【偶然を愛そう?】

ところで、『偶然を愛そう!』とは以下の多面的な見解より成り立っている。

「ぼくは正しい選択をしたい」
「完全な選択など不可能だから諦めなさい」
「選択をした過去の自らを信じなさい」
「過去のぼくと今のぼくは違う」
「過去の自分もまた自分なのだからその責任を引き受けなさい」
「ぼくはだれも成し遂げたことのないことをしたい、だれも到達したことのない地点にたどり着きたい、そして史上最も強い人間になりたい。でも同時に一回限りの人生だ、今を楽しみたい」
「なら、過去の弱い自分も受け容れなさい、つまり過去の選択を信じ受け容れなさい」
「けれど思ってもみないことばかりだ、全てが偶然だ。だから我慢して過去の選択に従うなんて馬鹿だ。それになんの予兆もなく死は訪れる。だから今の幸福を、快楽を、味わいたい」
「しかし、今のあなたを成り立たせているのは、過去のあなたです。その恩義に報いるのは、今のあなたの責務です」
「なら、ぼくはどうしたらいい?」
「偶然を必然にしなさい。それはあなたの意志なしでは実現しません」

「偶然を必然に? 矛盾している」

「いいえ、矛盾してはいません。それに、そもそも矛盾とは論理の極地であるだけで、世界の果てとは異なります。人類未踏の地が多くあるように、人間が把握しえない、共有できない概念は、宇宙よりも広く存在しています」

「論理の極地を越えた先へ行けと?」

「そうです。偶然を愛しなさい。あなたは偶然としか思えない無意味で不条理な出来事に対して、自らが望んでいることだ、引き寄せたことだ、と思い込むのです」

「偶然は無意識で自分が望んだことだと考えるんだね」

「あるいはその通りです。そして、これが偶然を愛することになります」

「でもぼくは無意識の自分を愛せない」

「愛しなさい。愛し受け容れなさい。自分の愛する人を愛するように、自らの全てを愛しなさい。そもそも、あなたが今のあなたであるのは、偶然なのです。しかし、あなたはまるで重力や質量保存の法則と同じくらい、当たり前の存在として——つまり必然として——ここにいるではありませんか」

「つまり、ぼくは既に偶然を必然にしている、と」

「その範囲を広げるのです。自分という枠を広げなさい。認識領域を拡大するのです。意識していても、無意識であろうとも、それは間違いなくあなたです。今だけでなく、過去のあなたも未来のあなたもまたあなたです。傍にいる彼女も、遠くにいる彼も誰彼もが、あるいはあなたです。すべてが偶然で、同時に必然です」

「ぼくはぼくでない存在へと変転してゆくことができる。どこまでも遠く、どこまでも広く。すべては意志次第。過去の自分を受け容れ、信じる。そしてその恩義に報いるために、責任を引き受ける」

「そうです。そして今、あなたは過去のあなたとは違っている。ここには新しい意志があります」

「偶然を愛することで、ぼくは今のぼくを身体中で味わい楽しむことができる」

「そう、これこそが本物の幸福です。生きるとは結局のところ、望むにせよ拒絶するにせよ偶然に身を委ねることであり、幸福とは偶然を愛することに他なりません。そしてその時、あなたは一つの必然を手に入れているのです」

「今、ぼくは必然としてぼくである。そして偶然は全て必然だ」

「そう、これこそが正しい選択です」


『偶然を愛そう!』

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