拒否したんでしょうね。

星野

前述した通り、星野も後付けキャラです。生閉の住民が持つダブスタ的な性質を象徴する人物であると言えます。というのも、星野はちょっとあからさますぎるくらいの手のひら返しを本編の中で見せています。

1幕では、だたろんが煩わしいと言い、そして2幕ではだたろんの生活を精一杯サポートしたいと述べています。面白いのが、星野は恐らくそのどちらも本心を述べているということです。

その時もっともキャッチーな情報に翻弄され、さっきまで自分が言っていたことなんか忘れて、ついつい強い言葉を使って気持ちよくなっちゃう人。それが星野なんです。

でもこれも、良い悪いっていう話じゃあ無いです。人ってみんなそんなもんだと思います。

田所仁成

出発点は結と同じで、フィクションにありがちなキャラクター像、いわゆる去勢された主人公のアンチです。そこから派生して恋愛感情を伴う好意がもつ加害性を象徴する人物にしようと思いました。

好意の加害性を出発点にした作品は過去にもあったんですけど、今作ではひとつのモチーフとして。もちろん、作品のテイスト的に、彼の持つ性欲というものには触れないよう心がけました。

まず前提として、仁成は結に対して好意を持っています。しかし、結が仁成に対して恋愛感情を抱いているか否かは、はっきりと描写しておりません。それに関して、演出家・俳優・そして観客の皆様、それぞれの見解があると思いますが、作者としては無いかなと思っています。少なくとも1幕時点においては。

その理由が、仁成は結の間では、お互いへの接し方へに少なく無いギャップがあるからだと考えてます。まず仁成は結と、罪の共有をしている状況に酔っている状態です。恐らく、彼から結への恋愛感情の根底にあるのは、お互いに秘密を共有しているという特別感でしょう。結はこれがあるから、真っ直ぐに彼を異性として見れなかったと僕は考えています。

あと、単純に身近にいる異性が結だけだったからってのもあると思います。弥を異性として見てないっぽい事に関しては、彼なりの折り合いなのかもしれないです。これは演じた俳優の方が考えてるかもしれませんが。

そう、だから仁成は、わりと真っ直ぐに結のことが好きなんですよね。たぶん、その気持ちに嘘は無くて、自己犠牲も厭わないような状態なんだと思います。気持ち悪いですね。

好意の加害性はずっと描いていきたいテーマの一つだったし、1幕2幕の印象のひっくり返しは上手くいった手応えはあったしで、ものすごくお気に入りの人物です。

枝剪定

彼もお気に入りの人物ですね。

小学生の頃、『面白い小説の書き方』的な本を読んだ時に、興味深い記述がありまして。

「第一印象ではなんか悪そうで好きになれないけど、実は〜」みたいなキャラ造形ってよくあると思います。どうしてそんなことをするのかと言うと、最初に抱いたマイナスの印象をプラスにひっくり返すことで、よりプラスが際立つという効果があるかららしいです。その本によると、逆に「良い人かと思ったら悪い人」はそんなに効果的じゃないとか。どうなんでしょうか。

御多分に洩れず、枝剪もそういうキャラクターなんですけど、気をつけたのは印象がマイナスの時と、プラスの時で行動が矛盾しないようにするということです。

「こいつ、急に優しくなったな」と思わなかったら成功ですが……。どうでしょう? うまくいっていれば幸いです。

仁成と枝剪は、キャスト一覧でわりと上の方に来る割に、第一幕で死んでしまいます。

なぜそんなことをしたのかというと、本作は過ちとか痛みとか罪とか喪失が物語の根幹にあるお話だからです。だから、人の死というものは避けては通れない題材だと思います。

それで、どういう時に一番「人の死」というものを感じるかっていうと、その故人の不在を感じた時じゃないかと考えました。いつも会っている場所で会えないとか、いつも話している時間に話せないとか、そういう瞬間に「ああ、あの人は死んだんだなあ」って思うと思うんです。

そりゃあ、人が死んだ瞬間というものは、現実もフィクションも劇的な瞬間です。ただ現実とフィクションで決定的に違うのは、幕が降りた瞬間に全部他人事になるということ。枝剪や仁成が物語の最終盤に死んだところで、どうでも良い事なんです。

だから、2人には中盤に死んでもらって、その後も物語を続ける必要があった。1幕まで、枝剪と仁成は自分の人生を生きてて、それがふいに終わってしまったということを感じていただければ幸いです。

おわりに

この文章自体は2月下旬くらいから描き始めていたんですけど、何を書けばいいのかわからない&もっと体裁をしっかりすべきではという拘り&そもそもこんなもの書いてどうするという虚無感、で執筆がずっと滞っている状態でした。

それでも、待っていてくださっている方も何人かいらっしゃいますし、誰も読んでくれないにしても、フィードバックとして書くべきかなと思って、ひいひい言いながら書きました。

『水槽の町』は結果的に学生生活の集大成のような作品になったんですけど、気になる点は多々あるので、精進しますというのが現在の心情です。

これからも、細々と執筆は続けて参りますので、誠に恐縮ではあるのですが、たまに「こいつまだなんかやってんな」って覗きに来てくだされば幸いです。

ありがとうございました。






















枝剪定はだたろんの世話係です。

物語上において、世話係という立場にある彼の苦悩と葛藤が描かれてきました。

しかしながら……

彼がいかにして世話係という役割に着くことになったのか。

枝剪家は「増やさず、絶やさず」の誓いを、どのようにして守ってきたのか。

そのいずれも、本編中で語られることはありませんでした。

『水槽の町』において、人々はだたろんを中心に大きな間違いを犯しました。

正当性に酔いしれ、時に残酷な振る舞いを見せる生閉の人々。

しかし、結は人々が犯した間違いを共有し、理解する為の道を示しました。

そして彼らは、その間違いを自覚し、脈々と伝えていくことでしょう。




それよりも少し昔、彼らが犯したもう一つの間違い。
これは間違いを孕んだ者たちの、もう一つの物語。










『水槽の町』第零章 人の子

小説『人の子』近日公開予定

というわけで、小説『人の子』の宣伝でした。

今、ぽちぽちとゆっくりマイペースに執筆している段階なので、気長に待っていてくだされば幸いです。途中で企画倒れになる可能性もあります。

あと、はりこのトラの穴というサイトで、これまでの脚本を少しずつ手を加えつつ公開しています。なんか、こっちの方が人目につくかなと思いまして。

現在は『水槽の町』の他に『枯木の剣』という作品を公開しています。『枯木の剣』は現時点でたぶんここでしか読めないと思いますので是非。

本当におしまいです。ありがとうございました。

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