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滞在権訴訟 5/7

 僕はシンジに反論をしたい。でも、浮かぶどんな理屈も到底敵うものではない。だからこそ自分がこれまで採用してきた考え方(個人主義とニヒリズム)をもう一度見直す必要があるという結論に行き当たる。けれど、未だにベルリンの夜景が回転しているのか判別が付かないことが示しているように、頭は混沌を極めていて、あるいは混沌こそ新たな誕生の前兆とも考えられるわけだが——なにかが『光あれ』とでも声掛けをしてくれれば、僕の矮小な宇宙である眼前の光景がくっきりした輪郭を表して秩序を取り戻す——、ともあれ、光が最小限に抑えられたこのレストランを回している原動力たる至上の存在は市場原理に過ぎないように思える。金こそが想像を現実とするものであり、金こそが人を高みに連れてゆく。社会の繁栄は自由な交易のお陰であり、自由な交易はより多くの金をもたらし、人はより幸福となるらしい。
 マキとシンジは料理を味わい、ときおり二人で感想を囁き合っている。遠くに目を向けても満足げな顔ぶれが並んでいるのは言うまでもない。ハイブランド——モードの帝王イヴ・サンローランなんてぴったりだ——のマーケティング戦略にのみ存在する架空の映像にすら思え、吐き捨ててしまえば、ひどく嘘くさい。自由と義務に寛容と連帯を具現した世界などあり得ない。現実はもっと不完全だ。人の理性と道徳は結局のところなにも進歩しない。けれど、きっと僕の見方が誤っている。そうシンジは無言に雄弁に示している。意識的な抑制を後天的に完成させることのできる人間はいる。シンジがそうだ。このレストランにいる客がそうだ。きっと、僕は目を背けていた。本当は世の中は優れた人工物で充ちている。それは形のない思想や道徳も含んでいる。グローバリズムの渦の中で、その全てがアウフヘーベンし合っては、新たな素晴らしきジンテーゼを生じさせ、別の素晴らしきジンテーゼと再度アウフヘーベンしては、世界を絶え間なく発展させる。そして、いつの日か素晴らしき新世界、永遠平和にたどり着くのだ。なんて心引かれる物語。全米が涙するのも間違いなしだ。けれど、よくよく考えてみれば、プロセスが対照的に泥臭く血なまぐさいとはいえ、構図自体は永続革命や永劫回帰と似ている。が、やはりしかし、僕とシンジが同じ大学の学生であれ、決定的に異なっているように、同一とはほど遠い。永続革命には義務と寛容の精神が欠けている。永劫回帰には自由への固い意志しか存在していない(僕に義務感や人との繋がりという観点がすっぽり抜け落ちているのは、あるいはそういうわけなのかもしれない)。団結したプロレタリアートであれ、孤高の超人であれ、結局のところ同じところを回りつづける。小さな部屋——そこはあるいは山の頂であり、象牙の塔である——に籠もり、自らとのみ向き合い完全な個人を目指せど、群れに忠誠を誓い階級闘争に明け暮れては完全な平等社会を目指せど、いずれもドーナツ的に中心の欠けた存在となるばかりだ。人は一人で生きて行けるほどに強くもないし、全くに平等でない。その生地が自由から、あるいは連帯から練られていようと、結局のところドーナツは菓子に如くはなく、主食であるパンに敵うはずもない。パンは自由だ——様々な形が存在する。パンは義務を果たす——生存に必要な栄養価を含んでいなければならない。パンは寛容だ——全世界で誰もが食すことができる。パンは連帯だ——パンは全てを意味する。パンがなければドーナツを食べればいい、と思ってしまう僕は、マリー・アントワネットだ、名もない闇の中で、比喩としての革命義勇軍による概念としての武装襲撃を受け、実体のないギロチン台に連行される。そうなったらドーナツ的人間は為す術がない。銃弾も刃物も、空洞を用いればかわすことができる。だがその刃は僕を真っ二つに千切ってしまうのだ。
 どうにもこうにも、僕はやはりどうかしている。
 マキとシンジの二人は食事と歓談を器用に両立している。無言で腕組みをして考え事に耽っている僕には全く構ってこない。機嫌を損ねていると思っているのかもしれない。一人黙り込んで食事に手を付けずに唸っている輩に掛ける声はない。目の前の料理はまだ微かに湯気を上げている(たしかラプスカウスという名のはずだ)。食事にかかる頃合いだろう——コンビーフのような赤いペースト状のものが皿に広がり、上には目玉焼きが乗り、ピクルスやビーツ、パセリが周りに美しく盛られている。とはいえ、あまり美味しそうじゃない。
「ラプスカウスはハンブルク料理なんですよ」とシンジは僕の訝しげな様子を見て取る。迅速な対応である。彼もまたウェイターなのかもしれない。「港湾都市らしく、もともと船乗りの賄いとして作られたのが始まりだそうです。それに一説ではハンバーグの原型だろうとも言われています」とシンジは歩く辞書でもある。
 誘われるままに口に入れてみると、あっさりとした肉の味わいが口に広がり、仄かにバターのような香ばしい風味がある。悪くない。というか、いい。
「実は一般的に不人気な料理なんです」とシンジが解説を加える。「『船乗りのおじや』という別名があるみたいに、栄養価を最優先に、味は二の次になっているものなんですが、ここのラプスカウスは、悪くない」
「悪くない」と僕は相づちをうって料理を進めてゆく。「さすがグローバリズム」
 マキがちらりと横目で見てくるが、少し非難がましさが込められているように思える。
「ねえ、N」と案の定マキから声がかかる。でも、奇妙なことに語尾が少し引きずられていて、躊躇いがちに聞こえる。「Nはこれからどうしようと思ってるの?」
「これから?」と僕は訊ねる。
「将来のこと」とマキは言い、僕から目を逸らす。
 僕は眼球を左右に遊ばせては、覚束ない視線を暗い店内に一周させる。でもなにを失くしたのか分からない人間が捜し物を見つけ出すことはできない。スープを一口飲んでは、腕組みをしてもぴったりな返答が浮かばない。
「まだなにも決めてないよ」と僕はそわそわした恋人を落ち着けるみたいな優しい口調を心がける。けれどなにをなだめすかせているのか、よくわからない。「でもあるいは、僕は延々とこうしているべきなのかもしれない」
「こうしてる?」とマキはゆっくりと訊き返す。そして丸っこい目が僕を捉え、瞬きが二度繰り返される。瞼の動きもやはり緩慢としている。出来れば知りたくない答えを待ち構えているみたいだ。
「僕は何一つとして、絶対に正しいんだと確信できない」と僕はままよと思い切って口火を切る。「いつか答えが出るのだろうと昔は思っていた。いろんなことを経験して、僕なりの人生観みたいなものが少しずつ出来上がって、するべきことが自ずと明らかになると漠然と予想してた。でも」と僕はだれに向けるともなく頷く。「今はちがうんだって思う。結局何一つとして、誰ひとりとして正しくはない、みんなどこかしら完璧じゃなくって、でもだからこそこの世界は面白い場所になっている。そう思うんだよ。もちろん、だからって、考えることを放棄したわけじゃない。どうすべきなのだろう? どこへ向かうべきなんだろうか? 僕はいつだってそれを探している、そこにどんな意味も存在していないとしても。別に、理想とか真理を求めることに意義がある、なんて馬鹿の常套句に毒されたわけじゃないんだ。ともかく、いずれにせよ僕は、好むにせよ、そうでないにしろ、迷い続ける道を選ぶ。後悔し続ける道を選ぶ。それに、どっちにしたって結局は一緒なんだ。なにを選んだって、僕の本質は一ミリも変わらない」
「そうかな」とマキは俯くままに呟く。隣のシンジは僕の方を向いている。が、焦点はずっと後ろにある。
「なにを望もうと、僕は僕でしかない。から、なるようにしかならない。前に、水の話をしたよね? 大事なのは、世界を潤すことなんだよ。彩ることなんだよ。ちょうどドーナツに中心がなくても、生地はふっくらとしていて、とびっきり甘くて美味しいように」
 マキの顔には疑問符が浮かぶ。相変わらず、僕は必要な言葉を省いてしまう。
「中心とはつまり」とシンジは通訳機能も備わっている。「信条のようなものですね。一方でNさんの言うドーナツは、行動にあたるわけですね」
「いや」と僕はゆっくり首を振る。「行動、というよりは体験だね。いや、認識かな。目の前の現実をどう捉えるか、だよ」
「なるほど」とシンジはどこまでも物わかりがよく、けれどマキは少し口をへの字にしている。
「まあ、ドーナツの中心がドーナツに含まれるかどうかは、見解次第だから脇に置いておいておこう」と僕は意味のないことを偉そうに呟いてはシンジに笑いかける。「さて、というわけで僕は延々と彷徨い続けるノーウェア・マンなのさ。シンジ君、君がいつか言ってくれたようにね」
 シンジは爽やかに微笑んでマキに目をやる。マキはシンジに腹立たしそうな顔を一瞬向けると、僕の方には笑顔を差し出す。 
「Nは自分だけの道を進んでゆくん、だね」とマキは奇妙な区切りを挿入する。「それって、寂しくない?」
 僕は少し戸惑って唸る。
「どうだろう。でも、こうでしかあり得ないんだ」と僕はマキに向かって微笑むが、彼女はやっぱりなにかがつっかえているみたいなぎこちない笑みを浮かべる。
 やおらシンジが給仕を呼び出し、再びワインボトルを注文する。今度は白ワインをマキが所望する。僕もシーバス・リーガルをダブルでもらう。あたりに目線を走らせると、ふとシンジと目が合う。ぼくらはなぜだか首を傾げ合い、微笑みを交わす。マキを視界の端で認めると、黙って窓の外を見つめている。その姿に、シンジは今、僕が代々木公園で木々と語らうみたいに儚く佇むマキに抱いた気分を感じているのだろうと直感する。そしてさらに僕は、マキはかつてのマキと少し違っているのだと理解する。ドイツに来てから、マキは変わった。クリスマス前々日に現れた沈黙の怒り。その原因はマキの中で起こった変化にあったのだ。日本にいた頃、マキはこのどうしようもない僕をいつだって優しく受け容れてくれた。ドイツにいる今だって、なにも変わらないように思える。けれど、やはりなにかが決定的に違う。きっとマキはもう、僕を完全には受け容れてくれない。だからこそ、僕はマキに惹かれなくなったのかもしれない。僕はなんて身勝手なんだろう。マキの優しさに頼りすぎている。確かに僕はウェルテルに似ている。夢想家で、思い込みが強く、自らを過信していて、けれど全てを誰かに委ねたいと望んでいる。そして、恋のライバルは完全無欠だ。だが僕はウェルテルじゃない。僕は生き続ける。彷徨うに過ぎないとしても、自分だけの道を歩いて行く。昔、マキにそう告げたとき、僕は彼女がついてきてくれたならいいと期待していた。けれどもう、彼女は僕と一緒に来てはくれない。そう、マキは自分の進む方向を決めたのだろう。だから僕に将来のことなんて訊いたのだ。
 やおら給仕(肝硬変中年ではなく、いつもの若いスマートポマード)が丁寧な物腰でやって来て、流れるような動作でワインボトルとワイングラス、そして僕のロックグラスをテーブルに並べてゆき、白いワインをグラスに注ぐ。僕は給仕がラプスカウスの皿を下げてゆく間に、ロックグラスをあおって半分ほどを一気に飲み干す。
「わたし、決めたんだ」
 正面を向くと、マキが真っ直ぐ僕を見つめている。マキがこんな風に泰然として強い眼差しを浮かべるのは初めてだ。
「そうか」と僕は言う。「マキは決めた」
「そう」とマキは呟く。
「僕は翻訳文学が好きだ」と僕は思いつきをそのままに話し始める。もちろん、どこへ向かうのか自分でもわからない。「仮に本来の美徳が失われたとしても、僕は翻訳された文章が好きなんだ。なぜかわかる?」
 マキはこちらを見つめてはいるが返事をしない。シンジも同じで、僕に目を向けてはいても返事をしない。僕の質問は質問ではないのだ。ただ語りたいから語る、そういう自己中心的なものなのだ。
「違和感があるからだよ。とりわけ欧米の言語は構文の仕組みが日本語と根本的に違っている。結果、訳文はある種のズレを必然的にはらむことになる。それを読むとき、僕は文字ではないものを読む。映像だ。とても歪でぼんやりとした、ね。そこで作り上げられている世界はこの世のものとは大きくかけ離れている。どこに行こうと目にしえないような、この世のものではない世界だ。そこはずっと澄んでいて、恐ろしいほどに静かなんだよ。夢ともまた違っている。夢は——僕の見る夢はと言うべきだろう、夢は基本的に共有することができない——錯綜していて、欲望にまみれている。僕が言っているのは、全てが、語りにより生じるイマージュのなにもかもが、有機的に絡み合っている、そんな、あり得ない、完成された世界なんだ。翻訳文学の世界で切り取られる一瞬一瞬はみな、僕には一筆たりとも加えることができない。欠かすことのできない隙間なく完璧な絵画なのさ。この感覚はどうしてか、日本語を原語とする文章じゃ味わうことがない。冷蔵庫のファンみたいな雑音が通奏低音となっていて、意識の巡りが遮られてしまう。なぜだろうか。この点はきっと、色々と分析のし甲斐があるんだろう。だがともかく、僕が言いたいのは、翻訳文学における読書体験の特異性じゃない。言いたいのは、ぼくらはあるいは、遠い隔たりを越えてこそ全く別の世界に行くことができる、ってことなんだ。越えることのできない壁があればこそ、その先に思い描く夢は完全になる、ということさ。間違いなく、そこにたどり着くことはない。仮にできたのなら、その夢は溶解してしまうはずさ。だから、わかり合えなくったっていいんだ。どうしようもなく違っていていいんだ。差異こそが本物の価値を生むんだよ。もちろん、これは博愛とか多文化主義とか、そういうんじゃない。僕はシンジ君の見解に違和感を抱いている。寛容も連帯も、正直嘘くさい。もちろん、僕が言っていることときっとよく似ている。みんな違っている、だからこそ他者を受け容れ、わかり合う努力をしよう。寛容と連帯。素晴らしい。けれど、論理的じゃない物言いになってしまうが、一体どうしてぼくらは連帯しなくちゃならない? どうして全てを受け容れなくちゃいけないんだろう? 僕は永遠平和なんていらない。僕は誰とも連帯したくない。寛容には到底なれっこない。僕はなにもかも、今のままでいいんだと思う。下らなくって、馬鹿馬鹿しくって、いつまで経っても意味も発展もないような世界のままで。色々と不満を抱くこともあるけれど、結局僕はそういうものを心から愛している。あるいは僕自身がそういう存在だからこそ、そう思うのかもしれない。愚かな自分を正当化しているだけなのかも。でもね、本当に馬鹿げたことなんだけれど、僕はこうして生きているのが、どうしようもなく楽しいんだ。なにも見えない戦勝記念塔の天辺も、頭では正しいと分かっていてもシンジ君の意見に反目してしまうような自分の愚かさも、もちろん虚しさや嫌悪もなくはない、けれど、あるいはの僕は面白さに我慢しきれず大爆笑している。猿みたいに手を叩いて、げらげら高笑いを上げているんだ。だからね、つまりは、僕は僕じゃない人たち、絶対には理解し合えない人たちと出会って生まれる体験の全てを愛している。存在する一切が僕とは異なっている。そのズレこそが見たことのないような物語を作ってくれる。だからこそ僕の生きるこの瞬間は僕だけが味わうことのできる世界になる。誰もが自分だけの世界を持つべきさ。君もそう。君も君だけの物語を紡ぐんだ、マキ。君は君の道を進んでゆく。そしてまた、新しい世界を、君だけの世界を作り出してゆく。これこそが人生だ。どこかで見たことのある物語なんて僕は認めない。僕は僕の、君は君のやり方で、全く異なる人生を歩いてゆく。ぼくらはなにもかもが違う。だからこそ、こうして共にいることで、素晴らしい物語が紡がれてゆく」
「そうかな」とマキは口を開く。
「あるいはそうさ」
「そうかも」とマキは笑って頷くが、言葉は続かない。

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