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【滝口寺伝承(2)火宅の女⑤】

二心

都を出立した官軍新田党は南西へ進路を取り、一路男山(岩清水)八幡宮へ向かいました。高祖八幡太郎義家が元服した源氏縁の社であります。 

『南無八幡大菩薩』
此度の戦は必勝なくば必死。神、仏、先つ祖(おや)、何でも縋(すが)りたい、何としてでも、再びこの地を踏むのだと、義貞は一心不乱に念仏を唱えます。

時折、美しい麗子の顔が義貞の頭を過(よぎ)り、寂寞の想いにかられます。

足利と新田は倶(とも)に天を戴かず。

自分の息男ら同士が今まさに天下分け目の戦をしようなど、八幡太郎もさぞかし存外でありましょう。

「新田殿!」参拝を終え、出立の準備をしていると、不意に声を掛けられました。

「やあ、君は……千種殿の……。」

「長忠にござります。あちらの頓宮にて父がお待ちです。」

「忠顕殿が?」さては麗子(内侍)のことであろうか。義貞は件(くだん)の事の次第をどう報告しようか逡巡しながら忠顕のもとに向かいます。

「あー左中将殿よ。お早い出立ですな。こちらへ。」社殿にいた忠顕は義貞をひらひら手招きしました。
「左中将殿、ほーれほれ、あれに見えるは『鎌倉殿の松』ですぞ。立派であろう。頼朝公の鎌倉の開府より百余年。ずいぶんと世の中は変わりましたなぁ…。」忠顕は庭を見やり、しみじみ語ります。

「あなたはいつも唐突で回りくどいですが、それもあなたらしい。……私に何かあるということなのでしょう。ご覧のとおり私も火急ゆえ、お手短に。」出陣に水を差されるは凶。じりじりしながら義貞は迂言を用いる忠顕をたしなめました。

「あー、その節は。内侍殿を身受けられて私も肩の荷が下りました。これで行房殿への面目も立ちまする……。さて…、今日の出立を聴いてこちらにまかり越したのは、左中将殿へ急告がございましてなぁ。」

「内侍のことは御礼申しあげる。お手短に。」再度釘を刺すと忠顕は神妙な面持ちで顔を近づけてきます。

「妻(め)取ったばかりで出陣とは、そぞろわしいであろうが、あー……河内殿には気を付けられよ。」

「……⁉」

忠顕の声はさらに小さくなります。
「かねてよりあなたの頸は河内殿らの奥の一手なのですぞ。」

「な……戦の前から不吉な!ど…どういうことですか⁉」

「河内殿は右手に刀、左手に十露盤(そろばん)を持っておられてな、「義」と「利」を良くよく弁えておられる。利のために義を捨てることにまったく躊躇い(ためらい)のないお方です。六韜三略を存じているのであればなおさら、古(いにしえ)の蘇秦の例に倣うということもあり得るわけです。もし……ですぞ、左中将殿が都を出て足利方と戦っている背後から河内殿に攻められたら何とします?」

「……挟撃…⁉ しかし……河内殿は帝を奉戴する味方同士です。私は昨日御所で河内殿と胸襟を開いて話しました。あの目に二心(ふたごころ)があるとはとても見えませなんだ。」義貞は昨日の楠木河内の顔を思い出しました。

「虚と見せて実、実と見せて虚。それが河内殿です。尊氏が九州に逃れた時は、まだまだ我らに分がありました。『戦わずして勝つ』も兵法。そのうちに尊氏と和睦して矛を収めてもらえば帝と都は守られますからな。尊氏の恐ろしさは河内殿も、そしてあなたもご存じなはず。」

「その和睦の条件が……私の……頸⁉」義貞は愕然とします。

『君側の奸、源義貞除くべし』あーこれは昨夜御所近くに貼られていた檄文です。私の家の者がみつけて慌てて剥がしましたがな。」
「御所は今、生霊の巣窟。私からすれば君側の奸(くんそくのかん)と思しき者はあまたおりまする。廉子様や公卿どもの思惑が入交り、まったくまとまりがござらん。ただ……どうも空気が妙でしてな。急ぎこちらへ参ったというわけです。」忠顕は檄文を懐にしまい込みました。

「私が……君側の奸……ばかな!?」義貞は拳を握りしめ、頭を垂れます。

癪(おこり)

「前門には虎、後門に狼……。今、私は進退窮まっております。忠顕殿、私は……どうすれば……。」義貞を支えていた忠義の糸は切れかかっています。

「左中将殿は西国をよくご存じないでしょうが、播磨白旗城に向かうまで、丹波を抜けて山越えを果たさねばなりません。山岳の寡戦を得意とする楠木党ならまだしも、新田党は騎馬が主戦。聴けば尊氏に与する赤松円心は、山道の至る所に逆茂木(さかもぎ)を設けており、騎馬での進撃はまず無理でしょう。さらに円心が守る白旗城は難攻不落。それでも左中将殿を遣わすというのも、何らかの意図を感じますな。」忠顕の言は的を得ているように思えます。

「あーですから、あなたは癪(おこり)にでも罹ったということにして、緩々(ゆるゆる)と進軍されるがよい。どちらにしても途中から騎馬では進めないのですから。先頭は弟君の義助殿にでも任せて、左中将殿ら主力を殿(しんがり)に置いて、絶えず後門の狼に備えられよ。」

「そんなことをしていては神速の尊氏の軍勢は喰い止められないではないですか⁉」

「いいんですよ。この忠顕が一計を案じましたゆえ。」

項羽

義貞の後姿を見送る忠顕に、息子の長忠が問います。
「父上は何故そこまで新田殿を?」

「あー儂はただ尊氏兄弟が嫌いなだけよ。それにな、あれ(義貞)にあの項羽が重なってならん。天下無双の武を持ちながら、愚直ゆえに……いいように使われて。憐れなお人よ。今の義貞殿はまるで四面楚歌じゃな。想い女(め)を側に擱けたのがせめてもの御仏の救いよ。……だがの、今我が陣営とて窮地。帝の思惑がいまいち見えない中で、義貞殿、河内殿、北畠公(顕家)以外にあの鬼神尊氏に対抗できる者が身内におるか。」

「名和長年殿、そして父上もおりましょう。」

「ふふふ…たしかに名和殿はなかなかの名士じゃがのぅ、儂はただの犬遊び好きじゃ。武士(もののふ)ではない。」忠顕は冷笑しました。

「……さしずめ内侍は虞美人でしょうか。」

「さすれば、あれの運命は……もう決まっておろう。」

「都思ふ 夢路や今の寝覚まで いく暁の隔て来ぬらむ」
千種忠顕

火宅の女(ひと)⑥へつづく

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