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孤独と繋がりについて

桜が書き誇る新学期の季節。みなさんはどんなことを感じますか?
私は哀しい気持ちになります。桜はあざやかなピンクを放ち始めるけど、人は一色にまとめられていく。大勢の人混みの中に入っていくと具合が悪くなって殻に閉じこもりたくなる。そんな感情がおそってくるんです。
本日は、「孤独と繋がり」について考えてみます。

まずはそれぞれの意味をGoogleに聞いてみましょう。

【孤独】“他の人々との接触・関係・連絡がない状態を一般に指す。
「自分がひとりである」と感じる心理状態を孤独感という。 ”
(wikipediaより)

【繋がり】“① 関係。関連。② 血縁関係。きずな。 ”
(デジタル大辞泉より)

大人の冬休み中に、いろんな本を読みましたがどんなことを語るにも“繋がり”というテーマが含まれている気がします。
経済学しかり、自己啓発本しかり、アイドルのインタビューしかり、プログラミングの勉強本しかり、GAFAの本しかり…

昔から繋げたがりの私は「コインに表と裏があるようにすべての出来事は表面と裏面がセットである」と考えてきました。
今でもそこを定義しておかないと理不尽に耐えられない私が「なんでなんだろう?」と子どものように疑問を投げかけてきます。

実際に物事をコイン(硬貨)に例えて考えてみましょう。
硬貨の表面は「日本国」と書いていて「大きな図柄」が入っている方ですね。
裏面は「金額」と「発行年号」が書いてある方です。

役割としては、表面が“日本の硬貨であり、どの種類か絵柄で判断できる”こと。
裏面が“数字で金額が判断できて、どの年に発行されたか判別できる”ことですね。
五円硬貨だけは、表と裏が逆に見えるのですが「発行年号」が入っている方が裏面という定義なのでこのようになっているそうです。

では、硬貨そのものは一体なにものか?
材質は10円であれば青銅、50円や100円であれば白銅を使ってます。
役割としては、“商品交換のなかだちで、支払いの手段、価値の尺度として社会に流通するもの。硬貨・紙幣の類。”と記されています。
硬貨を説明するだけでも、本来これだけ多くの内容をわかっていないと本質を伝えられないのです。

テーマに戻りましょう。
今日考えるのは「孤独と繋がり」についてでしたね。

繋がりとは「関連、関係」です。
硬貨にとって関係とは、青銅に貨幣という概念をつけることです。
表面には意味、裏面には金額など、様々な意味を載せることではじめて、わたしたちは硬貨として使うことができます。

孤独とは一体なにものなのか?
わたしたちは普段、お金を使うときに硬貨が青銅や白銅だと意識して使うことはないと思います。
十円硬貨くんにとっては、自分の正体はただの青銅なのに、そのことは誰にも気づいてもらえない寂しい状態になります。

孤独とは「他者との接触・関係・連絡がない状態」です。
十円硬貨くんが意識を持っていて寂しがり屋だったとしたら、孤独を感じていると思いませんか?
でもそれを使っている私たちは十円硬貨くんの本当の姿など意識せず、物々交換の手段のための貨幣として何気なく使ってるわけです。

わたしがなにを伝えたかったかと申しますと、孤独とは本当の姿が他者から意識されておらず、自分自身が繋がりを感じることができないときに陥る状態なのではないかということです。

自分という主観で考えると「孤独」は自分自身が自分の本当の姿を理解していなければ、自分が原因でいつでも陥ってしまう状態です。
他者からはどんなに繋がりをつくってあげても、その人の本質を理解できないかぎりは孤独から救ってあげることはできないのです。

つらつらと書いてきたのですが、実際には自分で自分自身を理解するなんて、とてつもなく難しいことです。
死ぬまでできないと言っても過言ではないくらいに。

今孤独に苦しんでる人に伝えたいのは、ぼくもずっと孤独を感じて生きていますということ。
社会に出たら繋がりは楽しいことにも辛いことにも変化します。
孤独は自分と向き合える素敵なことです。あなたを認めてくれる人はどこかに必ずいます。

まずは自分という人間を自分が認めてあげればそれでいいのです。

新しい環境に挑戦することが多い、春のはじまり。
桜は春だけ咲き誇って、そのあとの季節は雨や風にさらされながら、孤独に耐えて、また春が来るのを待ち続けます。

わたしたちは考え方次第で、苦しみを楽しみに変換できる人間です。
孤独を楽しんで、また春が来るのをわくわくしながら待ち続けたいものです。